チラリズム



 本多は基本的に、生活の中の細かい事に気を遣わない。なぜなら、一緒に暮らしている相手が自分と同じ、男だからだ。
 しかしそれは互いが互いのことを「親友」だとか「友達」だと思っている時のみ通じる話であり、例えば互いの事を「恋人」だと思っている場合は、少し話が違ってくる。
 その事を、本多は分かっていなかった。


 朝から容赦なく太陽が照りつけ、クーラーを切った寝室の気温はもうすぐ三十度にも達しようという頃、本多は目を覚ました。汗ばんだ身体にシーツが貼り付く感触が気持ち悪くて目が覚めてしまったのだ。
 今日の練習は午後の遅い時間からだったので、こんなに早く起きる必要はなかった。それに、昨日克哉に散々嬲られた身体は、運動後とは違う疲労感を残しており、何処かすっきりしない目覚めだったのも確かだ。
 今度はエアコンのタイマーをセットしてから寝よう、と思いながら、このままベッドで寝直す気にもなれず、ぺたぺたと裸足でキッチンへ移動する。人気のないキッチンはシン、と静まりかえり物音一つしない。
 冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、コップに注ぐ間も惜しんで直接ボトルに口を付けて一気に飲み干していく。寝る前も寝てからもたっぷり汗を掻いたらしい身体は与えられた水分を驚くほど良く吸収してくれた。
 身体の乾きが満たされたと思えば、次は腹の音が鳴った。全く単純な身体だと思いながら、本多はパンの塊を適当に切ってトースターに突っ込むと、壁に掛かったフライパンを手に取った。卵を二個ボウルに割ってかき混ぜ、熱したフライパンにバターを一欠片落とした上から溶いた卵を一気に流し込む。
 バターの焦げる匂いと卵が焼かれる音がキッチンに充満する。更に甲高く鳴いた腹の音を聞かなかった事にして、半熟のそれを皿に盛りつけた。
 丁度焼き上がったパンにも軽くバターを塗り、グラスにミルクを注げば簡単な朝食が出来上がる。大学入学からここに克哉と一緒に住むまで一人暮らしを続けていた本多には、これくらいまさに「朝飯前」なのだった。
「おおー、我ながら美味そう」
 誰も聞いていないのを良いことに、そう口にしてから本多はスクランブルエッグを口の中に入れた。まだ熱い卵が口の中でとろける。合わせてパンを牛乳で流し込む。
 あっという間に平らげて、使った食器をフライパン共々片付けると、次は風呂だ。リビングのエアコンのスイッチを入れてからシャワールームに向かう。こうしておけば出たときに余計な汗を掻かずに済む。少し電気代が勿体ない気もするが、ますます暑くなってきた室内を冷やすにはそれなりの時間が必要だということにしておく。
 熱めの湯で全身を洗い流し、さっぱりしてリビングに戻ると、先ほどまで誰もいなかったはずのそこに、既に出かけたはずの同居人がいた。
「克哉」
 驚いて声を掛けると、新聞に目を落としてた克哉は本多の方を見た。
「お前、どうして。会社はどうしたんだよ」
「忘れ物をしたから、戻ってきた」
「それなら何でそんなに余裕ぶってんだよ。早く戻れよ」
 あまりに驚いた所為で、本多は自分が今、小さなタオルで腰を覆っただけの、ほぼ裸という状態であることを忘れていた。
「おまえこそ、昼間から風呂とは良い身分だな」
「オレは、練習が夕方からなんだよ。ベッドルームが暑くてよ……本当はこんなに早く起きるつもりなんか無かったんだけどさ」
 あわよくば、冷えたリビングのソファーで寝直そうと思っていたほどだ、と言えば、ふうん、と克哉は気のない返事をした。そして、まじまじと本多を見たその時、一瞬驚いた顔をしたかと思うと、読んでいた新聞を折りたたみ、ローテーブルの上に投げた。
「本多」
 克哉が近づいてくる。後ろにあるドアに向かっているのかと僅かに身体を動かして道を空けてやると、本多を見る克哉の目が眼鏡の奥で歪んだ。それに気づいた本多があ、これはまずい、と思った次の瞬間、素早く克哉の手が動いた。
「!?克哉、お前!!」
「見えていたぞ、隙間から」
 克哉の手にあるのは、先ほどまで本多の下半身を隠していたタオル。あっさりと解けたそれをひらひらと見せつけるようにして振ってみせる克哉に、本多は悔しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にして、手で下半身を隠す。
「おまえ、合宿や遠征へ行ってもこんな無防備な格好をしているんじゃないだろうな?」
「無防備って、こんな、ガキみたいな事をするのはお前だけだ!」
 喉の奥で笑う克哉の手から強引にタオルを奪い取ると、さっと腰に巻き直す。克哉は本多の肩に手を置いて、顔を耳元に寄せると、
「他のやつの前でそんな格好をするなよ」
「……それって、嫉妬か?」
「何とでも」
 会社に戻る、とすっと克哉が離れていった。本多は克哉の意外な言葉に、しばし言葉を忘れてただその背中を見送るしかなかった。
 克哉が部屋から出て行ってたっぷり十分ほど。あ、と本多は手を打った。
「オレ、心配されてんのか、もしかして」
 そう口にした途端、あまりの恥ずかしさでクーラーの風ですっかり冷えた身体が一気に熱くなった。火照った頬を手で覆い隠しながら、克哉のために、これからクラブハウスのシャワールームを使った後で腰に巻くのは少し大きめのフェイスタオルにするか、と思ったのだった。