040:小指の爪(OB デビケビ)
それは忘れた頃にやって来る。
もしくは、そういう風に仕組まれているのかも知れないと疑うほど、絶妙なタイミングでケビンに襲いかかるのだ。
それはとてつもない苦痛をケビンに与え、暫く言葉を発することが出来ないほどの状態に追い込む。その痛みと言ったら、思わず飛び上がってしまうほどだ。そして、暫くの間ケビンを使い物にならなくするほどの威力を持っている。
その苦痛が自分の不注意によるものだと分かっていても、相手を恨まずにはいられない。涙を浮かべた目で苦痛の原因を見るが、それは何の表情も変えずにそこにあるだけだ。
「くっそー」
為す術無く、ケビンはソファに身体を投げ出した。
***
「で、その有様か」
「うるせえよ…」
あきれ果てた様子のデビットに、恨みがましい視線を送る。
デビットはケビンの足を見ていた。投げ出された右足の小指には、大げさに包帯が巻かれている。お世辞にも上手いとは言えない巻き方で、今にも解けてきそうだ。そしてその包帯の所為でケビンの小指は普段の数倍大きくなっている。
「注意力と学習能力が足りん」
「お前に言われたくねえ…特に学習能力」
その言葉にムッと来たデビットは、
「いっそ口に包帯でも巻いておけ」
そう言ってわざとその小指を蹴った。と言っても軽く、ではあったが、それだけの振動すら今のケビンには相当の苦痛らしい。目を閉じて痛みを我慢しているようだった。
「何するんだこの馬鹿!」
ようやく口がきけるほどに回復したケビンはデビットに向かって怒鳴った。が、デビットは知らん顔してキッチンで水を飲んでいる。
「骨が折れてたらどうするんだよ!」
「そんな柔に出来てないだろうが」
ほれ、とケビンに水の入ったグラスを渡す。ケビンはまだ何か言いたそうな顔をしていたが、黙ってそれを受け取った。
「これじゃ靴が履けねえ」
「…お前、それで靴が履けるわけないだろ」
貸してみろ、とデビットはベッドの端に腰掛けると、ケビンにこちらへ来るよう指示した。ケビンは素直に従い、デビットと少し間を開けて座ると、右足をデビットの方へ伸ばす。
適当に巻かれたとしか思えない包帯を外して問題の小指を見ると、多少赤くなってはいたが外傷も特になく、痛みさえ取れれば包帯など必要ないレベルだ。これは要らんなと外した包帯を横に置いてデビットは立ち上がった。
「お、おい、何処行くんだよ」
「痛みは冷やせば引く」
ガラガラと製氷皿の氷をビニール袋に移す。それの口を縛って氷袋を作ると、デビットはケビンの足を引き寄せて自分の膝の上に置き、赤くなった小指に氷袋を乗せた。
「冷てっ」
「我慢しろ」
「だってお前、小指じゃない所にも乗ってるじゃねえかよその袋が!」
「小さい袋が無かった」
「それにしたって、氷入れすぎだろ」
小指は確かに楽になった。が、逆に他の指や足の甲が冷たくてケビンは身じろぎする。数個で十分だろうに、と文句を言いながらも、デビットがこうして何かをしてくれるのは珍しい為、足は預けたままだ。
ケビンの足に氷を当てているデビットの顔が今まであまり見たことが無いくらい真剣に見えて、ケビンは思わずじっと見つめてしまった。こいつこんな顔だったかな、と記憶をたぐり寄せるが、そう言えば横顔をしっかり見るのは初めてかも知れない、と思う。
そして、氷の冷たさとは別に、右足を固定する手の感触がくすぐったい寸前の様な、微妙な感触で笑い出しそうになるのをぐっと堪えていた。デビットに足の裏を触られるのも初めてだった。
「…初めてづくしだ」
「何が」
「いや、何でもねえ」
十分ほどそうしていただろうか。余りの冷たさに耐えかねたケビンが軽く足を上げると、予想外の動きだったのかデビットがその袋を取り落とした。殆ど氷が溶けていた袋は水音を立てて床に落ちた。
「…わりぃ」
「楽になったか」
「大分な。包帯もいらないぜ」
じゃあ靴も履けるな、とデビットが立ち上がりかけたその時、ふとケビンの小指に何か付いているのが見えて顔を近づけた。
付いている、と思ったのは間違いで、実際は爪の中に内出血した血だった。赤黒く小さな斑点が一つ爪の中に見える。
「内出血してるぞ」
「げ、だからいつもより痛かったのか?」
ケビンも気づいていなかった様で、デビットに指摘された爪をしげしげと眺めていた。
「俺、この爪見るたびにあの痛さを思い出しそうだぜ」
「フン、お前にはいい薬だ」
これに懲りてもう少し注意して歩くんだな、というデビットの言葉に、ケビンは苦い顔だ。
そして、口には出さなかったが、爪を思い出すたびにデビットの横顔と、指の感触と、氷の冷たさも思い出しそうだなと思った。