残光



「ううっ、寒い……」
 まるで冷凍庫の中だ。ほら、化け物も凍ってやがる。
 吐く息が瞬く間に凍って細かな氷の粒となり、俺の頬にくっつく。その所為かもう頬の感覚はない。冷たいというよりは、痛い、だな。
 季節は9月の終わりだが、未だにラクーン市内は日中は暑い日が続いていたから、俺はこうして半袖を着ている。それはデビットだって同じだ。あいつは半袖というよりは、つなぎの袖を捲りあげた状態だったが。
 しかし、異常だろう、この温度…地下だからって寒い理由にはならないぜ!!
 銃に弾を込めようとして、手が思うように動かない。ボロボロと弾を取り落としてしまい、俺の足下にはいくつか転がっている。何とか詰め終わって拾おうかとした矢先、ぬっと目の前に手が差し出された。
「ほら」
 その手の上には、俺が落とした弾丸が乗っている。
「サンキュ。お前も、優しいところあるんだな」
「フン……」
 ざらっと一握りで受け取って、ポケットにねじ込んだ。幸いそれは床に落とさずに済んだ。
 しかし、いつまでこの寒い所にいなくちゃならないんだ…?

 別行動していたアリッサが、この寒さの原因を突き止めた。
 何でも、外で凍っていた化け物が暴れ出して手に負えなくなったため、施設ごと凍らせてしまった、というわけだ。こっちにはいい迷惑だぜ、全く。
「今その装置を止めたから、寒くはなくなるけど…」
「ど?」
「化け物は溶けるわね」
「それってまずいんじゃねえの?」
 アリッサが返事をする前に、通路の向こうで甲高い雄叫びというか、とにかく人間の声じゃない声が聞こえてきた。
「……もう遅いわ!」
 アリッサが出口に向かって走り出す。あ、待って!とその後ろをヨーコが追いかける。
 アリッサは化け物の横をすり抜けたが、その後に続くヨーコは足が遅い。化け物の巨大な爪はヨーコを捉え、思いっきり腕を振り上げた。ヤバイ、と俺は銃を構える。
 と、アリッサが発砲した。見事化け物の腕に命中し、狙いがそれてヨーコは危機一髪だ。良かった良かった…って今度は俺の方へ向かって走ってきやがった!!
「アリッサ!このやろう!」
「何とかしなさいよ!警察でしょ!?」
 警察だって万能じゃない…と弁解する暇はなく、化け物は爪を振りかざして飛びかかってきた。それが嫌にスローモーションに見えたもんだから、ああ、俺は死ぬのかな、なんて少し考えてしまった。
「ケビン!!」
 デビットの叫び声でハッと我に返る。見ると化け物は床に倒れていた。一瞬、何が起きたのか分からなかったが、とにかく死ぬのは免れたって事だけは分かった。
「何ボサッとしている!早く逃げろ!」
 振り返るとデビットが恐ろしい形相で叫んでいる。ここは大人しく従っておいた方が良さそうだ。
「デビットも早く来いよ!」
「こいつを始末してから行く」
 そう言ってナイフを構えるデビットが、ちょっと格好いいと思ってしまった…とと、この非常事態に何を考えてるんだ俺!
「絶対だぞ!」
 俺はそう言って先にアリッサとヨーコが出て行った扉をくぐった。自動扉が閉じる瞬間に、嫌な叫び声が聞こえた気がしたが……デビットに限って、と俺はそう考えた。
 毒の鱗粉を振りまく巨大なモスに掴まらないように、ターンテーブルのある部屋まで走る。メインシャフトの中央部では、
デビットが戦っているあの化け物と同じやつが倒れていた。辺りに血が飛び散っているが…多分アリッサが撃ったんだろうな。
「あの女、怒らせたら絶対怖いぜ…」
 ターンテーブルにたどり着くと、既に操作盤にキーが差し込んであった。乗り物の扉の前では、ヨーコがうずくまって身体を震わせている。
「おい、大丈夫か?」
「は、はい……」
「全然大丈夫って感じじゃねえな」
 立ち上がれるか、と肩を貸そうとすると、
「ちょっと何やってるのよケビン!」
 後ろからアリッサに怒鳴られた。俺がヨーコを取って喰っちゃうようにでも見えたのか?
「何もしてねえよ」
「どきなさいよ」
 俺の弁解なんか聞いちゃいねえ。俺を押しのけてヨーコに近づくと、ハーブを渡していた。どうやら怪我をしていたらしい。ヨーコもそう言ってくれればいいものを……俺、そんなに信用されてないのか?
「あんた、デビットは?」
「何かあの化け物倒すとか言ってたぜ」
 早く来ないとターンテーブルが動き出すわよ、とアリッサが言う。確かに化け物一匹始末するにはちょっと遅い。……扉をくぐったときに聞こえた、あの嫌な悲鳴が俺の脳裏に蘇る。
「……ちょっと見てくる」
「早く戻りなさいよ」
「へいへい」
 アリッサに手だけで合図して、俺は再びメインシャフトに繋がる扉をくぐった。待ってましたとばかりにモスが襲いかかってくるが、相手にしている余裕なんか無い。
 アリッサが装置を止めたお陰で、あの身を切り裂くような寒さは感じなくなっていた。その代わり、凍っていた足下の氷が溶け、滑りやすくなっている。
「デビットーー!生きてるかー」
 大声で呼びながら先程の扉をくぐると、そこには仰天するような光景が広がっていた。
 デビットが倒れていたのだ。
「デビット!?」
 慌てて駆け寄り抱き起こす。気を失っているようでぐったりしている。その頬を叩いて名前を呼び続けると、数回目にようやく目を開けた。死んだかと思っていた俺は安堵の溜息を吐く。
「……驚かすなよ」
「戻ってきたのか……」
「あんまり遅いからさ」
 肩を貸して立たせると、よろりと足下がよろめいた。相当重傷らしい。かばうように腹を覆う手の隙間からは赤い滲みが見えた。
 こういうときに限って、俺の持ち物にもデビットの持ち物にもハーブがない。仕方なく、肩を貸した状態で俺は歩き始める。デビットも何とか足を動かして俺に合わせる。
「アリッサがさ、ターンテーブル起動しやがって…勝手に起動するなっての」
 なあ、と言うと、デビットは真剣な顔で俺に言った。
「俺を置いていけ。お前の足なら、まだ間に合う」
「な…!そんなこと出来るわけないだろ!」
 しかしデビットは俺の手を振り払う。その途端よろめいて俺の方へ倒れ込んできたのを咄嗟に支えた。ほら、一人じゃまともに歩けやしないくせに!
「あと少しだ。さっきのペースでも間に合う」
 そうは言ったものの、正直確信はなかった。もしかしたら置いて行かれるかも知れないという焦りが俺の中にあったのも事実だ。
 こんな寒い地下の施設で、あんな化け物と一緒に暮らすなんて無理だ。命がいくつあっても足りない。
 そして、ターンテーブルに乗れなかったら、強制的にそうなってしまうことも、分かっていた。
「なあ、デビット。ここまで来たら一蓮托生だろ?」
「……クソが」
「俺に言わせれば、お前も相当なクソ野郎だよ」
 再び俺はデビットの肩に手を回し、半ば強引に足を進めた。

 ターンテーブルの部屋にたどり着いた頃には、大音量で警告音が響いていた。発車が近いことを示しているのだろう。でも、まだターンテーブルはそこにあった。
「デビット!ケビン!早く!!」
 乗り物の後ろから、アリッサが叫んでいる。今行く!と俺は開いた方の手を振った。そしてデビットを引きずるように乗り物目指して歩き出す。
 しかし、運命ってのは本当に非情だ。俺たちの足がターンテーブルまで後一歩、いや半歩も無かったかも知れない。とにかく、あと少しって所で留め金が上に上がり、見る間にテーブルが浮き上がっていく。俺の目の前で。
「ケビン、走れ!」
 俺の隣でデビットがそう叫んだけど、そんなこと出来るわけないだろ。
「ケビン!デビットーーーー!!」
 ヨーコの叫び声が聞こえる。誤解が解けなかったのだけが残念だ。まあ、アリッサがいればヨーコは大丈夫だな。あの女、強いし。
 でも、デビットには俺がいないと駄目なんだ。だって、もう倒れそうなのに、置いていけるわけねえよ。
「またな!会えたら上で会おうぜ!」
 努めて明るく、俺はそう言った。その声があいつらに聞こえたかは分からないが。
 上昇を続けるターンテーブルを見上げながら、デビットはバカヤロウと俺に言う。
「何故行かなかった」
「そんなの、分かり切ってるだろ?」
「俺を置いていけば、お前は助かった。仲間を優先して自分の命を無駄にするなんて、馬鹿のする事だ」
「それはお前もだろ?あの時俺を逃がすために、化け物と戦ったお前も、同類だ」
 そう言うと、デビットは溜息を吐いてその場に座り込んだ。俺もその隣に腰を下ろす。
「……これからどうするつもりだ?」
「どうするかな…アリッサがまたターンテーブルを下ろしてくれれば良いんだが…それまで生き残れるかな?」
 目の前に開いた巨大な空洞を見ながら、俺たちは途方に暮れた。
「ま、取りあえず休憩しようぜ。動くのはその後」
「…何処まで馬鹿なんだ、お前は」
 暫く黙って二人座っていたが、俺は言い忘れていたことを思い出してそれを口にした。
「あ、言うの忘れてたけど、俺、お前のこと好きなんだ」
 だからお前を見殺しにしたくなかったし、こうして二人で座ってるの、全然オッケーだ、と言うと、何故か殴られた。しかも、スパナで。
 でも、デビットの顔が赤くなっているのも分かった。つまり、デビットもオッケーって事だ。
 俺も好きだ、とは言ってくれなかったが、その代わりデビットは俺に口づけてきた。その唇は血の味がした。今の俺たちに似合いのキスだった。
 ついでにその身体を俺に預けてきた…んじゃない。押し倒してきたんだ。予想外の展開に力を入れる暇もなく、俺の身体はあっさりとデビットの下になっていた。ニヤリと笑うデビットの顔が獣を狙う野獣のそれで、直感的に俺、喰われるのかなと思った。さっきの化け物よりもよっぽど怖い。
「ケビン」
 傷が痛むのか、それとも違う理由からか、少しデビットの声は潤んでいたような気がする。
「いいぜ」
 そうして俺はデビットの下で、規則正しく並ぶシャフトのライトを見上げていた。