ハニカミプロジェクト:後ろから抱きしめてほっぺをくっつけて暖めあう



 そこはまるで巨大な冷凍庫だった。
 恐らく勝手に動き出した化け物による被害を少しでも食い止めようとしてのことだろう…男は遺書を残し、手にしっかりと冷却装置のハンドルを握りしめたまま息絶え、凍り付いていた。
 男が残した遺書を読み終えたケビンは、なるほど、と納得する。
「ってことは、氷を溶かしてあのターンテーブルを動かすと、あの化け物も動き出すってことか」
「マジかよ!?大丈夫かなぁ…」
 がちがちと体を震わせながらジムがぼやく。バスケットの練習帰りにこの事件に巻き込まれたという彼は、ユニフォームしか身に纏っておらず、誰よりもここの寒さが堪えているようだ。
「しかし、そうするしか道はないのだろう?ならば」
 そうすることもやむを得まい、とジョージは言う。この中で恐らく一番の年長者である彼は、それ以上の落ち着きでやや暴走しがちなケビンと、逆に怯える余り中々行動しようとしないジムの緩衝材として機能していた。
「他に脱出する道でもあれば良いんだろうけど、そんなもん無かったしなあ」
「だだだだって、あいつらの爪見た!?こーんなだったぜ!?」
 それでなくてもジムは足に怪我をしていた。今は凍り付いている化け物が動き出したときにどれくらいのスピードを持っているかは分からないが、ゾンビと同程度かそれより早いかだろう。ここまでの通路は安全を確保してあるとは言え、複数で襲ってこられてはケビンとジョージだけでは対処できない。
「仕方ねえ、俺がやる」
「いや、私も残ろう。まだ弾には余裕がある」
「ジョージはジムと一緒にいてくれ。俺の足ならあいつらを振り切るくらい簡単だぜ」
 それに、早く治療した方が良さそうだからな、とケビンはジムの傷に視線を向けた。
 ここに来るまでに連続的にゾンビや巨大化した蛾などと対峙してきたため、まともな治療が出来ていない。じくじくと未だに血が滲んでいる傷を見て、ジョージはようやく決心した。
「…分かった。私たちはターンテーブルの中央にある機関車の中にいよう。不用意に外をふらついても、要らぬ怪我を負うだけだからな。そこでジムの治療をすることにするよ」
「おう、さっさと片付けて追いかけるから」
「氷の溶け具合を見て、ターンテーブルを起動した方が良いだろうか?それとも君が?」
「いや、俺が戻る前に起動してくれ。その方が早く脱出できるだろ?」
 今後の作戦を練る二人の後ろで、ジムが今にも死にそうといった表情で訴えかける。
「は、早くしないとオレ死んじゃうよ!!」
「分かったよジム。じゃあ、頼んだよケビン」
「おう、任せとけって」
 ガスバーナー片手ににやりと笑うケビンに頼もしさを感じながら、ジョージとジムは部屋を出た。

 幸い新たにゾンビが出現していると言うことはなく、二人は思ったよりも早くターンテーブルまでたどり着くことが出来た。
 取りあえず鍵を操作盤に差して回して見るも、反応がない。まだ動かすには早いようだ。
「取りあえず、君の足の治療をしようか」
 機関車の扉も凍り付いていたが、近くに落ちていた鉄パイプで扉周りの氷を外し、無理矢理中に入った。中も外とさほど変わらない気温の筈だが、風が吹いてこない分、少し暖かく感じられる。
「さあ、そこに座って」
 長椅子を指さすと、ジムは素直に従った。ジョージは足下に跪くような格好になると、ジムの足に触れた。冷え切った皮膚の中で、傷口だけが熱を持っているのが分かる。
「化膿するかもしれない。痛いかも知れないがちょっと我慢して」
「そんなこと言われても、痛いものは痛いよジョージ」
 ジムの泣きそうな声を無視して、ジョージは手持ちの消毒液を脱脂綿に染みこませて患部を拭う。うっとジムが呻いたが、構っている余裕は無かった。一刻も早く治療をしなければ、彼らーーゾンビのようになってしまう可能性も十分にあるからだ。
 消毒した患部に傷薬を塗り込み、丁寧に包帯を巻く。十分も経過しないうちに、怪我の治療は終わった。
「さあ、これでいい。少しは楽になると良いんだが」
「怪我はいいんだけどさ、さ、寒くて…」
 見ればジムの唇は真っ青になっている。ケビンはもう冷房装置を止めただろうか。しかし、この研究施設全体に行き渡っていた冷気が逃げるまでにはまだ時間が掛かるだろう。
「私の上着を着ると良い。少しは…」
「いいよ、今度はジョージが寒くなる」
「しかし、それでは君が」
 そこまで言って、ジョージはふと思い出した。大学時代に所属していたアウトドアサークルで学んだ、遭難時の暖の取り方だ。
 この寒さの中、一番熱を持っているのは自分ーー人間だ。火種も何も無い以上、自分たちの体温は自分たちで守らなければならない。それが、どんな場合であっても。
 ジョージはジムの隣に座り、おもむろに上着を脱いだ。そして、
「ジム、少し窮屈かも知れないが、我慢してくれ」
 え、とジムが思った次の瞬間、ジョージは覆い被さるようにしてジムに抱きついた。その突然の行動にジムはただ目を白黒させるばかりで、状況を把握するまでに少し時間が掛かった。
「こうすれば少しは暖かいだろう?」
 そうしてジョージはジムの腕を自分の上着に通させ、自分の手はジムの体をしっかりと抱きしめる格好になった。頬はぴったりと寄り添い、こんなシチュエーションでなければ、そして男同士でなければまるで恋人達のような格好だ。
「ジョージ、その、ちょっと、あのさ」
「黙って。今は少しでも体温を回復させるんだ」
 ジムの冷たい頬とジョージの冷たい頬が重なった所から、じわじわと暖かさが伝わり始めた。腕も今はジョージの上着に守られ、体が火照っていくのがジムには分かった。でも、それはこういう格好になったからというよりも、とてつもない恥ずかしさからくるものだということも分かっていた。
 こんな風に人に抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう。彼女もここ一年ほどはおらず、肌を重ねる相手もいなかった。それだけに、その心地よさが次第にジムから恥ずかしさを奪っていった。むしろ、このままずっとこうしていたいという錯覚すら覚え始める。
 ジョージにしてみればそれは医療行為の一環だったのかも知れない。しかし、ジムは純粋に嬉しかった。優しく抱きしめ自分の体温を分け与えてくれるジョージのその行動が。
「どうだい、少しは暖かくなってきただろうか」
「うん、さっきまでとは大違いさ!有り難う、ジョージ」
「困ったときはお互い様だからね」
 にっこりと微笑むジョージに、ジムは本当に感謝した。

「さて、そろそろターンテーブルを起動してくるよ」
 ジムにとってはあっという間の時間だったが、ジョージはどうやら自分の腕時計で時間を計っていたようだ。ジムの体にしっかりと巻き付いていた腕が解ける。
 すっとジョージの体が離れていくのが無性に寂しいと思うのはおかしいだろうか、とジムは思う。
「あ、あのさ、ジョージ…」
「ん?何だい?」
 思わず呼び止めてみたものの、何を言えばいいのか分からず、ジムは口ごもった。ジョージは戻ってきたときに聞くよ、すぐ戻るから、と言い残して機関車から出て行く。その際少しだけ外の空気が流れ込んできたが、それは前ほど寒いものではなくなっていた。
 ジョージの靴が床を叩く音が聞こえ、それもやがて遠くなった頃、不意に銃声がジムの耳をつんざいた。まさか化け物がいたのだろうか??俄に不安になり、ジムは外に出ようと立ち上がった。が、その瞬間激しく怪我が痛んだ。まるで外に出るなと言うかのように。
 数発の銃声の後、何かが起動するような音がして、急にモーター音が辺りに響き始めた。どうやらジョージがターンテーブルを起動したらしい。早く、早く戻ってきてくれ、と半分祈るような気持ちでジムは待った。ぎゅっと両手を握りしめ、目を閉じながら。ジョージ、ジョージ。上着も借りたままだし、外はまだ寒いだろうから、早く。
 嫌な胸騒ぎを感じながらも、ジムに出来る事はそれしかなかった。武器らしい武器もなく、外に出ても戦えないと自分自身で分かっていたからだ。
 どれくらい経っただろう、不意に扉が開く音がして、ジムはがばっと顔を上げる。
 そこにいたのはケビンだった。しかし、ケビンの表情は硬く、顔面蒼白だった。
「ケビン?無事だったんだな、よかった。……ジョージを見なかった?ターンテーブルを起動しに出て行って、戻ってないんだ」
「ジョージは……もう戻らない」
「え?どういう事だい?ケビン、説明してくれよ」
「あの化け物に、やられて…俺が見つけたときは、もう駄目だった」
「駄目?駄目って、どういうこと…」
 ジムにはケビンの言うことが信じられなかった。むしろ、ケビンの言葉を受け入れたくなくて、言っている意味を理解したくなくて、頭が混乱しているのがわかる。
「ひでえもんだよ、あのでけぇ爪でばっさり…喉が掻き切られてた。操作盤に倒れかかるようにして…」
「ジョージ!」
 思わず外に駆け出そうとするジムの肩を掴んでケビンが止める。
「駄目だジム。今そとにはあいつらがうようよしている。倒せるだけ倒してきたが…早く上に行って逃げた方がいい」
「でもジョージは?ジョージが」
「もう助からねえって言ってんだろ!?」
 ケビンは思わず声を荒らげ、ジムはその声にびっくりして喋るのを止めた。
「万が一よ、ジョージみてえな医者がもう一人いれば、そんで俺が戻ってくるのがもう少し早かったら…助かってたかもしれない。でもよ、今は俺とお前しかいないし、俺は戻ってくるのが遅すぎだ。何もかも手遅れなんだよ」
「そんな……」
 がっくりと、ジムはその場に崩れ落ちる。まだ感謝の気持ちも満足に伝えていなかったのに、もうジョージと話すことも会うことも出来ないんだと分かった瞬間、全身の力が抜けた。
 二人の間に重苦しい空気が漂う。二人とも、自分の無力さを恨み、ジョージを助けられなかった事を悔やみ、そして、これが現実なのだと、止めどなく溢れる涙をそのままにして、自分に言い聞かせるしかなかった。
 そうして二人を乗せたターンテーブルは上昇を始めた。ジムはジョージの上着をぎゅっと握りしめ、そしてまた涙を流すのだった。