約束



 頭がぼうっとして何も考えられない。足取りはフラフラと不安定で、まるで風邪を引いたときのようだった。
 目の前を歩くジョージの背中が右に左に揺れて見える。こんな時にこんな事になって、何か悪いことでもしたかしら、と自分の不運を呪いながら、シンディは歩き続けていた。
 足下は建物が崩れたらしく瓦礫の山で、気をつけて歩かなければすぐに躓いてしまう。何度か転けそうになりながらも、頼りない足取りで進んでいく。時々ジョージが心配そうに振り返ってくれるのがシンディには嬉しかった。一人だったらきっとすぐに倒れてしまっていたと思う。
 と、次の瞬間、あ、と思うまもなく、シンディの身体は地面に向かって傾いていた。普段ならとっさに出る筈の手も間に合わない。こういうとき、意外とスローモーションに見えるものね、と諦めた瞬間、ガッと身体を掴まれて、顔面直撃を免れた。
「大丈夫だったかい?」
 顔を上げると、ジョージが身体を支えていた。いつの間に近くに来たのだろう、と見当違いの事を考えているシンディとは対照的に、ジョージは心配そうな表情でシンディを見ていた。
「顔色が悪い。少し休まなければ駄目だ」
「だ、大丈夫よ、まだ動けるわ」
「そんな顔で言われても、説得力に欠けるよ」
 こっちにおいで、とジョージは支えた身体をゆっくりと動かした。シンディは抵抗せずそのまま身体をジョージに預ける。自分の身体を人に預けて初めて、いかに自分が無理していたかを知った。一度力を抜いた身体は、鉛よりも重かったのだ。
 ジョージが連れて行ってくれたのは、損傷がそれほど無い建物だった。扉を開けて中に入る。アパートとして使われていた建物のようで、同じ形の扉が並んでいた。
「不法侵入は心苦しいが…」
 そう言いながら、ジョージはそのうちの一つに入っていった。脱出の混乱の所為か、鍵が掛かっていなかったのだ。
 部屋の中は多少荒れてはいるものの、至って普通の部屋だった。様々な生活用品が戻らない主を待っている。
「座って」
 ジョージはシンディをベッドに座らせる。そして、内ポケットから白いカプセルを取り出して、シンディに渡した。
「これを飲めば、少しは楽になると思う」
「薬は、得意じゃないんだけど…」
 ちらりとジョージの方を見て、シンディは呟いた。
「口移しなら飲めるかも」
「何を馬鹿なことを」
 早く飲みなさい、というジョージに、上目遣いでお願いする。ジョージがこれに弱いと知っていてのことだ。
「ねえ、お願いよ」
「…シンディ」
 シンディは不安だった、本当に自分はまだ生きているのだろうか。この死者に溢れた街で、自分は生きていると言えるのだろうか。本当は既に死んでいて、哀れんだジョージがこうして連れて歩いているだけだったら…
 一旦嫌な方向へ傾いた考えは、坂を転げ落ちるように悪い方へ悪い方へと進んでいく。その考えを振り払うように、シンディは目の前に立つジョージに抱きついた。
「不安なの…私は本当に生きているの?」
「シンディ」
「生きて脱出出来るのかしら、あなたと」
「諦めてはそこでお終いだ。最後まで希望を捨ててはいけない」
 シンディの頭をそっとジョージが撫でる。その手が優しくて、シンディは思わず涙をこぼした。
「優しいのね、ジョージ」
 ジョージは何も言わず、子供を宥めるようにシンディの頭を撫でている。こういうジョージを見ると、嬉しい反面自分との年の差を思い知らされる。自分はまだまだ小娘で、ジョージにしてみれば子供をあやしているだけなんじゃないかと。
「ねえ、無事脱出出来たら」
「出来たら?」
「その時は、うんとキスしてくれる?」
 ジョージは、はは、と笑って、
「君がそう望むなら」
と言った。だから、薬を飲んでくれるかな?とも。
 それを聞いて、シンディは白いカプセルをぐっと飲み込んだ。元々水と一緒に飲むものだろうから、それ単体で飲み込むのは少々厳しい。それでも何とか飲み込んで、暫くジョージに身体を預けてじっとしていた。薬が効いたのか、次第に身体が軽くなっていく気がした。
「少しは楽になったかい?」
 ジョージの問いかけに頷いて返すと、それは良かった、とジョージが笑顔を見せた。
「また辛くなったらすぐに言うんだ。無理をしても、いい結果は返ってこないよ」
「分かったわ」
 そう言って立ち上がったシンディの額に、ジョージがキスを一つ落とした。続きは脱出出来たらだね、と少し恥ずかしそうに言って、行こうかと手を差し出す。
「約束、忘れないでね」
「勿論」
 悪夢にも夜明けはある。そう信じて、二人は歩き出した。