満たされる



 夜中にふと目が覚めた。
 胸元に圧迫感を覚え、視線を移すと、そこには御堂の頭があった。克哉が起きたことに気づいていないのか、微かな寝息が聞こえるくらいぐっすりと眠っているようだ。
 起こしてしまうかも知れない、と少し気が引けたが、克哉は御堂の肩と頭に手を掛けてそっと枕へ移動させた。克哉の視界を横切った御堂の表情が少し崩れたような気がして、暫く様子を伺ってみたが、目を覚ました様子はない。
 絡み合った足を器用に引き抜いて、ベッドから降りた。


 渇いた喉をミネラルウォーターで満たして、寝室へ戻る。
 ぴたりと閉じられたカーテンを少し開け外を見ると、静まりかえった夜の街が目の前に広がっていた。遅くまで騒がしい街も、終電と始発の間は割と大人しい。最も、高層マンションの上階に存在するこの部屋まで街の喧騒が届くことはないのだが。
 ベッドに戻ろうかとも思ったが、すっかり目が冴えてしまっていた。克哉は少し考えて、御堂が眠るベッドではなく、リビングへ場所を移すことにした。
 ウィスキーを用意して、ロックで煽る。アルコールが喉を焼いていく様子を堪能しながら、そばに置かれた雑誌に手を伸ばす。特集はベンチャー企業……克哉と御堂が設立した会社も、記事の中に紹介されていた。
「ふん……」
 メディアへの露出はほぼ御堂に任せていた。この記事に書かれている会社の多くは、有能な若手が興したものだ。外資系企業のMGNで若くして部長にまで上り詰めた御堂が、新しいことに挑戦するために自分の会社を立ちあげた、とすれば、不自然なところはない。世間には好印象を植え付けておくに越したことはないことくらい克哉には分かっている。
 海外メーカのスーツを厭味無く着こなし、営業スマイルを浮かべる御堂の写真が掲載されている。そんな恋人を誇りに思いながらも、本当の御堂はこんな男じゃない、と思う心も克哉の中に存在していた。
 ……あんなに乱れた御堂の姿を見るのは、克哉も久しぶりだった。
 ここのところ忙しく、ゆっくり眠る暇も無い程だったから、自然とセックスは後回しになっていた。御堂はそんな状況に涼しい顔をしていたが、内心は悶々としていたのだろう。久しぶりに二人で休みを取ろうと克哉が進言すると、そんな余裕があるのか、という言葉とは裏腹に、嬉しそうに微笑んでいたのを克哉は知っている。家に帰ってすぐに抱いてやると、散々達した後は気を失ってしまうほどの乱れようだった。
 今頃は満たされた気持ちで夢でも見ているのだろう。
 克哉だって、仕事もプライベートも、欲しいものは全て手に入れてきた。他人から見れば「幸せ」に見えるのだろうが、言いようのない不安に駆られて、時々こんな風に夜中に目を覚ましてしまうことがあった。
 怯えるものなど、何もないはずなのに。それとも、ここまで手に入れてなお、まだ満たされていないとでもいうのか。それとも、際限ない欲望を満たすために生き続けることしか出来ないのか。
「俺は、何が欲しい……?」
 雑誌を閉じて元の場所に置くと、グラスに残ったウィスキーを一気に飲み干した。胃が空っぽの所為か、既に酔いが回っているような感じがした。
「佐伯」
「……起きたのか」
 リビングの入り口に、御堂が立っていた。
「いつからそこにいた?」
「少し前からだ。その、君が何か考えているようだったから」
 御堂はそこから動こうとせず、じっと克哉の方を見ている。
「……どうした、来いよ」
「あ、ああ」
 克哉がそう言ってようやく御堂はその場から動いた。そして克哉の隣に座ると、酒を飲んでいたのか、とテーブルに置かれたグラスを見て言った。
「何処へ行ったのかと思った」
「目が冴えてしまったから、酒でも飲もうと思った」
「私も起こしてくれれば良かったのに」
「疲れているんだろう。昨日はあんなによがってたしな」
 意地悪い言葉に御堂はさっと顔を赤くする。が、灯りが付いていないこのリビングでは、克哉には見えなかった。
 御堂は先程まで克哉が見ていた雑誌を手に取ると、同じように二人の会社の記事が掲載されているページを開いた。
「これを真剣に見ていたが、何か」
「何も無い。……いや、すまし顔で写っているあんたが、男に尻を弄られてよがるような変態だとは誰も思わないだろうと考えていた」
「なっ……!!」
 驚きと恥辱で顔を歪めた御堂を、克哉は面白そうに見ている。
「真実だろう?」
「それは、そうだが……それにしたって、言い方というものがあるだろう」
「認めたな?」
「佐伯っ!」
 拳を振り上げる御堂の手首を掴んで引くと、あっさり克哉の上に倒れ込んできた。先程克哉が起きたときと同じように、克哉の胸に顔を乗せて、御堂は呟く。
「君がいなくなってしまった時の夢を見ていた。起きたら隣にいなかったから、正夢かとおもって焦った……」
 御堂とは思えない弱気な発言に、克哉は目を見張る。
「これも夢じゃないかと、時々思う。目を覚ませば、私は君を忘れるために必死で働く日常に戻るんだ」
「夢、だろう」
 御堂の指に自分の指を絡ませて、克哉は慰めるように言った。そして、満たされていないと思っていたのは自分だけではなかったこと、御堂も自分と同じなのだということに初めて気づいた。
「そうだ。ただの夢だ。でも」
「俺はここにいる」
「……そう、だな」
 繋いだ手と反対側の手で御堂の髪の毛を梳いてやる。指の間を髪が流れていく感触を楽しみながら暫くそうやっていると、御堂は不意に顔を上げた。
「君の事が、好きだ」
 思い詰めたような表情で訴える御堂に、克哉は胸が締め付けられる気がした。それを悟られたくなくて、努めて冷静に知ってる、と答える。すぐに俺も、とは言わない。
「君は?私のことを、その」
「言えば満足するのか?」
「……いや、もっと欲しくなるだけだ。愛されているという証拠が、私は欲しくて仕方がない」
 顔を伏せる御堂をぐい、と引き寄せた。唇が触れ合いそうなほど顔が近づき、克哉に御堂の表情がはっきり見えるようになったところで、耳元に口を寄せると克哉は御堂が欲しい言葉を与えた。
「っ……君は、卑怯だ」
「なんとでも。そんな男を好きになったのは、あんただろ御堂さん」
「この、鬼畜が……」
 この満たされない気持ちがどこから来るのか、克哉にはまだ分からない。しかし、その鍵は御堂が持っていると、克哉は確信していた。だから、一緒に居たいと思ったし、ここまで一緒にきたのだ。
 それは決して御堂には言わないけれど。
「さて、もう一眠りするか」
 御堂の唇に軽く触れて、克哉は上半身を起こした。御堂は残念そうな表情を浮かべて、
「そうなのか?」
「それとも、ここでやって欲しいか?ああ、もう臨戦態勢なのか。本当にいやらしいな御堂さん」
 身体に御堂の下半身が当たっていて、それが固くなっている事くらいもっと前から分かっていた。ぐい、と太腿でそこを押してやると、眉根を寄せて御堂が熱い吐息を吐き出した。
「そ、そういう君だって……」
「あんたがそんな風にしてるからだ」
 全て御堂の所為にしながら、克哉は御堂の身体に手を伸ばした。