ラブレターの行方



「先輩の事が好きです!」
 震える女子生徒の声が聞こえてきて、順平ははた、と足を止めた。
 放課後の廊下は人通りも少なく、遠くから運動部のかけ声が聞こえてくる以外は至って静かだ。それ故に、その声は嫌でも順平の耳に飛び込んできた。
 どこかの幸せ者が、勇気を振り絞った後輩に告白されている。自分にはこの先訪れる事のないだろうシチュエーションに羨ましさを感じないと言えば嘘になる。しかし今はそれよりも冷やかしというか、妬みの気持ちが大きくて、順平は一目その幸せ者の顔を見てやろうと、敢えて声がする方に足を向けた。
 相手の声は聞こえない。女子生徒の声も先ほどの一言以外は聞こえない。はて、どこにいるのかと曲がり角を曲がった所にある踊り場に目をやった瞬間、順平は固まった。
 そこにいたのは明彦だった。女子生徒は丁度順平に背中を向けており、その顔を見ることは出来ない。明彦は始め順平が見ていることに気づいていないようで、差し出されたその子の手紙を返そうとしていたのだが、ふと顔を上げた瞬間に順平と視線がぶつかり、同じく固まってしまった。
 まさか、「どこかの幸せ者」が明彦だったとは。
 二人が互いの顔を見て固まった隙を女子生徒は見逃さなかった。差し出された手紙を明彦の手の中に押し戻し、
「手紙、読んでくださいね。お返事待ってます」
 と言い残して足早に去っていく。二人はそれをただ見ているしかない。
 その膠着状態から先に正気を取り戻したのは明彦だった。
「な、なんだ順平…驚かすなよ」
「そそそっちこそ…あーびっくりした…」
 その場にへたり込みそうなのをぐっとこらえて、順平はため息を吐いた。そして、ちらりと明彦の手に握られた手紙を見る。
 明彦が女子生徒に人気があることは分かっていたし、今日のように一対一でなくても数人の女子生徒に言い寄られている所も目撃している。それでも、何だか面白くない。
 そんな順平の気持ちを知らないだろう明彦は、床に置いてあった鞄を手に取ると、
「もう帰りか?一緒に帰らないか?」
「あ、はい。って、真田サン部活は?」
「今日は休みだ」
 それなら、と順平は明彦と並んで玄関に向かうことにした。
 玄関で靴を履き替え、校門を抜けてモノレールの駅へ。いつもならば他愛ない会話であっという間に時間が経つのが、今日に限って会話が続かない。それよりも、先程の場面について、明彦に聞いてもいいものかどうか迷っていた。が、このまま無言でいるのも苦しい。
「あの、真田サン?さっきの子って知り合いっすか?」
 意を決して質問を一つ。
「いや、全く知らん。何だ、お前の知り合いか?」
「や、そういう訳じゃないっすけど」
 再び会話が途切れた。次に気になるのは、先程の女子生徒が明彦に押しつけていたラブレターだ。彼女の思いが詰め込まれたあの手紙を明彦はどうするつもりなのだろう。
「てか、ぶっちゃけどうなんですか?うれしかったんでしょ?ラブレターもらって」
「へ?」
「ラブレター。さっき受け取ってたじゃないすか」
「あ、あれは、返すつもりだったんだ。ただ、タイミングを逃して…大体、お前が」
「オレのせいだって言うんすか!?」
 つい、強い口調になってしまった。その勢いに驚いた明彦は黙り込む。しまった、と思った順平は、慌てて弁解する。ここで明彦を怒らせるわけにはいかない。
「…スンマセン。醜い嫉妬っす。真田サン、モテるから…オレなんか居なくても」
「何だ、焼いてたのか?」
「そうっすよ。オレ、真田サンの事好きだから心配なんです!」
 その言葉を聞いた明彦は、さあっと耳まで赤くなった。バカ、こんな所で大声で…と辺りを気にしてみせるが、それは照れ隠しだと順平は知っている。
「心配なんです。彼女出来たらオレのことなんか構ってくれなくなりそうだし」
「…今のところ、恋愛対象として見ている女子はいないぞ」
「男子は?」
 さっと身体を明彦の前に滑り込ませ、立ちふさがるようにして尋ねる。ぐっと言葉に詰まった明彦の顔を覗き込み、もう一度訊くと、観念したのか明彦は小さな声で、
「お前だけだ。ったく、それくらい分からないのか」
「言ってくれなきゃわかんないっすよ」
 そう、相手の気持ちなんか、口に出してもらわなければ分からないのだ。
 ほら、行くぞ、と明彦に促され、再び歩き出す。歩きながら、明彦は順平の目の前に先程の手紙を差し出した。
「そんなに気になるなら、お前にやる」
「えー…オレ宛じゃないラブレターなんか、いらないっすよ。その子にも悪いし」
「しかし、お前はこれが気になるんだろう?こんな事でお前とぎくしゃくするのは嫌なんだ、俺は」
 目の前でひらひらとラブレターが揺れる。可愛らしいピンク色の封筒にハートのシールで封をしてあるそれは、見ただけで先程の女子生徒の想いがにじみ出ているような気がした。
「お返事下さいって言ってましたよね?」
「今まで全部断ってきたんだ。返事は書かない。それに呼び止められたときに口頭で断ってる」
「あー、その子カワイソー」
 おどけてそう言うと、明彦がムッとした表情で順平に詰め寄る。
「じゃあ、お前は一体どうして欲しいんだ?俺に承諾の返事でも書けと?」
「いや、そういうわけじゃないっすけど、てかその返事書かれると困る。オレ、チョー困る!」
 なら別に良いだろう、という訳の分からない理論で押し切られ、順平は明彦からその手紙を受け取ることになった。
「ちなみに見れば分かると思うが、俺は読んでないぞ」
「はいはい、分かってますって」
「後はお前が煮るなり焼くなり好きにすればいい」
 じゃあまかせたぞ、と明彦は自室に戻っていった。仕方なく順平も自室に戻る。どさりと鞄を床に置いて、渡された手紙を改めて眺めた。真田先輩へ、と女の子らしい字で書かれたその封筒を開封してもいいものか悩む。
 オレがこの子の立場なら、本人以外の人に読まれるのは嫌だ、と順平は思う。が、一方で自分の恋人である明彦に対して、この子がどのような想いを抱いているのか気になるのも事実。
「どうしたもんかなぁ…この手紙」
 散々迷ったが、結局開封しないことにした。あの子の想いは、明彦に届くことはないが、他の誰の目にも触れることもない。純粋なままで封印される方が良いだろうと思ったからだ。
 小さく千切ってゴミ箱に捨てる。申し訳ないという気持ちが無いわけではないが、順平だって自分が可愛いし、それ故に恋人をみすみす手放す事など出来るわけがない。
「悪いな。真田サンはオレのだからさ」
 相手が何だろうが、渡すわけにはいかないんだよ、と呟いた。
 そして、明彦にもう一度自分の事をどう思っているか言わせるべく、順平は部屋を出て行った。