無感



 ふらつく身体に鞭打って、やっとの思いでアパートまでたどり着くと、ドアの前にデビットが待っていた。
「…やあ」
 今のジョージにはその言葉を発するだけで精一杯だった。少し気を緩めれば崩れ落ちてしまいそうな、そんなぎりぎりの所で意識を保っていたからだ。しかし、デビットの前なら倒れ込んでもきっと彼が介抱してくれるだろうという甘い期待を感じなかったわけではない。
 デビットにどいてくれ、というと、彼はすっと身体をずらした。その間にポケットから鍵を引っ張り出し、それを鍵穴に差し込む。かちっと鍵の開く音と同時にドアを開け、部屋の中に転がり込んだ。
「おい、大丈夫か」
「大丈夫そうに見えるかい?」
 ジョージにしては珍しく皮肉で返して、リビングへと移動する。デビットは開いたままだったドアを閉め、ジョージの後を追った。
 ジョージはソファに横たわっていた。鞄はテーブルの上に投げ出され、中身がはみ出している。ジャケットは椅子に引っかかっていた。カッターシャツとスラックスだけになり、ネクタイを緩めながら言う。
「今日は駄目だよ」
「何が」
「セックス。その為に来たんだろう?」
 君の考える事なんか…とジョージは笑って、抜いたネクタイをジャケットが引っかかっている椅子に向かって投げた。しかし、わずかに届かずそれは床に落ちた。デビットはどうして良いか分からず、取りあえずネクタイを拾い上げると、ジャケットと共に椅子にかけ直す。
「今日は疲れてるんだ…」
「見れば分かる」
 なら帰ってくれないか、とジョージは言った。せっかく来てもらったところ悪いけど、と付け加えて。
 デビットは何か考えていたようだが、玄関とは逆方向にあるキッチンへと移動した。そして、勝手に冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注いでジョージの所へ持って行く。
「…いらない」
 デビットはジョージが酒を飲んでいるのだと思っていた。しかし、今グラスを持って近づいてもアルコールの匂いはしない。その代わり、ジョージのものとは違う、趣味の悪いオーデコロンの匂いがした。
「何があった」
「何があったかって?知りたいのかい?でも駄目だ」
 嫉妬深い君のことだ、私を殴り殺すだろう。でもまだ死にたくないんだよ、という言葉はどこまで本気だろうか。ジョージは既に自分が何を言っているのか分かっていないようだった。
「ジョージ」
 手に持ったグラスがじっとりと汗を掻いてデビットの手を濡らす。それをテーブルの上に置くと、手は拭かずにジョージの頬に触れた。熱を持った頬は誰かに殴られたのだろうか。
「ああ、冷たいね君の手は」
 気持ちいいよ、とジョージは目を細めた。その表情がデビットを煽る。格好にしてもそうだ、普段はかっちりしたスーツに身を包んで肌の露出は最低限だというのに、今ははだけたシャツから胸元まで見えてしまいそう。乱れたその姿を見せられて我慢しろという方が無理というものだ。
 足下のクッションが沈み込んだかと思うと、デビットが覆い被さってくるのが分かった。
「駄目だと言っただろう」
 顔をしかめてデビットの身体を押し返すが、全く力の入っていない手は単なる飾りだ。デビットが更に身体を倒すと、あっけなく陥落した。
「我慢できない」
 シャツの裾をスラックスから引き出し、そこから手を入れて肌に触れる。先程触った頬と同様に身体も熱い。熱があると言われたら納得してしまうくらいに、ジョージの身体全体が火照っているのだ。
 しかし、下半身は全く反応を示さない。いつもならばデビットが触っただけで熱のこもった溜息を漏らすというのに。それが腹立たしくて、デビットはジョージの胸に手を伸ばす。女のそれとは違い柔らかさは全くないが、それでも触れば反応を示す。少なくとも、今まではそうだった。
「無駄だよ」
 ジョージが乾いた笑い声を上げた。いくら君が触ったところで快感を引き出すことは出来ないよ、と。
「何故だ」
「さあ?」
 何故だろうね、というジョージはまるで他人事だと言わんばかりだ。自分の身体だろうとデビットが言うと、今は違うとジョージは言った。
「薬の効果は半永久的だ。解毒剤もあるにはあるが、私が手に入れることはほぼ不可能だ」
「自分で作れば良いだろう」
「おいおい、簡単に言ってくれるな。私が作れるのは簡単な解毒剤や回復剤だけだよ。あんなもの、それ用のキットさえあれば簡単に作れる」
 何故お前にそんな薬を投与するメリットがある、とデビットが問う。
「おそらくはあの事件…ラクーンシティでの出来事を公表して欲しくないからだろうね。今書いている論文はT-ウィルスと呼ばれているウィルスとデイライトに関するものだから」
 その論文が世間一般に公開されれば、アンブレラ製薬は困るだろう。ジョージは再三忠告されてきたが聞く耳を持たないという感じで全て突っぱねてきたらしい。それで今回、相手はこの様な手段に出たというわけだ。
「どうしてそこまであの事件にこだわる。もう忘れろ。そうすればこんな事にはならなかった」
 デビットは唇を噛む。そんな彼を見て、ジョージは言った。
「何も見なかったことにしてしまうのは簡単だ。でも、私には出来ない。二度とあんな悲劇を繰り返さないために」
「…それでお前がこんな事をされなければならないのか」
 デビットはジョージのシャツを力一杯引いた。ボタンが耐えきれずに飛んでいったが構わない。
 露わになったジョージの肌には無数の傷が刻み込まれていた。肌が火照っていたのはその所為だろうか。鞭で打たれたらしいミミズ腫れのような傷や青あざ、そしてキスマーク。これを見ただけでもジョージの身に何があったのか容易に想像できる。
 続いてデビットはスラックスも下着と同時に引き下ろした。そして後ろに手を伸ばし、奥に指を入れる。明らかに何かが入っていた痕跡が残っていた。何が入っていたのかは、言われなくても分かる。
「クソッ」
「だから駄目だと言ったのに」
 悲しそうな表情でジョージが言う。君には見られたくなかったよ、と。
「…シャワーを浴びてこい」
「無理だ。もう動けない」
 明日の朝浴びるよ、と諦めたかのようなジョージにデビットは苛立つ。どうしてここまでされても平然としていられるのか分からなかった。何故、どうして。地獄から必死に逃げてようやく平穏な暮らしを手に入れたはずではなかったのか。
 理不尽だ、とよくジョージが口にする言葉は、こういうときに使うのだろう、とデビットは思った。
「どうしようもないのか」
「ああ、無感になるだけだからね。命に別状はないよ。ただ、今後その保障はないが…」
 その時ようやく、ジョージに苦痛の表情が浮かんだ。その時の事を思い出しているのだろうか、それとも別の事か。
「…今日は帰ってくれないか」
 もう喋りたくないと言って、ジョージは黙り込んでしまった。デビットにはどうする術もない。仕方なく部屋から出て行くことにした。去り際、ジョージに向かって、
「お前が許せても、俺は許さん。必ず復讐する」
 返事は返ってこなかった。そのまま何も言わずジョージのアパートを後にする。
 帰り道、デビットはすっかり凍りついてしまったと思っていた自分の心が、熱くなるのを感じていた。相手が何処の誰だろうが、必ず復讐する。そう呟いて、握りしめた拳に更に力を入れた。