社内恋愛



「ふぅ……」
 自宅に帰った克哉は、溜息と共にネクタイを緩めた。
 キクチからMGNに転職してから早二週間が経とうとしている。自分で決めた事とはいえ、やはり働く環境ががらりと変わるのはかなりのストレスだった。
 何より、すぐ近くに御堂がいて、一緒に仕事をするということになかなか慣れない。仕事に厳しいながらも、成果を出せば認めてもらえるということはキクチ時代に身をもって実感していたから、仕事を進める上で特に問題はなかった。
 むしろ、キクチにいたときよりも一緒に仕事をする時間が増えた、という所に問題があった。
 今日も修正を頼まれてた書類を持って部長室を訪れると、真剣な顔をして書類を読んでいる御堂がいた。端正な顔立ちだと思わず見とれていると、それに気づいた御堂が意地悪く笑ってみせる。
「どうした、克哉」
 二人の関係を悟られぬよう、会社では克哉は御堂の事を「御堂部長」と呼ぶし、御堂は克哉のことを名字で呼ぶことが暗黙の了解となっていた。それなのに、時々御堂は克哉のことを名前で呼ぶ。それも、ベッドの中で呼ぶように、甘く熱を含んだ声で。
 咄嗟に休日の事が克哉の脳裏に蘇り、顔が赤くなると同時に下半身が疼いた。
「……困ります」
「何が?私は名前を呼んだだけだが」
「会社じゃ、名前は呼ばないって……」
 小さな声で反論すると、クックッと愉しそうに笑い、誰もいないのだから、と言われる。しかし、結局御堂は克哉が困って自分に縋ってくるのを待っているのだ。どうすれば克哉を煽ることが出来るのか、御堂は克哉本人以上に熟知しているように思えてならない。
「そんなところに突っ立っていないで、こっちに来たまえ。書類を持ってきたのだろう?」
 そう言う御堂はもう仕事の顔に戻っていた。本来の目的を思い出した克哉は、恐る恐る御堂のデスクに近づき、どうぞ、と書類を手渡す。御堂は受け取った書類をパラパラと捲って眺め、ふむ、と頷いた。
「なかなかよくまとまっている」
「ありがとうございます」
「だが、ここの纏め方が少々甘いな。二つの観点から分析した結果のようだが、もう一つ観点を加えた方がいいだろう」
 御堂が指し示した所を覗き込むようにして横から身を乗り出すと、いきなりネクタイを掴まれ、ぐい、と引き寄せられた。そして、強引に唇を割開かれ、舌を絡め取られた。咄嗟に両腕を机について体勢を保ったが、濃厚なキスに自分の身体を支えていられなくなる。
「んっ、……ぁっ、ふぅっ……」
 最早全ての体重を両腕だけで支えるのは限界だった。ガクガクと震える腕が崩れる前に、それに気づいた御堂がネクタイと唇を離す。解放され、バランスを崩した克哉は、そのまま御堂のデスクに突っ伏すようにして崩れ落ちた。その弾みに、御堂に渡した書類が音を立てて床に散乱する。
「御堂、さん…こんなのは、ずるいです……」
 あなたはオレがあなたに逆らえないことを知っているのに。
「君がそんな顔をするから悪い」
「そんな…!」
「君は私を狂わせる。自分がどれだけ人を誘惑しているか、考えたことがあるか?」
 何とか立ち上がった克哉の後ろに回された御堂の手が、するりとズボン越しに尻を撫でた。背筋がぞくりとして肌が粟立つ。下半身に熱が集中していくのが手に取るように分かった。
 しかし、御堂はそれ以上何もしなかった。克哉が手渡した資料を拾い集め、先程指摘した点に付箋を貼ると、修正して持ってくるように、と克哉の手に置いた。
「み、御堂……さん?」
「何だ、佐伯」
 もうそこにいるのは克哉の恋人の御堂ではなく、「御堂部長」だった。中途半端に火を付けられた身体が辛くて仕方がなかったが、ここで事に及ぶわけにもいかず、克哉は仕方なくその場を後にした。

 ……というのが昼間の顛末である。
「帰って早々溜息はどうかと思うが」
「だ、誰の所為だと思って……」
「ほう、私の所為だと言いたいのか?」
「うっ……」
 同じくネクタイを緩め、脱いだ上着をハンガーに掛けながら、御堂は愉しそうに笑う。
「全く、君は見ていて飽きないな」
「そんなぁ……特に今日みたいなことは止めてください。困ります」
「どんな風に困るんだ?」
「そ、それは……」
 言えるはずがない。キスをされ、尻を撫でられただけで、あなたとのセックスの事を考えてしまうだなんて。そんなこと言えばますます御堂の思うつぼだ。
 しかし、御堂のひと言ひと言が克哉を煽る。昼間の一件で燻っていた熱が、徐々に克哉の身体を侵食していく。淫乱という言葉が頭を過ぎったが、この熱い身体のまま我慢するなんて出来そうもなかった。
「私にどうして欲しいのか言ってみろ」
 ソファーに座った御堂が、克哉を見上げている。獲物を狙う捕食者の視線が克哉の全身を舐めるように動く。更に熱が煽られ、我慢が出来なくなった克哉はとうとう御堂に屈した。
「オレを、抱いてください……」
「……いいだろう。来い、克哉」
 名前を呼ぶ声がいつもよりも数倍優しいのは、克哉の都合の良い錯覚だろうか。しかし、今の克哉にはそんなことはどうでも良かった。ふらふらと御堂の傍に近寄ると、自ら御堂に覆い被さるようにして身体を預けた。
 ふと、こんな事を続けているとそのうち仕事に支障を来してしまうと不安が過ぎったが、それもあっという間に欲望に流されて消えてしまった。