今日も、明日も、明後日も(人でなしの恋5題:5)



 いつもの休日は片桐の家の布団の上。
 素肌に洗い立てのシーツの感触を感じながら、克哉は微睡む。半端に覚醒した状態で隣に眠る人の温もりを探せば、そこは既にもぬけの空だった。仕方なく目を開けると、既に日は高く昇っており、開け放たれた窓から吹き込む風でカーテンがふわりと揺れた。
「おはようございます」
 克哉が起きたことに気づいた片桐が、にこりと微笑んだ。読んでいた本に栞を挟んでテーブルの上に置くと、立ち上がって克哉の方に近づいてきた。枕元で膝を折り、そっと額に手を当てる。触れられたのは額だけだというのに、じわりと手の温かさが顔全体に広がって、包み込まれるような感覚に思わず目を細めた。
「熱は下がったみたいですね。よかった」
 そう言われて、克哉は自分が熱を出して寝込んでいたことを思い出した。あまりに変わらない日常の風景に、つい、いつもの休日だと錯覚してしまったが、昨夜意識を手放すまでは発熱と倦怠感と頭痛に襲われていた。今はそれが嘘だったかのように、身体がすっきりとしている。
「一応薬は飲んでおいた方がいいですね。僕、おかゆを作ってきますから、それを食べてから飲んでくださいね」
 立ち上がりかけた片桐を制止するように、克哉は名前を呼んだ。
「片桐さん」
「はい、なんですか?」
 伸ばした膝を再び折って、克哉の口元に耳を寄せる。そんなに病人扱いしなくても、と思うのだが、たまにはこういうのもいいかも知れない。
 手を伸ばして、両手で片桐の顔を包み込むようにすると、ぐい、と少々強引に引き寄せ、その唇を自分のそれと重ねた。
「さ、佐伯くん」
 克哉の手に自分の手を添えて、片桐が恥ずかしそうに目を伏せた。少し違う方向に体を捩って克哉の唇から逃れる。離れていく片桐の唇が名残惜しいとでも言うかのように、克哉の舌がちらりと動いた。 「ずっとここにいたんですか」
「はい。佐伯くんの容態が心配だったので」
 当たり前だと言わんばかりにあっさり応える片桐に、克哉は何と言えばいいのか少し迷った。有り難う、と言えばいいのだろうか。それとも、馬鹿なことを、と一蹴すればよいのか。どう言ったとしても、片桐は恐らく「僕がしたくしてしたことだから」と言うに決まっている。
「……あんたは大丈夫なんですか?」
「え?」
「一晩中俺と一緒にこの部屋にいたんだろう?風邪がうつったんじゃないか?」
 克哉の口から出た思わぬ言葉に、片桐は目を丸くしていた。まさか、まだ完治した、とは言えない克哉が、自分の事よりも先に片桐を気遣ってくれるとは思いもしなかったからだ。
「僕は大丈夫です。ここ最近は風邪をひいてないんですよ」
 片桐はそう言って克哉を安心させるように笑ったが、それはそれで面白くない、と克哉は思った。健康なのは良いことだが、自分だけがこうして寝込んでいる姿を見られるのは後味が悪かった。
「風邪を治すには誰かにうつすのがいいんですよ。そして、俺の風邪がうつるとしたら、あんた以外に考えられない」
 こんな事しているんだからな、ともう一度片桐の顔を引き寄せ、唇を合わせる。今度は片桐も抵抗はしなかった。それを良いことに、克哉は口内に舌を侵入させた。中の粘膜をザラリとした舌が這い回る感触に、片桐は身体を震わせる。
「……キスだけで感じてしまったんですか?全く、いやらしい人だ」
 唇が離れた途端、ぐたりと片桐は克哉の隣に倒れ込んだ。
「だって、佐伯くんが」
「俺がなんです?」
 分かっていて、克哉は敢えてそう尋ねた。片桐を煽ったのは自分だ。片桐も克哉の所為だと自覚しているはずなのに、ただ恥ずかしそうに顔を伏せている。
 この先克哉に与えられるであろう快感を知ってしまった片桐は反論が出来ない。
 しかし、昨晩までの熱と頭痛ですっかり体力を奪われていた克哉は、このまま片桐を抱くことは出来なかった。何せ、腕を動かすだけでも億劫に思えるほどなのだから。
「……煽って悪かった。続きは、俺の体力が回復したら、してやる」
 克哉の上に倒れ込んでいる片桐の両肩に手を添えて、上半身を起こさせる。真っ赤な顔をした片桐がブンブンと首を横に振り、慌てたように立ち上がると、
「お、おかゆを持ってきますから、暫く休んでいてい下さい」
 そう言い残し、ぱたぱたという音と共に部屋を出て行った。


 片桐の作ったおかゆは卵でとじられており優しい味がした。
「熱いですから、火傷しないよう気をつけて」
 上半身だけを起こした状態で、克哉はゆっくりとそれを胃に流し込んでいく。ふわふわとしたそれは空っぽになった胃に積もっていくようだ。
 いつもの食事の倍以上の時間を掛けて、克哉はそれを食べ終えた。そして、片桐に促されるまま薬を飲むと、再び横になる。
 相変わらず窓からは爽やかな風が吹き込んできており、カーテンを揺らしている。今は何時頃なのか、克哉には分からなかったが、ずっとこんな穏やかな時間が続くのも、たまにはいいかも知れない、とふと思った。
「なあ、片桐さん」
「はい?」
 おかゆの入っていた食器を片付けてきた片桐は、克哉の傍に座り、言葉の続きを待った。
「これからは俺がいるから、あんたもいつ倒れたって構わない」
 どういう事ですか、と片桐は首を傾げる。ああ、焦れったいと克哉は少し強めの口調で続けた。
「ずっと一緒にいてやる。今日も、明日も、明後日も、その先もずっとだ。だから、あんたが風邪を引いても、俺が看病してやる。あんたが俺にしてくれたようにな」
「……いいんですか?僕なんかで…その」
「あんたと一緒にいるのは、俺の意思だ。あんたが引け目に思うことはないと、何度も言っただろう」
「佐伯くん……」
 ありがとう、と片桐が消え入りそうな声で呟いたのと同時に、生ぬるい雫が一つ、克哉の頬に落ちた。片桐の眼から溢れたそれは、ぽた、ぽたと克哉の頬に落ちて、筋を描いていく。
「泣くな」
「は……い……でも、僕は嬉しくて……」
 なおも溢れる涙を止めようと、何とか手を伸ばし、片桐の右眼の端を拭ってやった。そして、これ以上病人に負担を掛けないで欲しいんだが、と克哉が言えば、片桐は慌てて自分で左眼の涙を拭う。
「ご、ごめんなさい」
「謝るな。全く……」
 文句を言いながらも、克哉の表情は穏やかだ。
「悪いと思うなら、そうだな、あんたの方からキスして貰おうか」
 えっ、とひと言呟いて、片桐はどうしたものかと思案しているようだった。どうする、と煽るように言えば、意を決したのか、そろそろと片桐の顔が近づいてきて、僅かに克哉の唇に片桐のそれが触れた。
 僅か一瞬のキス。すぐに離れてしまった唇が惜しくて、克哉は片桐の頭を抱え込むようにして手を回すと、今度はより長く、濃厚に唇を合わせた。