051:携帯電話(テニスの王子様 手塚+真田)



 日曜日、都内の某スポーツショップ。
 部活が休みの日を利用して、必要な物の買い出しに出た手塚は、注文していた物が届いたという連絡を受けてその店に来ていた。
 休日だからだろう、店内はほどほどに混雑している。通路に溢れる人を避けながら、テニス用品が売られている場所へたどり着いた手塚は、ふうとため息を吐き出した。
 人混みはあまり得意ではない。早く用事を済ませて帰ろうと思ったその時、
「手塚ではないか!」
 聞き覚えのある声に名前を呼ばれて後ろを振り返ると、思った通りの声の主がそこに仁王立ちになっていた。
「真田か」
「奇遇だな。貴様もこの店を利用していたのか」
「お前こそ。わざわざ神奈川から買い物に来たのか?」
「普段ならば神奈川にある支店を利用しているのだが、あいにく普段使用しているグリップテープが品切れしていてな。他の店の在庫を調べてもらったところ、この店にならばあるというので、購入しに来たのだ」
「そうか。俺は取り寄せを頼んであったシューズを受け取りに来たところだ」
 シューズ、という言葉に真田が過敏に反応した。古くからの知り合いというだけでなく、今はそれぞれが所属する学校の代表選手であり、ライバルでもある手塚がわざわざ取り寄せたシューズとあっては、どのようなものか気になるのが当たり前というものだろう。そう真田は勝手に納得して、さっさと靴のコーナーへ行こうとする手塚の後を追った。
「……真田、何の用だ」
「お前が取り寄せたというそのシューズ、見てみたいと思ってな」
「?普通の運動用のシューズだが」
「だが、わざわざ取り寄せたのだろう?」
 そういう真田の眼は、何か特別なものに違いないという期待に満ち満ちていた。が、本当にいたって普通のシューズなのだ。これも真田のグリップテープのように店頭在庫が無かったため、取り寄せてもらっただけに過ぎない。
 そのことを説明しようと手塚は思ったが、きっと今説明しても真田は信じないだろう。それどころか、俺に見せるのが嫌なのかなどと変な風に誤解されでもしたら面倒だ。
 途端に手塚は説明すること自体が面倒だと思ってしまった。もともと自分から話をすることがそれほど得意ではないし、相手が納得するように上手く話せる自信もない。これが大石や不二のように長い付き合いの連中ならば、手塚の意図をくみ取ってくれるのだろうが、目の前にいる真田はどう考えてもそんなことをしてくれそうにはなかった。
 手塚は自分についてくる真田を無視してサービスカウンターへ移動すると、注文の控えを店員に渡してシューズを持ってきてもらうよう依頼した。店員はバックヤードへ向かったから、少し時間が掛かるだろう。
 そして手塚についてきた真田は、探していたというグリップテープを握ったまま、手塚の注文したシューズが出てくるのを今か今かと待っている。そのきらきらした瞳を見て、手塚は大きくため息を吐きたい気持ちで一杯だった。
「真田、こっちはもう少し掛かるが、お前は先にそのグリップテープを精算してきてはどうだ」
「ん?ああ、そうだな。それでは先に会計を済ませてくるとしよう」
 真田は手塚の提案に素直に従い、少し離れた場所にあるレジカウンターへと向かった。その背中を見送っていると、真田と入れ替わるようにしてシューズを持った店員が戻ってきた。あ、と思ったが真田は既に手塚の声の届かない場所まで移動している。
 それから購入の手続きはあっという間に終わり、数分後には手塚の手には袋に入れられたシューズの箱がぶら下がっていた。まだ掛かると言った手前、少し真田の事が気に掛かったが、ちらりとレジの方を見れば、そこそこに人が並んでいるのが目に入った。そして真田はまだその列の中にいる。
「……帰るか」
 別に靴を見せてやると約束したわけでもない。それよりも一刻も早くこの人混みから抜け出したくて、手塚は真田を残したままスポーツショップを後にしたのだった。

***

「ふう、思った以上に時間が掛かってしまったな」
 袋に入れられたグリップテープを鞄に仕舞いながら、真田は先ほど手塚と別れたサービスカウンターの前まで戻ってきた。
「ん?手塚?」
 しかしそのカウンターには別の人間がおり、手塚の姿は見当たらない。会計中かと辺りを見回したが、それらしい人の姿は見つからなかった。
「まさか手塚が約束を反故にするなど」
 真田の会計を待っている間に他の商品でも見に行ったのだろうかと、テニス用品が置かれているコーナーをくまなく探したが、手塚はどこにもいなかった。
 考えてみれば、手塚とは偶然出会っただけで、この後一緒に行動する約束をしたわけでも、購入したシューズを見せるという約束をしたわけでもない。それを、真田が勝手に手塚は待ってくれていると思い込んでいただけだ。
 だが、この胸の空虚さはなんだろう。先ほどまでのわくわくした気持ちが急にしぼんで、後にはもやもやした気持ち悪いものだけが残っている。
「手塚……」
 おそらくこの店にはもう手塚はいないのだろう。真田はがっくりと頭を垂れると、とぼとぼと神奈川方面へ向かう電車の駅へと向かった。

***

 消沈した気持ちのまま家にたどり着くと、真田は鞄を部屋に置き、この鬱々とした気持ちを晴らすべく素振りでもしようと、胴着に着替え始めた。
 その時、どこからか振動音がする。なんだ?と思った次の瞬間、鞄に入れておいた携帯電話が振動している事に気づいて、慌てて鞄を開けると一番奥に入れてあったそれを引っ張り出した。
 電話かと思えばメールの着信だったようで、アイコンが画面上に点滅している。誰だろうと受信フォルダを開けば、そこには真田の鬱々とした気持ちの原因となった人物の名前が踊っている。
「手塚!今更一体何の用だ」
 勝手に帰っておきながら、メールをよこすなどどういった了見だと頭に血が上っていくのを感じながら、真田はメールを開いた。
「?」
 画像が添付されており、それには何の変哲もない白い運動靴が写っている。そして、本文はたった一行。
『俺の買ったシューズはこれだ』
「くっ……ははは、あっはははは!」
 メールの意図を理解した途端、急にこれまで悩んだり怒ったりしたことがばかばかしく思えてきて、真田は思わず大声で笑っていた。手塚はこういうやつだったのだ。常にマイペースで、我が道を行く男。それでも、こうして一応真田の要望を叶えてくれる律儀さも持っている。
「ありがとう、手間を掛けたな」
 一言、そう返信して、真田は携帯を閉じた。そして、すっきりとした気持ちで道場へと向かった。