041:デリカテッセン(鬼畜眼鏡 克哉×本多)



 気に入っている惣菜屋がある。
 値段は少々張るが、味はいいし、何より食べたい量だけ売ってくれるのが気に入っている。本多と一緒に食べる昼食はいつも量がメインの定食屋ばかりなので、本多が外回りで社内にいない日の昼食や、夕食なんかによく利用していた。
 昼休みを告げるチャイムが鳴り、オフィスが俄に騒がしくなる。そんな中、克哉は混んでいるエレベーターに乗るのが嫌で、少し遅れて部屋から出た。
 隣の席に本多の姿はない。今日は大口の契約が取れるかも知れない、と張り切って出かけていくのを見て以来だ。
 オフィスを出るのを十分遅らせるだけで、エレベーターホールは人気がほとんど無かった。誰も乗っていない箱に乗り込んで一階に下りると、克哉は惣菜屋に向かって歩き出した。
 五分も歩かないうちに、ビルとビルの間にひっそり佇む惣菜屋にたどり着く。
 こういった類の店は近くで働くOLが押し寄せて混んでいてもおかしくないのだが、何故かいつも空いていた。今日も、品の良さそうな老婆が背筋をしっかり伸ばしてカボチャの煮付けをトレイに盛っている以外は、客の姿が見あたらなかった。克哉にとっては空いているほうが好都合ではあったが、儲かっているのかと要らぬ心配までしたくなる程だ。
 トレイを取り、ぐるりと辺りを一巡した。日によって並んでいる料理が異なる。今日も和洋中とそれぞれ特徴のある総菜が並んでいる。少し悩んで、エビとマカロニのクリームグラタンと、ベビーリーフのサラダ、そしてバターロールを手に取った。
 会計を済ませ、外に出る。暦では秋だが日差しはまだ強く、歩いているとじんわり汗が滲んでくる気がする。それでも、時折吹き抜ける風は涼しくて、夏とは違う心地よさを感じた。
 キクチのビルに戻り、オフィスではなく屋上へ向かう。天気がよい日はそこで昼食を食べることに決めていた。
 幸い誰もおらず、お気に入りの場所である壁際に置かれたベンチに腰掛けると、買ってきた総菜を広げた。まだほんのり暖かいグラタンにそっとスプーンを入れ、掬って口元へ運ぶ。柔らかいクリームとほんのり漂うエビの風味が絶妙だ。だからこの惣菜屋が好きなのだ。
 限られた休み時間の中で、最大限に食材を味わいながらゆっくり食べる。バターロールは自家製らしい。パン生地の甘みが程よく、克哉は自然と微笑んでいた。
 その時。
「かーつや。こんな所にいたのか」
「……本多」
「何だよ、そのガッカリしたような顔は」
 克哉が座っているベンチは入り口からは死角だ。それなのにまっすぐこちらへ来たところを見ると、おおよそ見当は付いていたのだろう。本多は克哉の隣に腰掛けると、四分の一も残っていない克哉のクリームグラタンに視線を落とした。
「なんか美味そうな物食ってるな」
 ひょい、と本多の視線からそれを外し、残りを手早く掬って口の中に入れた。それから、
「お前がいつも食べている定食とは違うからな」
「何だよ、あそこは量も多いし安いし最高だろ?まあ、俺だっていつもあの店じゃ飽きるけどな……」
「ならどうして俺をいつもあそこに連れて行くんだ」
 克哉の不満げな声を察したのだろう、本多はにっと笑って、
「だって、克哉。お前ちゃんと食事してないだろ?昼食くらいがっつり食べないと、倒れるぜ。それでなくても今忙しいんだし」
 馬鹿にしているのか、と言いかけてグッと堪えた。
「俺はそんなヘマはしない」
「どうだか。今日だって、それだけなんだろ、昼飯」
 本多は克哉の隣に置かれた容器を見て言った。確かに本多が言うとおり、今日の昼食は少なかったかもしれない。克哉だって本多ほどでは無いにしろ、食べようと思えば結構な量を食べることが出来る。が、敢えてそれをしないことを分からないのかこの男は。
「俺は、美味しい物を少しずつ食べたいんだ」
「美食家ってやつか?」
「……本多。俺の昼食に何か文句でもあるのか?」
 今日の本多はいやに突っかかってくる。克哉は咄嗟に思いを巡らせた。が、本多がそのような行動に至る理由は思いつかなかった。
「……それとも、お前を待たず一人で昼食を食べたことが気に入らないのか?ガキだな」
「ばっ、そんなんじゃねぇよ……」
 そう言いながらも、本多は拗ねたように克哉から視線を逸らせた。それでは図星だと言っているようなものだとどうしてこの男は気づかないのだろう。まあ、それが面白いのだが、と克哉は空になったグラタンの容器を脇に置いて、徐に本多のネクタイを掴んだ。ぐい、と自分の方に引き寄せると、素早く唇を重ねる。
「なっ……かつ、やっ……」
 もごもごと抵抗する舌を絡め取れば本多も大人しくなる。暫くの間本多の口内を堪能する。ようやく唇を離す頃には、お互い呼吸が少し乱れていた。
「……お前、まだ昼飯食べてなかったのか」
「……っ」
 どうしてわかった、と本多が目を丸くした。
「お前は昼食後必ず歯を磨いているが、歯磨き粉の味がしない。かといって食べ物を食べたような跡もなかったからな」
「うるせぇ……何で分かるんだよ」
 まるで悪戯が見つかった子供のようにばつが悪い顔をして、本多は俯いた。
「いつもここでキスしてるんだ。それくらい分かって当たり前だろ?」
「そんなのお前だけだっての」
 やれやれ、と溜息を吐く。結局自分は本多に甘い。
「で、どこに付き合えば良いんだ?」
 本多は顔を上げて克哉を見た。しかし、その顔には克哉が何を言っているのか分からない、と書かれている。
「お前の昼食に付き合ってやる、と言ってるんだ。それくらい」
 察しろ、と最後まで言えなかった。今度は逆に本多に唇を塞がれたからだ。
 先程克哉が本多にしたように、口内を嬲られる。歯の裏をぞろりと舐められて身体が震えた。
「……お前の口の中は、エビグラタンの味がする」
「で、腹は膨れたか?」
「まさか」
 ちらりと腕時計に視線を走らせる。休み時間は残り三十分を切っているが、多少の遅刻は認めてもらおう、と片桐に対する言い訳を考えながらーー片桐は恐らく文句など言わないだろうがーー克哉はベンチから立ち上がった。そして、最後にひと言、言いそびれていた事を本多に尋ねた。
「ところで、お前が朝言ってた契約は取れたんだろうな?」