特別なひと



 佐伯さん、と後ろから呼び止められて振り返ると、女子社員が二人、頬を染めて克哉の方を見ていた。
「はい、なんでしょうか?」
「あの、お願いがあるんですが」
 髪をポニーテールに結った方の社員が、綺麗にラッピングされた箱を克哉に差し出した。そして、
「これを、御堂部長に渡して欲しいんです」
「御堂部長、確か今日が誕生日ですよね?」
 え、そうなんですか、という言葉を克哉は慌てて飲み込んだ。そんなこと、御堂はひと言も言っていなかったし、御堂が余り自分の事を話したがらないという事もあって、今まで克哉も誕生日について尋ねなかったのだが。
「分かりました、渡しておきます」
 断る理由も思いつかず、克哉は仕方なくそれを受け取った。
「有り難うございます。お願いしますね」
 ぺこりとショートカットの社員が頭を下げ、二人は足早にその場から立ち去った。手に渡された包みを持った克哉は、どうしよう、と内心焦る。
 今日が御堂の誕生日だと知っていれば、自分もプレゼントを用意できたのに、と少し悔しかった。それに、これを御堂に渡すとなると、誕生日の話題に触れないわけにも行かないだろう。そこで克哉からのプレゼントが無いとなると、御堂の機嫌を損ねることになるかも知れない。
 時計に目をやれば、時間は午後二時。この後打ち合わせの予定はないから、フレックスで退社しプレゼントを探しに行くという手もある。しかし、御堂の好みに合い、かつ現在持っていないものとなるとすぐには思いつかなかった。
 はぁ、と溜息を吐いて手に持った包みを見た。一瞬、このまま捨ててしまおうか、と悪魔のささやきが聞こえた気がした。御堂の性格からして、彼女たちにお礼を言うとは思えない。それならば、ここで捨てても、誰にも分からないのではないか……
「って、何考えてるんだオレ」
 胸の内に湧いた暗い考えを振り払うように首を振ると、部長室へと向かう。誕生日プレゼントだという事には触れず、「渡してくれ」と頼まれたのだと言って渡そう、と思った。それに、彼女たちのプレゼントをこのまま自分で持っているのも嫌だった。
 部屋の前まで来ると、克哉は僅かにネクタイを直して、そして二度ノックした。
「失礼します、佐伯です」
「入れ」
 承諾を得て室内に入ると、御堂は何やら難しい顔をしてデスク上のモニターを睨んでいた。邪魔をしないようにそっとデスクに近づいて待っていると、御堂は克哉の方に視線を移し、どうしたんだ、と用件を促す。
「あの、これ」
 克哉は後ろ手に隠していた包みを御堂の方に差し出す。
「これは?」
「預かり物です。女子社員二名から……御堂部長へ。名前が分からないので恐らく第一室のメンバーではないと思うのですが」
 克哉の回答に御堂は僅かに肩を落とした。しかし克哉はそれに気づいていない。
「……私にか。全く、こういうことをされるのは嫌いだと前から言ってあるのだが、他部署の人間ならば仕方がないな」
 些か乱暴に克哉からその包みを受け取った御堂は、中身を確認することもせず傍らに置くと、再びモニターに視線を戻した。そして、
「今度同じようなことを頼まれたら断るように」
「え?ですが、せっかく」
 彼女たちが、と言いかけた克哉を御堂の言葉が遮った。
「私はこのような個人的な贈与は好きじゃない」
 取り付く島もない御堂に、自分のプレゼントを用意しなくて良かった、と克哉は内心安堵していた。もし彼女たちのプレゼントのように、中身も見られずその場に置かれたままになるのでは贈る意味がないし、自分のプレゼントが同じように扱われる事を考えると、悲しくなってしまう。
「以上です。……それでは、失礼します」
「待て、佐伯」
 部屋を出ようとすると、御堂が立ち上がって克哉を呼び止めた。名字で呼ばれ、仕事の話かと足を止める。が、次の瞬間ぐいと手を掴まれて御堂の方へ引き寄せられた。
 バランスを崩してよたよたと足を動かすと、どさりと御堂に身体を預けるような形になってしまった。慌てて身体を離そうとするが、御堂に背後から抱きしめられ、それも出来ない。
「御堂部長、離してください」
「……私にまだ何か用があるのではないか?」
 耳元で囁かれる。その言葉に微かに熱を感じたが、今は仕事中だと思い直し、努めて冷静に答える。
「いえ、特にありませんが……」
 ここに来た理由は、先程のプレゼントを渡すためだけだ。しかし、その回答は御堂には不満だったようで、ドン、と突き放すようにして身体を離されると、そうか、とだけ言って再びデスクに戻っていった。克哉は何が何だか分からず困惑の表情を浮かべたが、御堂が再びこちらを見ることはなく、仕方なく部屋から出た。


「御堂さん、何で怒っていたのかなあ……」
 その日はそれ以上御堂と会う用事もなく、克哉は退社して家路についた。
 誕生日の事に触れなかったから怒っているのだろうか。しかし、御堂自身が「個人的な贈与は好きじゃない」と言ったのだ。だから克哉は誕生日のことも、プレゼントの事も言わなかったというのに。
 そこまで考えて、ふとMGNに転職する前の事を思い出した。御堂と出会う切っ掛けとなった、プロトファイバーの販促の仕事……あの時、確か克哉は御堂へワインを持って行った。そしてそれを御堂は受け取ってくれた。今日渡した彼女たちのプレゼントのような適当な扱いではなく、きちんと中身を見て。
 それはどうしてだろうか。彼女たちのプレゼントと自分が持って行ったワインの何が違うのだろうと克哉は考える。あまりに真剣に考えすぎて、危うく赤信号の横断歩道を渡ってしまいそうになった。
 車が猛スピードで克哉の前を通りすぎる気配に慌てて顔を上げると、赤く光る信号と横断歩道、そしてその向こう側に酒屋が見えた。御堂が受け取ってくれたワインを買った店だった。あの時の様にワインを買っていけば、受け取ってもらえるかもしれない、という思いが胸を過ぎる。それに、今日ならば、誕生日プレゼントです、という口実もある。
「……御堂さん、まだ会社にいるかな」
 携帯電話を取り出し、短縮ダイヤルを押そうとして、ふと指が止まる。こんな事をしたところで、果たして御堂は喜んでくれるだろうか。もう付き合って数ヶ月になるというのに、克哉は御堂の考えている事が分からない事の方が多かった。
「どうしよう……」
 目の前の信号が変わり、克哉の周りにいた人たちが一斉に動き出す。しかし、克哉は横断歩道は渡らず、御堂のマンションがある方向へ踵を返すと、一人流れに逆らうようにしてその場を後にした。
 走って走って、御堂の部屋にたどり着いた時には額から汗が流れ落ちるほどだった。ハンカチでそれを押さえ、乱れたネクタイとジャケットを整えてから、克哉はインターホンを押した。何度も来たことのある御堂の部屋に、電子音が響いている様子が容易に想像できる。
 反応がないことは覚悟の上だった。少し待ってからもう一度押す。御堂の部屋に電気が点いていたのは先に確認していたから、御堂は帰っている筈だ。カードキーも渡されているから勝手に部屋まで行くことも可能だったが、克哉はそれをしたくなかった。御堂に、開けて欲しかった。
 もう一度、三度目のボタンを押そうとしたその時、すうっと自動ドアが開いた。しかしインターホンからは何も聞こえてこない。これは克哉のために開いた扉なのかと判断に迷っていると、不機嫌そうな御堂の声が聞こえた。
「……早く入ったらどうだ」
「あ、はい、有り難うございます」
 エレベータに乗って御堂の部屋の前にたどり着くまで五分と掛からない。不安でいつもよりも早く脈打つ心臓に手を当てながら、部屋の前まで来ると、ドアに取り付けられたインターホンを押した。
「君は律儀な男だな」
 そう言いながら扉を開けた御堂は、呆れた表情で克哉の方を見た。
「鍵を渡しているのだから勝手に入ってくれば良かっただろう」
「それじゃあ駄目なんです。オレ、昼間御堂さんに言い損ねた事があって、それで」
 勢いよく話し出した克哉を御堂は手で遮り、辺りに視線を走らせると、
「……とにかく入りたまえ。ここでは人に見られる」
「はい」
 重厚な扉の内に身体を滑り込ませ、それを閉める。しかし、靴は脱がない。御堂はどうした、と克哉に部屋に上がるよう促すのだが、ここで、と頑なにそれを断る。
「あの、御堂さん。お誕生日、おめでとうございます」
 克哉の口から漏れた言葉に、御堂は驚いたような表情を浮かべた。
「その、オレ、今日が御堂さんの誕生日だなんて知りませんでした。昼間にお渡ししたプレゼントを預かって初めて知ったので、オレからのプレゼントやケーキを用意できなかったんです」
「克哉」
 名前を呼ぶ御堂の声に、微かに責めのニュアンスが含まれているような気がして、克哉はぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい。来年は必ず」
「……克哉。君はあのプレゼントを預かったとき、どう思った?」
「え?」
「君は言わなかったが、おおよそ私の誕生日プレゼントだと言って渡されたのだろう?」
 全て御堂にはお見通しだったということか。克哉の顔がさっと赤くなる。
「ええと、その、自分の……恋人の、御堂さんの誕生日を知らなかった事にショックを受けました。せめて一週間前に分かっていれば、色々用意出来たんですが、当日では、とても」
「それでは、私がそれを受け取ったときは」
「……少し彼女たちが可哀想になりました。それに、個人的贈与は好きじゃないって言っていたから、オレがプレゼントを持って行っても同じだったかな、って思って、それであの時何も言わなかったんです。それに、御堂さんはオレに今日が誕生日だなんて教えてくれなかったじゃないですか」
 聞かなかった自分も自分だが、と付け加える。御堂ははぁ、と溜息を吐くと、君は分かっていないと愚痴をこぼした。
「私は誰からでもプレゼントが欲しいというわけではない」
「どういうことですか?」
「まだ分からないか?」
 玄関に立ったままの克哉に近づくと、御堂はその肩をぐい、と抱き寄せた。段差の所為もあり、あっさりと顔が御堂の胸に納まる。
「個人的な贈与、と言ったのは、仕事関係の人間から、という意味だ。君は確かに私の部下だが、恋人でもある。そんな君からのプレゼントと、一社員からのプレゼントでは、扱いの違いがあって当たり前だろう。……私だって、君からのプレゼントならば、適当な扱いはしないさ」
 顎に手を添えられ、ぐいと仰向かせられると、そのまま御堂の唇が降ってくる。
「とはいうものの、君には誕生日を教えていなかったのは事実だ……今年はこれで我慢してやる」
 きつく唇を吸われて、身体の奥が疼くのを感じた。思わず克哉は御堂の背中に腕を回すと、しがみつくようにして力を入れる。そうでもしなければ立っていられなかった。
「……御堂、さん」
「来年は期待しているぞ、克哉」
「は、はい」
 それもプレッシャーだなあと思ったが、口には出さなかった。代わりに、もう一度お誕生日おめでとうございます、というと、今度は克哉から御堂の頬に口づけた。