あんまり困らせないで(人でなしの恋5題:3)



 残暑も落ち着き、夜が過ごしやすくなってきたのを良いことに、二人は片桐の家の縁側に出てビールを飲んでいた。空には雲一つ無く、月が静かに輝いている。
 庭と言ってもそれほど広くないが、秋の風を感じるには十分だった。他愛ない話をしながら、ゆっくりとビールを飲み干していく。
 克哉が三本目のビールを手にしたとき、片桐がぽつりと呟いた。
「佐伯君とこうして一緒に過ごすことが出来て、僕は幸せです」
「どうしたんだ、突然」
「いえ、ここ数年一人で暮らしていたから……また誰かと一緒に食事をしたり出来るとは思っていなくて、つい」
 片桐の頬が赤くなっているのは、酒の所為か、それとも別の理由か。
「あんたも物好きだよな。あんなことされたって言うのに、それでも俺のことが好きだなんて」
 あんな事、が何を指すのか悟った片桐は、更に頬を赤く染める。あまりに素直すぎるその反応を見ていると、克哉の中の嗜虐的な性格が疼いて仕方がない。
「……想像して、感じたのか?」
 つかず離れずの距離を克哉が一気に縮める。二人の間に置かれたおつまみを部屋の中へ移動させると、克哉は片桐の顎を取った。そしてそのまま唇を重ねる。
「ううっ……」
 まさか外も同然のこの場所で克哉がこのようなことをするとは思いもしなかったのだろう。片桐は目を見開いたまま、必死に抵抗しようともがく。
「さ、佐伯くん……その、ここじゃ」
 ようやく解放された片桐は、ちらりと外に視線を巡らせた。幸い辺りに人影はないようだったが、これからも誰も通らないかと言えばそうとは限らない。それを片桐は心配しているのだ。
 そんな片桐の視線に気づかないふりをして、克哉は片桐の肩に手を掛けると縁側から室内に向かって押し倒した。仰向けになった片桐に覆い被さるようにして、克哉は笑う。
「良い格好だな、片桐さん」
「さっ、佐伯君」
 克哉は手際よく片桐の服を脱がせていく。露わになった乳首は既に固くなっており、それを摘むとぐり、と捻るようにつねった。強すぎる刺激に片桐は目尻に涙を浮かべている。
「いたっ、痛い、よ……」
「痛い?そのうち気持ち良くなるさ」
 今度は逆に赤くなった乳首に舌を這わせた。ザラリとした舌の感覚が敏感になった乳首を刺激して仕方がない。
「ひっ……!」
 わざとらしく音を立てて辺りを舐めていく。ぺちゃぺちゃ、唾液の絡まる音が片桐の、そして克哉の熱を煽って、身体が熱くなるのも構わず行為に没頭した。思い出したように吹き抜ける風が火照った身体に心地良い。
「ふっ……くっ……」
 必死に唇を噛みしめて、漏れ出そうになる声を抑える。そんな片桐の様子を克哉は愉しそうに見ながら、胸だけでなく脇腹や首筋など至る所に舌を這わせていく。
「さ、えき、くっ……も、もう…や」
「『もうやめて』なんて言いませんよね、片桐さん?」
「!!……で、でも、ここじゃ……」
「そう、隣の人に聞こえてしまうかもしれないな」
 片桐が抵抗すると分かっていて、克哉は敢えて片桐が気にしている事を口にした。抵抗されたところで押さえ込む自信はあったし、今更止めるつもりなんて毛頭なかった。
 しかし、僅かに残っていた片桐の理性が一瞬快感に打ち勝ったらしい。
「ううっ、それは、いやだっ……!」
 片桐は、予想もしなかった動きで巧みに克哉の腕から逃れると、乱れた着衣を抱えるようにして家の奥へ走っていった。一体何処にあんな力が隠されていたのだろう。あまりに突然の事で、克哉は暫し呆然とするしかなかった。


「片桐さん」
 片桐が逃げ込んだのは二階にある寝室として使っている和室だった。ぴったりと閉じられた襖はびくともしない。恐らく何か物で向こう側から押さえつけてあるのだろう。
「片桐さん」
 努めて優しい声で、克哉は名前を呼ぶ。しかし、片桐は何も答えず、ただ黙っているだけだった。
「悪かった。そんなにあんたが嫌がるなんて思わなかったんだ」
「……本当に悪かったと思っていますか?」
 長い沈黙の後で、ようやく片桐は口を開いた。
「思ってる」
「僕だって、佐伯君に抱かれるのは……その、嫌じゃないですけど……でも、あの場所は、嫌だったんです」
 切々と訴える片桐に、克哉は少しだけ後悔した。今まで自分の方から拒絶することはあっても、片桐の方からこのように拒絶されることは無かったから、余計に堪える。心の何処かに、片桐は自分を拒絶しないという思いがあったのも事実だ。
「わかった。もうしないから、ここを開けてくれ」
 再び沈黙が続いた。片桐は何やら考えているようだった。時間にすればほんの数分だったのだろうが、克哉には十分にも二十分にも感じられた。
 考えが纏まったのだろう、片桐は再び口を開いた。
「本当に、約束できますか?」
「約束する」
 克哉が即答すると、襖の向こうから、何かを動かす音がした。続いて襖が動いて隙間が出来ると、そこから片桐が顔を覗かせた。恐る恐る、といった表現がこれほど合うシチュエーションもそうそう無いだろう、と克哉が変なところで感動していると、上目遣いに克哉を見た片桐が、もう一度念を押す。
「本当に、約束してくれますね」
「何度も言わせるな」
 つい、苛つきが口に出てしまった。びくりと肩を振るわせた片桐は、再び襖を閉めようと腕を動かす。が、二度も同じような手口に引っかかる程、克哉は間抜けではない。咄嗟に襖に手を掛け、片桐の行動を阻止すると、逆にぐい、と襖を押しのけるようにして開いた。
「あ……」
「片桐さん」
 明らかに怯えている片桐の前に片膝を付いて、視線を同じ高さに合わせる。そして、
「悪かった」
 ぶっきらぼうにそれだけを言って、克哉は立ち上がると、下を片付けてくると一人階下に降りた。あれ以上何を言えばいいのだろう。眼鏡を手にしてから謝ることに殆ど無縁だった克哉には、あれが精一杯の謝罪だった。
「佐伯君!」
 縁側に続く掃き出し窓を閉め、残された缶ビールやつまみが乗っていた皿などを片付けていると、不意に背中に体温を感じた。ふわりと漂うのは、片桐の匂いだ。
「片桐さん?どうした」
「佐伯君のあんな顔、見たことがなかったから、心配になって……」
 帰ってしまったのではないかと思ったのだろう。背中に顔を埋めたまま、片桐はもごもごと何か呟いていた。何を言っているのかは分からなかったが、おおよその見当は付く。
「どこにも行きませんよ」
 手にした空き缶をテーブルの上に置いて、克哉は片桐の手に自分の手を重ねた。
「うん……ごめん」
「どうしてあんたが謝るんだ。悪いのは俺だろう」
「佐伯君に見捨てられる方が、僕は嫌だ。ごめんね……」
 拒否したりくっついてきたり、本当に忙しい人だと溜息が漏れそうになるのを飲み込み、克哉は呟いた。
「あんまり俺を困らせないでくれ。あんたに泣かれると、どうしていいか分からなくなる」
「うん……」
 ぎゅっと片桐の手を握って、克哉は飲み込んだ溜息を改めて吐き出した。