土産物は好きじゃない



「もらい物だ」
 御堂が克哉に差し出した袋には、見事な桃が二つ入っていた。取引先に顔を出した際、土産だと言って押しつけられたのだ。御堂は仕事上物を送ったり送られたりする事をあまり快く思っていないのだが、今回は咄嗟のことで断り切れなかったと溜息を吐く。
「こういう風に果物を貰っても余り食べないのだが……」
 克哉は御堂から受け取った袋をまじまじと覗き込んでいる。その間にも御堂はネクタイを緩め、上着を脱いでクローゼットに収めていく。
 着替えが終わり、くるりと克哉の方を見ると、まだ袋を覗き込んでいた。
「克哉。どうした」
「オレ、こんなに美味しそうな桃を見たのは久しぶりです。剥きますから、一緒に食べましょう」
「そうか?」
 御堂には皮を纏った状態のそれが「美味しそう」だとはとても思えなかった。桃が嫌いなわけではない。しかし、最近は既に皮を剥かれ、綺麗に切りそろえられた状態でしか見たことがなかったから、その状態で美味いかどうか判断することが出来なかったのだ。
「分かった、君に任せよう」
「はいっ」
 嬉しそうに返事をして、克哉はいそいそとキッチンへ歩いていく。その後ろ姿を眺めながら、たかが桃でここまで喜んでもらえるのならば、今まで断り続けてきた土産物も受け取っても良かったかも知れない、という思いが胸を掠める。
「あ、御堂さんはリビングにいてください。剥けたら、持って行きますから」
「分かった」
 キッチンの方から聞こえてきた克哉の声に返事をして、御堂はリビングへと移動することにした。
 ソファーに座って業界紙を読んでいると、あっ、という克哉の声と、間髪入れずにガシャン、とガラスが割れる音がした。それだけで、やってしまったのだと容易に想像できる。
「克哉、大丈夫か?」
 見かねた御堂がキッチンへ移動すると、案の定床には粉々に砕け散ったガラスボウルと、そこに盛られていたと思われる桃の果肉が散乱していた。克哉は今にも泣き出しそうな顔をして、御堂の顔とそれらを交互に見た。
「ご、ごめんなさい……オレ」
「ああ、そのまま触るな。指を切るぞ」
「せっかく頂いた桃も、駄目にしてしまいました」
 床に落ちてしまった桃は、ガラスの破片が食い込んでいる可能性もある。仕方ないが諦めるしかない。それは克哉も分かっているのだが、どうしてもこれに未練があるらしく、何とか出来ないかと考えているようだった。
「仕方ないだろう。桃はまた買えばいい」
「すみません……」
 中々手を動かさない克哉に代わって、御堂はシンクの上に置いてあったキッチンタオルで簡単に果肉を片づけ濡れた床を拭いてから掃除機を掛けた。どのみちハウスクリーニングを頼むつもりだったから、その程度の片づけで十分だった。
「怪我はないか」
「あ、はい」
「しっかりしたまえ。これくらいで動揺していては、私の部下は勤まらないぞ」
 急に仕事のことを持ち出され、克哉はハッとして御堂を見た。そして、もう一度すみません、というと、シンクに散らばった桃の皮をかき集め、生ゴミ用のゴミ箱に捨てた。
 これ以上ここにいても意味がないと、御堂は克哉と共にリビングへ戻る。何か飲むか、と聞いても力なく首を振る克哉に、
「……そんなに食べたかったのか?」
「果物は好きなので……最近桃なんか食べていなかったし、それに、とても美味しそうだったから」
「君は見ただけで美味しいかどうか判断が付くのか?」
 さも不思議だと言わんばかりの御堂の言葉に、克哉は驚きの表情を浮かべる。何か的はずれな事を言ったかと御堂は自分の発言を頭の中で反芻したが、特におかしいと思うところは見あたらなかった。
「え、色とか形とか……見れば大体は分かりますけど」
「ふむ、そういうものか。私には見当も付かない」
 どれも同じに見えるんだと御堂が言えば、克哉はそんなこと無いですよと反論する。
「御堂さんは普段調理された果物ばかり見ているからですよ。見慣れれば、きっと分かります」
 ようやく克哉の顔に笑みが戻ったのを見て、御堂は内心安堵した。克哉の困った顔も魅力的だが、やはり笑っている顔が一番だと気づいて以来、プライベートではなるべく表情が曇るような事をしないよう努めてきた。勿論そんなこと、克哉には言っていないが。
「今度は一緒に買いに行こう」
「えっ、いいんですか!?」
「良いも悪いも無いだろう」
「だって、御堂さんがそういう所に行くなんて、想像できなくて」
 そういうところ?一体克哉はどこで果物を買うつもりなのかと、御堂は溜息を吐いた。
「……まあいい。次の休みにでも行こう」
「はい、楽しみにしています」
 にこりと笑った克哉が愛おしくて、御堂は少し強引に克哉の手を取り自分の方へ引き寄せると、ぎゅっとその身体を抱きしめた。


 後日。
 約束通り御堂は克哉を連れて桃を買いに出かけた。
 克哉はスーパーに行くのだと勝手に思い込んでいたようだが、生憎御堂はそんなところへ行くつもりなど更々無い。老舗の果物屋の店先に車を乗り付けた時、克哉がえ、ここ?という様に目を見開いたのが思った通りの行動で、思わず笑いそうになるのを堪えるので必死だった。
「さあ、君が美味しいと思う物を選んでくれ」
 スーパーのように雑多に並べられた果物とは明らかに違う、ショーケースに入れられたそれらをぐるりと見回した克哉は、驚きで声が出ないようだった。
「み、御堂さん、これ、値段が……」
「気にするな」
「気にしますって!」
 小声で御堂にだけ聞こえるよう耳打ちする克哉が可愛くて、そのまま頬にキスしたくなるのをぐっと堪える。そして、早く選びたまえと突き放すと、克哉は散々迷った挙げ句、オレには決められません、と言って店を出て行ってしまった。
 二人のやり取りを見ていた店員が、さりげなく御堂に声を掛ける。
「お連れ様、どうかなさいましたか?」
「ん?ああ、いや、ここの商品がどれも美味しそうで決められないらしい。仕方ないな。君の見立てで桃を二つほど選んでくれ」
「かしこまりました」
 店員は素早く濃いピンク色に染まった桃を取り出すと、御堂に見せた。それはこの前土産として押しつけられ、克哉が駄目にしたそれと同じように見えた。
「それでいい」
「ありがとうございます」
 会計を済ませて店を出ると、御堂の車の前に克哉が所在無い様子で待っていた。
「ほら、これでいいか?君が選ばずに店を出るものだから、結局店員に頼んでしまった」
 御堂が紙袋を克哉の方に差し出すと、一瞬躊躇った後、それを受け取る。
「……すみません」
「何を謝る。桃は手に入ったんだ。問題ない」
「オレが選ぶって言って連れてきてもらったのに、途中で逃げちゃって……」
「気にするな」
「気にします!」
 こうなると克哉は頑固だ。取りあえず車に乗るよう克哉に言うと、克哉は渋々それに従った。車を走らせている間、克哉はずっと無言だった。マンションまで十分も掛からないのに、その時間が御堂にはやけに長く感じられた。
 車を駐め、部屋に戻る。御堂が鍵を開けて克哉がその後に続いたが、後ろ手にドアを閉めてから克哉はその場所から動こうとしない。
 克哉が一体何を考え、何に腹を立てているのか御堂にはさっぱり理解できなかった。未だに理解出来ないところがある恋人に、御堂は苛つきを隠さず、どん、と音を立てて、克哉の身体を両腕で囲い込むように後ろのドアに手を付いた。その音にびくっと身体を震わせて、克哉は御堂を仰ぎ見る。
「何が気に入らないのかはっきり言わなければ分からないぞ」
「別に、何も」
「気に入らないことがないのなら、どうしてそんな顔をする?」
「……オレ、自分が情けなくて」
「何を根拠にそう言っているかは知らないが、君は私が認めた男だ。会社でも家でも、もう少し堂々としても良いはずだ。分かったら、もう情けないという言葉は口にするな!」
「御堂さん……」
 克哉は尚も言い訳を口にしようとしたが、御堂の剣幕に言葉が続かないようだった。
 くるりと踵を返し、御堂は克哉を残してさっさと室内に移動する。動こうとしない克哉を強引に引っ張ってくることも出来たが、克哉ならば追いかけてくる、という確信があったから、敢えてそうしなかった。
「御堂さんっ!!」
 案の定、少し間を置いて後ろから克哉が走ってくる気配を感じた。そのまま、後ろから抱きつかれる。
「ごめんなさい、オレ……」
 背中に克哉の体温を感じて、御堂は軽く溜息を吐くと、
「……もういい。それより早く桃を剥いてくれ」
 それだけで、克哉には自分が許してくれていることが伝わっただろう。いや、許すも何も、御堂は別に怒ってなどいない。ただ克哉のはっきりしない態度に苛ついただけだ。
「はい」
 嬉しそうな声と共に、前に回された克哉の手がするりと離れていった。吹っ切れたらしい克哉の様子に、やれやれ、と思いながらも御堂は笑みを漏らす。土産物の桃一つでここまで騒動になるとは思わなかったと、事の発端である桃を寄越した取引先の担当の顔を思い浮かべた。やっぱり土産物なんか受け取るものじゃないと思ったが、その思いもすぐにかき消し、もうじき現れるだろう、切り分けた果肉を盛った皿を嬉しそうに運んでくる克哉を想像して、目を閉じた。
「御堂さん、桃が剥けましたよ……」