052:真昼の月(P3 順平→真田)



 影時間にはあれ程怪しく輝く月が、昼間はひっそりと姿を隠すようにして空に浮かんでいる。
「順平。どうした?」
「あ、真田さん…いや、何でもないっス」
 雲一つ無い青空を見上げていた順平に、真田は声を掛けた。順平の様子を見て、変なヤツ、と思いながらも、それ以上追求はしない。
「もう帰りか?」
「真田さんは?何か、向こうで女子がこっち見てますけど…」
 真田は気づいているのかいないのか、曖昧な返事をしながらも順平が示した方向を見ようとはしなかった。彼は今の男子高校生なら殆どが喉から手が出るほど欲しい「彼女」という存在にあまり興味がないらしい。真田にとって、彼女たちはただ自分に付きまとううるさい女子、という認識でしかない。
 それは可哀想な事だった。思いを寄せる相手に見向きもされない…順平はこっそり同情した。
「…今から昼飯なんすけど、"海牛"、一緒に行きません?」
 その単語が出るや否や、真田は目を輝かせた。その様子をかわいいな、と思ってしまう自分の気持ちに、順平はまだ気づいていない。
「いいな。行くか」
 そうして二人は駅へ向かって歩き出した。

 二人で大盛りを食べた後、暗黙の了解と言わんばかりに二人の足は寮へと向いていた。
 ここ数日は気温が高く、まだ夏には早いというのに少し歩いただけで背中がじっとりと汗ばんでいるのがわかる。
「あちぃ…」
「何を言う、こんな時に耐えてこそトレーニングだ!」
 何でもトレーニングにしたがる真田に苦笑しつつも、順平は何も言わない。あちぃ、ともう一度言って、それから何も言わずに歩き続ける。
「……影時間の時はあんなに眩しいのに、昼間は大人しいよなあ」
「ん?」
 何か言ったか、という真田に、いや、大したことじゃないんですけど、と前置きして、
「影時間になると、あんなに眩しく光ってる月が、昼間は大人しいよなあ、ってね…」
「…そんなこと、考えもしなかったな」
「いや、普通考えないっすよ。俺もたまたま…」
「何なんだろうな、あの月は」
 いや、そんなに真剣な顔して考えなくても、と順平が言いたくなるくらい、真田は眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
 順平は、この一つ上の先輩のことがよく分からなかった。ボクシングは学園一だし、容姿も整っているし、成績も良い。ついでに女子にもモテる。順平が持っていないものを全て持っていて、普通なら妬みの対象になってもおかしくないくらいだが、どこか憎めない。変なところで抜けていたりするから、時々心配で仕方なくなる。
 ほら、今も考え事に夢中の真田は、自分の数メートル手前に電柱が迫ってきているというのに、全く気づいていないのだ。
「真田さんっ!」
 危ない!と電柱にぶつかる寸前で、順平が真田をぐいっと引き寄せた。急に想定外の力が働いた真田の身体は、思いっきり順平の方へ引き寄せられ、バランスを崩す。
「うわっ!」
 次の瞬間、順平は真田の下敷きになっていた。

「…大丈夫か?」
 夜になり、順平の部屋を真田が訪れた。
「さ、真田さん…いや、大丈夫っす。寝れば治りますって」
 突然の訪問に驚きながらも、順平は真田を部屋に招き入れる。
 真田の下敷きになった順平は強かに腰を打ち付け、結果として腰に湿布を貼るくらいに痛めることとなった。勿論タルタロス行きはお休みだ。
「悪かったな。俺を庇ってくれたばかりに」
 まさか真田の口からそのような言葉が出てくるとは予想していなかった順平は、言葉を失う。
「いや、その、自分が勝手にやったことっていうか…」
「助かった」
 その時、部屋の灯りがパチパチ、と点滅して、消えた。影時間がやってきたのだ。
 室内が暗くなったのは一瞬で、窓の外から差し込む光で再び真田の姿が浮かび上がる。その顔が、普段見ている真田とは違って見えて、順平の心臓がドクン、と波打った。
 月は時間によって全く違う姿を見せる。昼間、夜、そして影時間。
 真昼の月はひっそりとその姿を隠し、夜には控えめに輝き、そして影時間には怪しく光る。その光に誘われるように、順平は今まで心の奥底に沈めていた、自分すら気づかなかった気持ちの存在を悟った。

 俺、真田さんの事が好きなのかも知れない。