048:熱帯魚(OB ジョジム)
水槽の中を極彩色の魚がゆらゆらと泳いでいる。
暗い室内において、その水槽だけが青白く存在を主張していた。殺風景な暗い部屋の中において、泳ぐ彼らだけがいやに華やかだ。
真夜中というよりも明け方に近い時間になっても、ジョージはぼんやりと彼らを見ていた。明日は仕事が無く一日休みだから、今すぐ眠る必要もない。何より、夜勤の他研究などで最近生活時間が夜型になっていたため、眠れないと言った方が正しかった。
一人では大きすぎるベッドで眠る生活はまずまずだったけれど、何か物足りなかった。だから、思わず熱帯魚を買ってしまったのかもしれない。実際それらは十分ジョージの慰めになっていた。帰宅したときに彼らが元気に動き回っている姿を見ればほっとするし、餌を必死に食べる姿も愛らしい。
それでも、やはり眠れない夜は人肌が恋しかった。一夜限りの相手ならばいくらでもいるし、呼べば来てくれるだろう。しかし、今隣にいて欲しいのはそういう人間ではない。自分の欲をぶつけたいのではない。ただ肌を重ねているだけでいい。
…そう思ったところで思い人が現れるわけでもなく、ジョージはシーツの間に身体を横たえ、まんじりともしないで夜明けを迎えた。
いつの間に眠ったのだろう、気がつけば太陽は既に空高く昇った後だった。寝不足特有の気怠さを感じながら、ベッドから這い出す。まだ覚醒していない頭を起こすように、テレビのスイッチを入れ、アナウンサーの声を小耳に挟みつつ顔を洗った。丁寧に髭を剃り、髪に櫛を通して、鏡の中の自分を見る。身なりを整えたつもりだったが、そこに映っていた疲れ切った自分の顔にぎょっとした。自分はこんな顔をしていただろうか、と。
テレビからは絶え間なく何かしらの声が聞こえてくる。ニュースは終わり、昼のバラエティ番組になっていた。くだらない話題で大げさに笑うタレントの声が耳障りだった。チャンネルを変えてみたがどこもあまり変わらず、また時間が迫ってきていたのでスイッチをオフにした。
着替えて外に出る。普段はあまり使わない車をガレージから出し、待ち合わせ場所に向かう。道路はそれなりに車が走っていたが、混んでいるというわけでもなく、待ち合わせ時間に余裕を持って着くことが出来た。
「ジム」
余裕を持って着いたはずなのに、ジョージと待ち合わせをしていたジムは既にそこにいた。驚いた様子でジョージが声を掛けると、少し照れくさそうに帽子を直して、はにかんだような笑みを浮かべる。
「意外に早く着いちゃってさ」
「待たせただろうか?」
「そんなことないよ!」
じゃあ行こうか、と助手席のドアを開けてジムに座るよう促す。ジムは素直にそれに従い、さっと助手席に収まるとシートベルトを締める。続いてジョージが運転席に乗り込み、二人はその場から離れた。
ハンドルを握るジョージをジムがじっと見ており、なんだか落ち着かない。堪らず、私の運転が不満かい、と訊けば、慌ててそうじゃないけど、とジムが言う。
「ジョージが運転しているの、見たこと無かったなと思ってさ」
そう言われれば確かにそうだ。普段の出勤は多少混雑しても地下鉄を利用している。元々は朝のラッシュを避けるためだったのだが、ジムと知り合った今ではもう一つ地下鉄に乗る理由が出来たと思っている。ジムには言っていないが。
ジムは車を持っていなかったし、ジョージが仕事帰りにジムと会う事が多かったから、こうして二人でドライブするのは初めてだった。だから、ジムは運転するジョージを物珍しげに見ていたのだ。
「私だって、時々運転しているよ」
「見れば分かるけどさ。何かこうして見るまで想像出来なかったんだよね」
自分が思っている事を包み隠さず言うジムをジョージは気に入っていた。年は既に二十歳を超えていたはずだが、その歳に不似合いな無邪気さが新鮮だった。常にひと言多いと怒られている、とジムが嘆いていたが、ジョージはそれすらも許容範囲だと思ってしまう。
実のところ、ジムの事が気になって仕方がなかった。その気持ちが友人としてのものではない事は自分でよく分かっている。今まで気まぐれで男に抱かれることはあったけれど、自分から男を好きになることは無かった。それだけに、何より自分の気持ちに戸惑いを覚えていた。
しかし、隣に座っているジムはそんなことを知るはずもなく、窓の外を流れる景色に目を奪われている。褐色の肌に光が当たっている様を見て、それに触れたいという思いをジョージが抱いているとは知らず。ジムはあくまでも純粋だ。良くも悪くも。
そうこうしているうちに車はハイウェイを走っていく。今日のドライブは海が見たいというジムの希望によるものだ。四方を山に囲まれたラクーンシティと隣の市を隔てるトンネルを抜ければ、海は目前だった。
「トンネルを出れば、見えると思うよ」
出口を示す看板を見て、ジョージが言う。ジムは嬉しそうに頷いて、フロントガラスの向こうに視線を移動した。トンネルの出口は外からの光が差し込んで眩しい。器用にサングラスを掛けたジョージとは違い、暗い所から急に明るいところに出たジムはまぶしさに思わず目を細めた。
「わお!」
次に視界が戻ったときには、水平線がジムの目に飛び込んできた。青い海はラクーンシティでは決して見ることは出来ない。鬱蒼とした森林に囲まれてどことなく陰気なラクーンシティと、トンネル一つ隔てたこの市とは大違いだった。
「すごいや。こんなの、見たこと無いよ!」
嬉しそうに遠くを見るジムはまるで子供のようだ。そんなジムに苦笑しながら、ジョージは下り坂を海に向かって下りていく。ハイウェイを降りるとすぐ市街地に入り、それを抜けて海岸道路に乗ると、道路のすぐ横が海だ。ジムは先程から早く海岸に降りたくてうずうずしているようだった。
手頃な駐車場に車を駐める。砂浜に降りてみるかい?とジョージが言うと、ジムは大きく頷いた。
シーズン前の海は泳いでいる人こそいなかったが、良い天気に誘われたのか、何人かの人が浜辺を散歩していた。ジョージとジムも砂浜を少し歩く事にする。歩き慣れない砂地に足を取られて転びそうになりながら、ゆっくりと辺りを散策した。
そのうちお腹が減ってきた。特にジョージは朝食を食べていないため、普段よりも空腹を感じていた。
「そろそろ昼食にしないか?市街地に戻ろう」
「待ってよジョージ、来る途中にレストランがあったんだけど、気づいたかい?」
「レストラン?」
ジムが頷く。そこで二人は車に戻り、ジムの案内通り来た道を少し戻ると、確かに小さいレストランがあった。駐車場に数台の車が駐まっているから、恐らく営業しているのだろう。
中に入ると、席は半数が埋まっていた。といっても元々それほど席数も多くない。いらっしゃい、と声を掛けたのは恰幅の良い女性だった。どうやら女主人らしい。
二人は海の見える窓側の席に座った。それぞれ好きなメニューを注文し、料理が出てくるまでの間を海を見ながら過ごす。久しぶりに休日らしい休日を過ごしているな、とジョージは思った。そして、その貴重な休日にこうしてジムと過ごすことが出来るのは嬉しいことだった。
「お、美味しい!」
「本当だ。ジムの鼻は確かだったってところかな?」
「そーだろ、オレに任せておけば…ってジョージ!鼻だなんて、まるで犬みたいじゃないか!」
「ようやく気づいたのかい?」
「ひどいやジョージ!」
他愛ないやり取りも、全てが特別に感じられる。ただ、端から見て自分の態度は不自然では無かろうかと時々気になることがある。今自分とジムは他の人からどう見えているのだろうか、と。
食事を終えて、海岸に戻る。そして嬉しそうに波打ち際まで走っていくジムをジョージは後からゆっくり追いかけ、近づいたところでその辺に落ちていた流木に座った。
「ジョージも来いよ、冷たくて気持ちいいぜ!」
「私は遠慮しておくよ」
ジョージの返事にジムは頬を膨らませて不満を訴えていたが、そのうち一人で遊び始めた。その様子をジョージは愛おしげに見守る。
好きだよ、愛していると言えたらどんなに良いだろう。しかしそれは叶わないことだ。ジムが自分に対してそういう感情を抱く事は決してないだろうし、ジョージもこの気持ちは墓まで持って行くつもりだ。それは自分の気持ちを自覚したときから決めていた。しかし、それでも時々とてつもなく苦しくなることがある。
そんなことを考えていると、空腹が満たされたせいか、それとも昨日あまり眠れなかったせいか、急に睡魔が襲ってきて、ジョージはその場で眠ってしまった。
「ジョージ、ジョージてば!」
誰かが自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。そして思わず驚く。
「うわっ、じ、ジム!?」
「やっと起きた?呼んでも動かないから心配してきてみれば、寝てるんだもんなあ!」
「す、済まない。疲れが出てしまったようだ…」
「…オレが海に行きたいって言ったからかい?」
思いもよらずジムがしょげた様子を見せたので、ジョージはますます慌てる。違うよ、このところ仕事が忙しくて、と何とか理由をつけて誤魔化すと、ようやくジムも笑顔を見せた。
「そうそう、これ見てくれよ!!」
そう言って差し出されたのは水の入ったビニール袋だ。何が入ってるんだい?と中を覗き込むと、綺麗な色をした魚が一匹、不安げに漂っていた。
「そこで泳いでたの、捕まえてきたんだ!どうだい、可愛いだろう?」
「本当だ、とても綺麗だね。私の家にいる熱帯魚とよく似ている」
「え、ジョージ、熱帯魚飼ってるのかい!?今度見せてよ」
いいよ、と思いがけず次に会う口実を作ることが出来て喜んだ反面、この魚の様子がふと心配になり、
「ジム、これは…」
と言うと、ジョージがそう言うのを分かっていたかのように、ジムは笑いながら、
「勿論海に戻すさ。一匹だけじゃ可哀想だしね」
「そうだね。仲間のいる所に戻してあげないと」
ジムは頷き、波打ち際まで走っていくと、そっと袋の中身を海に放した。
帰り道、すっかり隣で眠ってしまったジムの顔を横目で見ながら、ジョージは車を走らせていく。
楽しい時間はあっという間だ。また一人の夜が訪れる。特に今日はジムと一緒に過ごしたから、夢に出そうだと思った。
ジムのアパート前に車を着け、眠っているジムの肩を軽く揺らす。
「ジム、君のアパートに着いたよ」
「うぅ〜ん、もうちょっと…」
何がもうちょっとなのか、と思わず苦笑すると、するり、とジムの手が伸びてジョージを抱え込む。
「ジ、ジム!?」
思わぬ展開に焦っていると、寝ぼけているらしいジムは、
「ジョージ…熱帯魚…」
「…君には敵わないなあ」
どうなっても知らないよ、と付け加えて、ジョージは車を発進させた。勿論行き先は、ジョージのアパートだ。