おかえりなさい



 外回りを終えて会社に戻ると、珍しく他のメンバーは誰もいなかった。
「飲み会だそうですよ」
 一人席に残っていた片桐は、戻ってきた克哉におかえりなさいというと、皆がいない理由を伝えた。そう言われてみれば確かに飲み会のメールが回っていたような気がするが、仕事が忙しくて欠席の意を伝えたまま忘れていた。
「課長は行かなかったんですか?」
「僕は今回は遠慮したんです。それに、若手だけの方が何かと気が楽でしょうし。佐伯くんは行かなくても良かったんですか?」
「俺も今回は欠席です。社外での打ち合わせが入っていましたから」
「そうですか」
 それ以上片桐は何も言わず、再びモニターに視線を落とした。克哉も自席に戻ると、パソコンにログインしてメールのチェックをする。二通ほど取引先からメールが来ていたのを確認して返信をしていると、何時の間に淹れたのか、お茶のカップを持った片桐が傍にいた。
「どうぞ。今日もお疲れ様でした」
「ああ、有り難うございます」
「本当に行かなくても良かったんですか?本多くんなんかは佐伯くんが来ないことを残念がっていましたが」
 飲み会の事を言われているのだと気がつくまで、数秒かかった。すっかり終わった話題だと思っていたからだ。受け取ったお茶を飲みながら、
「……あんたは俺に行って欲しかったのか?」
「え?」
「こうして遅くまで残っていたのは、俺を待っていたからじゃないのか?」
 そう言ってから、自惚れかも知れないと思った。が、間違っていなかったのか、片桐はさっと顔を赤く染めた。どうして良いか分からず、自分の握りしめた手と、克哉の顔を交互に見ている。
「あの、その……」
「あんたは俺が今日の飲み会を欠席すると知っていて、それで自分も行かなかったんだろう?」
「それは……だって、佐伯くんが……」
 言いにくそうに片桐は言葉を切る。そう、克哉が言ったのだ。俺がいないところで誰かと酒を飲むなと。片桐はそれが独占欲から来る理不尽な要求だと分かっていたはずなのに、素直にそれを守っている事に気づいた瞬間、克哉は思わず笑い出しそうなくらい気分が高ぶるのを感じた。
「片桐さん」
「えっ!?はい」
「……帰りますよ。それとも、まだ一人で残業していくんですか?」
 克哉の声に首を横に振って、片桐は自分の席へ戻っていった。慌てて書きかけのファイルを保存すると、バタバタと帰り支度を始めたようだった。
 既にメールの返事は打ち終えていた。添付ファイルを付けて送信ボタンを押すだけで今日の仕事は片が付く。高ぶった心を抑えるために、早く片桐を抱きたいと思った。
 しかし、その前に。
 漸く帰り支度を終えた片桐が部屋の入り口に立って克哉を待っている。克哉はそれを確認して、敢えてゆっくりとパソコンを落とし、カップに残ったお茶を啜ってから席を立った。
「お待たせしました」
「うん。帰りましょう」
 誰もいないオフィスをぐるりと見回した後、片桐はフロアの灯りを落とした。一瞬視界が真っ暗になり、そして非常灯と隣のビルの灯りでぼんやりと辺りの物が浮き上がっていく。ドアノブに手を掛け、廊下に出ようとした矢先、ぞわりとした感触が片桐を襲った。
「さ、佐伯くん?」
「静かに」
 後ろから片桐を抱きしめて、その首筋に口づけを落とす。どさりと片桐の手から鞄が落ちる音がした。それに構わず克哉は片桐のネクタイを緩め、シャツのボタンを外し胸元に手を差し入れると、胸の突起を撫であげた。片桐がびくりと身体を震わせるのが愉快で仕方がない。指の先で固く凝るそれを何度も何度も弄ると、徐々に片桐の呼吸が荒くなっていく。
「佐伯、くんっ……こんなとこ、で」
「こんな所で、どうした?」
 以前休日のオフィスで行為に及んだことはあったが、今は平日。遅い時間とはいえ、誰が戻ってくるか分からないし、他の課の人間がやって来るかも知れない。片桐がそれに怯えている事くらい、克哉には分かっていた。分かっていて、敢えて尋ねる。
 それに、今二人が立っている場所は入り口のドアのすぐ傍だ。動けば影が廊下に映るだろうし、声も聞こえてしまうだろう。普段ならばわざわざこんな所で行為に及ぼうなど思わないのだが、いつ人に見つかるかも知れないという状況は、時として重要なスパイスになり得る。
 ……克哉にとって、まさに今の状況がそれだった。必死に声が漏れるのを堪える片桐の表情が克哉を煽っていく。
 普段は優しく抱いているつもりだが、今日は手加減することが出来そうになかった。とにかく、一刻も早くこの愛しい恋人の乱れた姿が見たくて、克哉は手を進めた。
「くっ……あ、さえき、くんっ…!」
 もう止めてくれと嘆願する片桐を一瞥して、克哉は漸く胸元から手を引き抜いた。それで終わりだと思ったのか、片桐はホッと息を吐く。
 しかし、克哉が発した言葉を聞いて、片桐は愕然とした表情を浮かべた。
「選ばせてあげましょう。このままここでするのと、トイレの個室とどちらがいいですか?」
「そ、そんな」
「家に帰るってのは無しだ。俺はもう我慢できないんですよ片桐さん。あんたが俺の言いつけを守って飲み会に行かなかったと可愛いことを言ってくれるから」
 思う存分可愛がってやるよと言うと、片桐は恥ずかしそうに顔を背けた。
「僕には、選べない……お願いだ佐伯くん、タクシーを呼ぶから、せめて家で」
「駄目だ。……それに、そんな状態で動けるんですか、片桐さん?」
 克哉に指摘され、片桐は咄嗟に足を閉じた。胸だけで感じてしまった片桐の下半身は既に熱を持ち始めており、動けば下着に刺激されてより固くなってしまうことは容易に想像できる。
「俺が楽にしてあげますよ」
 耳元で優しく囁かれた片桐は、思わず頷いていた。後ろ向きだったので、克哉がしてやったり、という表情を浮かべていた事に気づかないまま。


「ふっ……く、あ、あっ、うっ」
 口にハンカチを突っ込まれた片桐は、目の端に涙を浮かべながら克哉の愛撫を全身で感じていた。喘ぎ声は全てハンカチに吸収され、漏れるのはくぐもった呻き声だけだ。
 横たわった状態でシャツのボタンを全て外し、ズボンも足首まで下ろした状態の片桐に、克哉は自分の欲望を叩き付けた。フロアに敷かれたカーペットに汗がぽたりぽたりと染みこんでいく。白い液体が辺りに散らばっていたが、一々拭き取っている余裕などなかった。
「片桐さんっ、かたぎり、さん」
 既に一度吐き出した中は残滓が潤滑剤となって滑らかに克哉を包み込んでくれる。ぐちゅ、ぐちゅと水音が耳に付いたが、気にせず出し入れすると、片桐がびくりびくりと身体を動かす。
 固くなった片桐の前は透明な液体を先に滲ませていたが、敢えて触れずに今に至っていた。決定的な刺激を得られない事にじれた片桐が手を伸ばそうとするので、手首を固定したまま行為に及んでいる。
「んっ、んんっ、う、う」
「何ですか?もうイきたいんですか?」
 そう言いながら、克哉は奥を引っ掻くように腰を動かした。そこにある前立腺が片桐を刺激し、ますます液体が溢れだす。限界が近いのかぷるぷると震えてすらいた。
「うっ、だ、めっ、もう……」
 何度か克哉が腰を動かすと、今まで散々焦らされていた所為もあって片桐はようやく達した。ハンカチが詰められた口から漏れる、くぐもった喘ぎ声に合わせるように、勃ちあがった先端から白い液体が溢れる。遮る物が何もないそれが床に広がっていく様子を、片桐は焦点の合わない目でぼんやりと見ているしかなかった。
 欲望が吐き出される動きに合わせて収縮する中の動きに、限界間近だった克哉も達した。乱れた呼吸を落ち着けると、片桐の耳元に顔を寄せる。
「後ろだけでイってしまいましたね」
 そう囁くと、顔を真っ赤にして俯く。いい加減素直になればいいのにと克哉は思うのだが、片桐にしてみれば、いい年をして欲に溺れている自分が恥ずかしくて仕方がないのだろう。
「俺は、そんなあなたが好きなんですよ」
 だからもっと求めて欲しい。そうすれば、自分が愛されている事が分かるから。
「それとも、こんな所でしてしまう俺に愛想が尽きましたか」
「そんなこと、ありません」
 口に詰められたハンカチを取り除かれ、ようやくきちんと話をする術を得た片桐は、首を横に振った。
「僕が佐伯くんに愛想を尽かすなんて……そんなこと、一生ありませんよ」
「本当ですか?」
「はい」
 きっぱりと言い切った片桐を、克哉は強く抱きしめた。だから、離れられないのだと思う。我が儘で身勝手な自分を無条件に愛してくれる片桐から。
「でも……もうオフィスでは、やめてもらえませんか?こんな所でしてしまったら、僕は毎朝会社に来る度に思いだしてしまいそうで……」
 片桐の願いを聞いて克哉は思わず笑い出した。そして、
「俺とのセックスを思い出して身体が熱くなったら、いつでも抱いてやる」
「さ、佐伯くんっ」
 今度こそ本気で抵抗しようとする片桐を抱き込んだまま、克哉はその首筋にキスをした。