044:バレンタイン(OB ジョジム)



 バレンタインデーは恋人達の日だ。互いにカードやプレゼントを用意してそれを交換するという風習は知っているし、昔付き合っていた女の子とカードを交換した事だってある。ただ、問題は今自分たちは恋人という関係なのか、ということだ。
 ジョージの事は好きだし、一緒にいて楽しい。軽くキスを交わしたことはあるけど、肉体関係はない。今の関係に名前をつけることは出来るのだろうか?とジムは考える。
 そして、ジョージに何か贈り物をするべきなのだろうか、と。

 バレンタインデーの直前は三連休で、人々はどこか浮き足立っているような気がした。駅の改札を通り過ぎていく人をぼんやりと眺めていると、突然頬にひやりとした物を当てられて飛び上がる。
「な、何だよ!?」
「悪い、驚かせたか?」
 後ろを向くと同僚がコーラの缶をジムの方に差し出した。もう交代時間だぞ、と言われて初めて時計を見ると、確かに交代の時間を過ぎていた。
「気がつかなかったよ」
「仕事熱心なことで」
 同僚の皮肉に曖昧に笑って、プルタブを引く。強い炭酸が喉に染みて思わず咳き込みそうになった。
「おい、見てみろよ」
 そう言って同僚が指さした先には、仲むつまじいカップルが歩いていた。駅では良く見られる光景なだけに、何が、と問うと、ナイスボディだよなという返事が返ってきた。
「あんな女どっかにいねえかな」
「いるだろ?パブでも何でも行けばいいじゃん」
 分かってねえなあ、という同僚の呆れた答えに首をかしげると、もうすぐバレンタインデーだろ、と言われる。その単語に反応するように、ドクン、と心臓が跳ねた。
「一緒に過ごす恋人が羨ましいよ、俺たちは今日も明日も明後日も仕事だ…ん、どうした、ジム」
 黙り込んでしまったジムの方を見て、まさかお前恋人でも、と言いかけた同僚の言葉を遮るように、
「オレ、行くわ。コーラサンキュ」
 そう言って部屋を飛び出した。バレンタインの話は聞きたくなかった。自分がどうすればいいのかとか、どうしたいのかとかが全然まとまっていなかったからだ。それに、ジョージのことを相談するわけにも行かない。
 どーすりゃいいんだよ、と残りのコーラを飲み干そうとして咳き込んでしまった。バレンタインデーまでもう日がない。ジョージと逢う約束もしていなかったし、考えないようにしようとジムは思った。

 電話が掛かってきたのは、もうすぐ日付も変わるというような時間だった。
「ジム?今から逢えるかい?」
 ジョージの声を聞くのは久しぶりだった。少しなら、と言うと、じゃあ今から行くよと言って電話が切れた。ジョージにしては珍しく急いでいるような声に何かあったのかと思いながら、ジムはジョージが来るのを待った。いつもならば食事など理由を付けて誘ってくるから、ジョージがジムの家に来たことは数回しかない。
 十分ほど経って、来客を告げるブザーが鳴った。念のため覗き穴から外を伺うと、ジョージの姿が見えた。
「やあ」
「どうしたんだい?中に入る?」
 じゃあ少しだけ、とジョージは玄関に足を踏み入れた。散らかってるけど、と言いながらは部屋に通し、キッチンへ飲み物を取りに行こうとして、ジョージに止められる。すぐ帰るから、と落ち着かない様子のジョージを不思議に思いながら、隣に座った。
「突然来て悪かったね」
「いや、オレは別に構わないんだけどさ。何かあった?」
「ちょっと…」
 言いにくそうに言葉を濁して、ジョージは自分の腕につけている時計に目をやった。そして、自分の隣に置いてあった袋から包みを取り出すと、ジムに差し出す。
「これ、君に」
「え、オレに?何で」
 ジョージが自分にプレゼントをくれる理由がジムには全く分からなかった。
「何でって、バレンタインデーだろう?」
 そう言われて、初めてジムは今日がバレンタインデーだということに気がついた。あれから極力考えない事にしていたからだ。そして、ジョージがプレゼントをくれたことに慌てながら、
「だ、でも、オレ何も用意してなくて…だから」
 交換出来なくて、と言うと、ジョージは笑いながら、
「別に良いよ、私がしたくてしたことだから、ジムは気にしなくていいんだ」
 迷惑じゃなかったら受け取って欲しい、とジョージは言った。
「それって、オレはジョージの恋人って事?」
 口に出してその響きにジムは恥ずかしくなった。恋人、という単語が、自分にはどうにも不似合いに感じたからだ。そんなジムを見て、ジョージは、少なくとも私はそう思っているけどね、と言った。
「実は休憩時間に抜け出してきたんだ。こうでもしないと今日中に逢えそうになかったから」
 慌ただしくて申し訳ない、とジョージは立ち上がる。仕事に戻るよ、と玄関に向かうジョージの背中を見ながら、ジムは必死で言葉を探していた。ジョージは休憩時間に抜け出してきてまでプレゼントをくれたけれど、ジムはジョージに何もしていない。どうして何も準備していなかったのか、と後悔したが後の祭りだ。
「今度ゆっくり食事にでも行こう。また連絡するよ」
 玄関に立って、出て行こうとするジョージの腕を咄嗟に掴んで引き留めた。そして、
「ごめん、何も準備できなくて…でも、オレ、嬉しかったよ。ジョージの事、恋人だと思っていいんだよね?」
「ああ」
 ジョージが返事をするのと、ジムの唇がジョージの頬に触れるのが同じほど。そしてすぐに離れて、
「今度は、オレもプレゼント用意しておくから」
 というジムに、ジョージは嬉しそうにしながら、
「今のキスで十分だよ」
 じゃあ、また、とジョージは部屋から出て行った。

 ジョージが出て行った後、一人でぼんやりと座っていたが、ふとジョージから貰ったプレゼントが気になって開けてみた。すると、そこにはジムが欲しがっていたバッシュの限定モデルが入っていた。
「すげえ!!」
 そして、自分がプレゼントを用意していなかった事を再び後悔したが、考えてみれば今日はまだ始まったばかり。プレゼントは別にしてもカードくらいならば渡すことが出来る事に気がついた。
 仕事へ行く前に、駅前にある店でも覗いていこうかな、とジムは思った。