笑顔の詐欺師



 律動が一瞬止まり、荒い呼吸とともに全てを吐き出す克哉の額から、一筋の汗が落ちた。それにすら感じてしまうのか、片桐は僅かに身じろぐ。既に達した片桐の腹には白い液体がべっとりと付着しており、どれが汗で、どれが精液なのか分からなくなっていた。
 散々片桐の中を満たして、克哉は自身を引き抜こうと腰を引いた。くちゅっと粘り気のある音がして、まるで克哉を引き留めるように中の粘膜が蠢いた。
「片桐さん……まだ足りないんですか?」
「そ、そんなつもりは……」
 片桐の顔が赤いような気がするが、薄暗いこの部屋では本当かどうか分からなかった。克哉は少々惜しい気もしたが、そのまま自身を引き抜いた。途端、どろりとした液体が中から溢れ、片桐の口から短い悲鳴が漏れた。
 克哉が側にあったティッシュボックスを渡すと、よろよろと身体を起こした片桐は、自身の有様にしばらく困惑の表情を浮かべていたが、数枚引き抜いたそれでゆっくり液体を拭っていく。既に汗は引きはじめ、端の方に飛んだ精液はぱりぱりと乾いているものすらある。
「……お風呂、借りますよ」
「どうぞ」
 まだあちこちを拭っている片桐をそのままにして、克哉は一人風呂場へ向かった。

 熱めのシャワーを浴びながら、全身に張り付いた不快感を洗い落としていく。ボディソープの泡が排水溝に吸い込まれていくのを見ながら、克哉はため息を漏らした。
 足りないのは克哉の方だ。現に先ほど達したばかりだというのにまだ身体の熱が収まっていない。逃げるようにバスルームに駆け込んだのも、片桐にそれを悟られて無理をされるのが嫌だったからだ。
 片桐は、克哉が自身を望むことを拒否することはない。きっと何度求めても片桐は受け入れるだろう。自分の体調や、気持ちなど関係無く、克哉のために。
 けれど、それでは駄目だと思う。
 自分で手を伸ばしたくなるのを何とか堪えて、克哉はシャワーを止めた。
 そのとき、磨りガラスの向こうに何か動くものが見えた。と言ってもこの家には克哉と片桐しかいないのだから、それが誰なのか考えなくても分かる。
「片桐さん?」
「あ、佐伯くん、着替えここに置いておきますね」
 片桐に返事をする前に、克哉は磨りガラスの扉を開けた。片桐は克哉の着替えと、バスタオルを床の籠に入れるためにしゃがんでいる。突然開いた扉に驚いた顔を向けている片桐の手を、克哉は掴んだ。
「佐伯くん?」
「あなたも入ったらどうですか。俺が洗ってあげますよ。それに、一人じゃ届かないでしょう?」
 その言葉の意味するところが分かったらしい片桐は、かぁっと顔を赤くする。この人は、何回同じような事を言っても慣れないのだと、克哉は笑いたくなるのを堪えた。こういうところも、気に入っているのだが。
 片桐はパジャマの上を羽織っただけだった。おそらく、克哉が風呂から出たら自分が入ろうと思っていたのだろう。袖を引けばそれはあっさりと床に落ちた。
「さあ」
 まだ湯煙が充満している風呂場に戻ると、片桐もそれに続いた。片桐が扉を閉めたのを確認した克哉はシャワーのコックを捻った。少し熱めに設定した湯が二人の肌を打つ。たっぷりと肌を濡らす間に、克哉はスポンジにボディソープを含ませ、泡立てた。柑橘系の匂いが湯気と混ざって浴室内に充満する。
「後ろを向いてください」
 片桐は克哉の言うことに素直に従った。くるりと克哉に背を向ける。青白い、年の割にきめ細かな肌にそっとスポンジを滑らせた。まるで、先ほどの情事の跡を白い泡で隠すかのように。
 肩、背中、脇腹と順に下へと降りていく。片桐さん、気持ちいいですかと尋ねれば、うん、と安心しきった答えが返ってきた。
 片桐は無防備に晒している自分の身体が、克哉を煽っていることに気づいていない。それを見ていると、身勝手だと分かっていても、誰のために我慢しているんだと悪態すら吐きたくなる。
 スポンジは背中から腰を下って、片桐の薄い尻肉を撫でていく。さすがの片桐も一瞬身体をこわばらせたが、すぐに弛緩して克哉がするように任せていた。二つの丘を泡で覆った後、克哉は徐にそれらに手を掛けて割開いた。あ、と片桐が声を上げた頃は既に遅く、隠されていたそこが克哉の目に晒される。先ほどまで散々弄られていたそこはまだ微かに腫れて熱すら持っているように見えた。
「ここも洗いましょう」
 片桐が返事をする前に克哉は指を一本差し入れた。途端、普段の粘膜とは違う、どろりとした感触が指にまとわりついてくる。先ほど克哉が中で放った残滓だ。指先を僅かに曲げて、掻き出す。それを何度か繰り返しているうちに、指にまとわりつく感触は確かに減っていた。
 しかし、逆に片桐の中が克哉の指を離したくないと言わんばかりに絡み付いてくる。正直な反応を示す片桐の身体に、克哉は興奮した。自分の下半身が疼くのを堪えながら、克哉は言った。
「いやらしい身体だ……」
 片桐は早くこの時間が過ぎればいいと思っているのか、先ほどからしっかり目を閉じている。歯を食いしばりながら、震える両腕で身体を支えていた。
「片桐さん?……気持ちいいのでしょう?」
 克哉がそう問うと、片桐は首を横に振った。変なところで強情だと思いながら、克哉は尚も執拗に指を動かす。
「さ、さっき、した、ばかり……なのに、あ、さえき、くんっ」
「片桐さんはもう満足したんですか?俺は…俺は、まだ足りません。どれだけあなたを抱いても、満たされない。あなたが欲しいんです」
 身体に付いた泡は湿気で緩んで既に流れ落ちていた。尻肉を掴む克哉の手に力が入り、痛みに片桐は顔をしかめた。指はいつの間にか二本に増えており、それぞれ別の動きをして片桐を翻弄する。
「あ、はっ……ん、くっ、ん…ぁ」
「我慢しなくてもいいんですよ。誰も聞いちゃいない。俺だけです」
「で、も、はず、かしい……から」
 片桐の喘ぎ声は風呂場の壁に反響して、よりいやらしい声となって克哉の耳に届く。相変わらずだと半ば諦めながらも、克哉は尻を掴んでいた手を離し、片桐の手を取った。
「っ、何をするんですか」
「見てください。俺はもう我慢できません。挿れてもいいですか」
「そっ、そんなこと、わざわざ聞かなくても……」
 片桐の手を自分の下半身に触れさせる。これで、どれだけ克哉が片桐に対して欲情しているのか分かって欲しかった。
「あなたが嫌なら我慢します」
 克哉の言葉に、片桐は少なからず驚いた。今まで克哉が「我慢します」と言ったことが合っただろうか。「我慢できない」ならもう嫌になるほど聞いたことはあるのだが。
「ぼ、僕をこんなにしておいて、今更、我慢もなにも……ない、でしょう……」
 文句は力なく床に落ちる。それを聞いた克哉は、優しくしますから、と言って片桐に向かって笑った。その笑顔を自分で見ることは出来なかったが、詐欺師のような顔をしているだろうという自覚があった。優しくなんてする余裕があるわけがないというのに。
 中をかき混ぜていた克哉の指が抜け、代わりにそれの三倍以上もある質量を受け入れながら、片桐は片桐で、結局自分は克哉の手の上で転がされているだけなのかもしれないと考えていた。けれど、そんなことはどうでもよかった。克哉が優しくしてくれる事など期待していないし、我慢すると言った後でやっぱりそれが出来なかったとしても、片桐は全て分かっていて、そんな克哉を好きになったのだから。