いつも慌ただしい二人



 助手席に座った克哉が抱えている鞄の中で、携帯が鳴るのが聞こえた。ごそごそと鞄からそれを引っ張り出した克哉は、サブウィンドウに表示された相手の名前を見て少し考えるような素振りを見せる。
「どうした、出ないのか」
 御堂はハンドルを右に切りながら、克哉に言った。その間にも着信を知らせるメロディが流れ続けている。克哉は曖昧な返事をした。その間に電話が切れてくれればいい、と思いながら。
「いえ……」
「誰からだ」
「本多から、です」
 御堂が怒ると思ったのだろう、克哉は消え入りそうな声で答えた。そんなに懐の狭い男だと思われているのかと少し心外だったが、確かに今までの行動を顧みれば、そう思われても仕方ないかも知れないと御堂は考え直した。
「出なさい」
「え?」
「早く」
 あ、はい、と克哉は慌てて携帯を開いた。もしもし、と言いながら耳に当てたそれから、本多の声が聞こえてくる。相変わらず大きな声だ、と溜息を吐きたくなるのを堪えながら、御堂は運転を続ける。
 話の内容までは分からない。時々聞こえる本多の声と、克哉が曖昧に返事をしている様子から、また飲みにでも誘われたのだろうと察した御堂は、克哉がどう答えるか見ている事にした。
 克哉は御堂のことを気にしてか、ちらちらと視線を投げてくる。が、御堂はそれに気づかないふりをして、正面を向いたまま車を運転し続ける。
 本多の話はまだ続いている。克哉が困っているのが分からないのか、と言ってやりたい衝動に駆られたが、そこをぐっと堪えた。
 その時、目の前に迫った交差点の信号が赤に変わって、御堂はゆっくり車を停止させる。それと同時に、ようやく克哉の電話も終わった。ぱたんと折りたたみ式の携帯を閉じた途端、はぁ、とため息を漏らす様子に御堂は苦笑した。
「長かったな」
「本多が、最近付き合い悪いとか、飲みに行かないかとか色々」
「断ったのか?」
「はい」
「どうして」
「どうして、って……そんなの、決まっているじゃないですか」
 これから週末を御堂さんと過ごすって決めたんですから、と言う克哉を、御堂が目を丸くして見ていた。その表情に、何かおかしな事を言ったのかと克哉の方が不安になる。
「あの、オレ」
 再び目の前の信号が青色に変わった。途端、アクセルを踏み込んで車を急発進させる。先ほどまでとは打って変わって乱暴な運転だという自覚はある。重力で身体がシートに押しつけられるような感覚を味わいながら、御堂は先を急いだ。
 克哉が驚いた顔をして御堂に言った。
「御堂さん!どうしたんですか」
「早く家に帰ろう。君を抱きたくて仕方がない」
 さらりと言ってのけた言葉に、克哉は顔を赤くした。口をぱくぱくさせて、何か文句の一つでも言おうと考えているのだろうが、結局一言も発せられることもなく、車は御堂のマンションの地下にあるガレージに滑り込んだ。
「降りなさい」
 些か乱暴に車を止めて、もどかしげにシートベルトを外すと、御堂はさっさと車から降りた。克哉も慌ててそれに倣い、御堂の後ろを追いかける。
 エレベーターはすぐにやってきた。地下の駐車場から遙か上階にある御堂の部屋まで運ばれる間、二人はお互いを嫌と言うほど意識していた。少しでも肌が触れれば、そのままそこで事に及んでしまうだろうことは分かっていたから、御堂は奥に、克哉はエレベータのボタンのすぐ側に、少し離れて立っている。
 他にエレベータに乗ってくる人もいない。デジタル表示されている階数が、めまぐるしくその形を変えている。張り詰めた空気の中では呼吸をするのも苦しい。
 小さいベルの音が鳴って、ようやく扉が開いた。克哉より先に御堂が降りる。克哉もそれに続いて御堂の部屋へ向かう。
 御堂がカードキーを扉の差し込み口に入れて扉を開ける。暗闇に包まれた室内に、御堂の背広が同化する。今日に限って、黒に近い紺のスーツを着ていたのだ。
 いつもならば人の気配に反応して明かりが付くはずの玄関なのに、今日に限ってはそれが作動しなかった。電球が切れたのかと克哉が訝しげに天井を見上げていると、ぐい、と手を捕まれて室内に引っ張り込まれた。身体がよろめき、玄関先に立っていた御堂に身体を預ける格好になる。
 捕まれた手首が熱い。
「御堂、さん」
 そのまま後ろの扉が閉まった。バタン、という音を合図に、パブリックな世界からプライベートな世界へ隔離された気がした。いや、実際にそうなのだ。ここは御堂の部屋の中であり、周りの視線を気にする必要はないのだから。
 暗闇に慣れた目が、お互いの輪郭を捉える。克哉には御堂の目が、欲情を含んで鈍く光ったように見えたし、御堂には克哉の目が自分に対して欲しい、と訴えかけているように見えた。
「克哉」
 熱に浮かされた声が聞こえて、気がつけば克哉は御堂の唇に自分の唇を重ねていた。冷たい空気にさらされて乾いた唇が見る間に潤っていく。
「っ……はっ、あ……」
 小さな水音があたりに響く。玄関先で、靴も脱がずに何をしているのだと思わなくもなかったが、それよりも自分の中に抱いた欲望の方が大きくて、二人ともすっかりそれに飲まれていた。御堂の手が克哉のベルトを外そうと荒々しく動き回り、克哉の手も同じように御堂の腰のあたりを這っている。冷たい金属を探り当てて、そっとベルトを引き抜いた。
「ん……っ」
 その間に、長い長いキスを終えて、一筋の糸を引きながらようやく二人の唇は離れた。廊下の奥に位置するリビングの、大きなガラス窓から取り込まれる僅かな光が濡れた唇を怪しく光らせる。
「寝室へ……行きませんか」
「我慢できない」
「それなら、せめて、ソファーで」
「……分かった」
 克哉の譲歩に御堂も頷き、二人は縺れ合いながらリビングになだれ込んだ。優に三人、いや四人は座れるだろう海外製のソファーはこういうときに便利だ。張りのある背もたれに身体を押しつけられながら、克哉は自分の唇を舐めた。
 二人のセックスはいつも突然始まる。御堂が克哉の身体に触れて、それからこうなってしまうこともあるし、逆に克哉が御堂を誘うこともある。どちらも、雰囲気に流されるというよりは、何らかのスイッチが突然入った所為でこうなった、と言う方が正しい気がする。
 慌ただしくお互いの服を脱がせ合いながら、克哉も御堂も、相手に溺れている自分を再認識するのだった。