053:壊れた時計(OB デビジョ)
ガラス張りのケースの中には小さなものから大きなもの、古いものから新しいものと様々な時計がそれぞれの時を刻んでいた。
ジョージはそれを一つ一つ手に取り、柔らかい布で丁寧に磨き、ネジを巻く必要がある時計にはそれをしてから戻す。普段身に付ける時計とはまた別の、コレクション用の時計達だ。
その中で一つだけ、他の時計とは明らかに違うものがある。文字盤のガラスには放射状にヒビが入り、時間を確認することもままならない程白い線で埋め尽くされている。ベルトの色は何が付着したのか、所々どす黒い色に変色し、すり切れている。何より他の時計が確実に時を刻んでいるのに対して、その時計は既に動きを止めて久しい。
それでもジョージは、他の時計と同じようにその時計を磨く。他と違うのは、その時計を見るときのジョージが、少し寂しそうな顔をする所だけだ。
「ジョージ」
ここにいたのか、とデビットが部屋に入ってきた。彼の方を見ずにああ、と返事だけをする。デビットはジョージが手にしている時計がその動かない時計だと知るや否や不機嫌そうな顔になった。デビットはこの時計が嫌いなのだ。
「俺が直してやると言っただろう」
「いいんだ、この時計は。これで」
「それならそれを見て顔を曇らせるな。不愉快だ」
デビットは苛立ちを含んだ声でそう言った。死んだ奴のことをいつまでも考えていても仕方がない、とも。
そんなことはジョージにも分かっていた。いつまでも死者との想い出にすがりついているわけにはいかない。けれど、時計が直ったとしても彼は帰ってこないし、ジョージがあの日のことを忘れることも出来ない。
あの日、あの街で起きたこと、そしてジョージが取った行動は、今でも重い十字架となってジョージにのし掛かっていた。そして、それを背負いながら生きていくんだと、既に覚悟は決めていた。
偶然が重なって生きながらえた命だから。こうして生きているだけでも奇跡に近い。
「…食事だ」
デビットはそう言って出て行った。彼は気持ちが行動に出やすい。特に怒っているときは。
「分かった」
彼の背中にそう言って、ジョージは手にした時計を戻すと、ケースに鍵を掛けた。透明なガラスに仕切られた向こうから、秒針の音が聞こえてくる。一つ一つは気にならないものの、複数のそれが重なればそれなりに大きな音になる。こつ、こつ、こつ、という音が、まるでガラスを中から叩いているように聞こえる。ここから解放してくれと言っているかのように。
「ジョージ!」
はっと我に返る。デビットの声が我慢の限界だと訴えていた。慌てて部屋を出ると、階段を駆け下りダイニングへ向かった。
二人の食事は至って静かだ。デビットは必要最低限の言葉しか発しない為、ジョージもそれに合わせて無口になる。
今日のメインディッシュは舌平目のムニエルだ。週に数回通ってもらっているコックは非常に腕がよく、ジョージは気に入っていた。何より彼もデビット並に口数が少なく、この奇妙な二人暮らしについても関心がないのか質問をしてくることは今のところ無い。そこが一番気に入った理由かも知れない。
共同生活が始まったのは、ラクーンシティの事件から生還した後。人間は恐怖を感じた際、そのドキドキを恋愛感情だと錯覚する事があるという。二人は結局その錯覚によって結びつけられたようなものだ。今まで同性に恋愛感情を抱いたことのないジョージはそう思っていた。
逆にデビットは口にこそ出さないものの、男性との経験もあり、ジョージに比べて幾分かすんなりとこの状況を受け止めていた。何より、ジョージと一緒にいれば寝食には困らない上、性欲処理も出来る。そんな生活は悪くはないと思っていた。
黙々と二人はナイフとフォークを動かす。しかし、今日のジョージは何か考え事をしているのか、時々手が止まってぼんやりと手元を眺めたりしていた。
暫くして、
「ごちそうさま」
そう言って席を立とうとするジョージの前には、半分以上料理が残った皿があった。デビットは黙ってジョージを見る。
「食欲がないんだ」
決して美味しくなかったわけじゃない、とその場にいないコックに対して弁解するように言って、部屋から出て行った。一人残されたデビットは、自分の分を食べた後、残ったジョージの皿に手を伸ばした。今日の夕食は本当に美味しかったのだ。それを半分以上も残すなんて、また何か考え事をしているな、と思いながら。
一人自室に戻ったジョージは、着ていた背広を無造作に椅子に引っかけると、ベッドに横たわった。
近頃体調が優れない。身体が重く、動くのも億劫な程だ。それでも何とか無理をして働いている。
外科医であるため、内科の病状にはそれほど詳しいわけではないが、基礎的なものは自分で診察できる。時間に余裕があったときに血液検査を行ったが、異常は見られなかった。HIVにも感染していない。それでは何が原因なのだろう。
食欲も無くなってきていた。いや、時々レアステーキがとても食べたくなることがあった。他の食べ物には全く食指が動かないのに、それだけは定期的に食べたくなるのだ。そして、その感覚は日に日に短くなってきている。
こうなると、あの時感染したウィルスが何らかの形で自分の身体に影響を与えているのでは、と疑ってしまう。ピーターが遺した資料を基に作成したアンチウィルス剤「デイライト」の効果は完璧だった。しかし、完全にウィルスが死滅したとはとても思えないのだ。現に、デイライトを打ち込み、倒れたと思ったはずの化け物も再び起きあがったではないか。
そして、化け物の鋭い爪で仲間の一人が命を落とした。あの壊れた時計は彼の持ち物だったのだ。彼が命を落とす同時に、あの時計も時を刻むことを止めた。
「…」
誰にも聞こえないような声で、その名を呼ぶ。
「ここにいたのか」
気がつけば、デビットがすぐ近くまで来ていた。名前を呼んでいたのを聞かれた、とジョージは慌てて身体を起こした。
しかし、デビットは何も言わず、ジョージの隣に腰を下ろすと、ジョージの身体を抱きしめた。汗と体臭の混ざったデビット特有の匂いと、力強い腕がジョージを現実へと引き戻す。
「何があった」
「…何も」
「あんたは嘘が下手だ」
デビットはジョージの唇に自分のそれを押しつけた。荒々しいキスはジョージを即座に骨抜きにする。一旦身体の力が抜ければ最後、後はデビットにされるがままだ。
「君は、ずるいな」
「あんたほどじゃない」
はだけた胸元に食らいつくデビットを、まるで他人事のように見ている自分が居た。人形のように抱かれる自分を冷静に見ながら、ジョージは思った。
あの時、自分の時計も動きを止めてしまったのだと。その動かない時計を無理矢理動かしているから身体が重いのだと。
壊れた時計はジョージ自身だったのだ。幸い表面上は傷一つ無く、他の時計達と変わらないように見える。けれど、内部の歯車は狂ってガタガタと嫌な音を立て、いつバラバラになってもおかしくない。
そして、ジョージがあの壊れた時計を愛でるのと同じように、デビットは壊れたジョージを愛でている。真実はどうであれ、ジョージにはそう思えてならなかった。
赦して欲しい。誰にともなく呟いて、ジョージは意識を手放した。