011:柔らかい殻 (OB ジョシン)
今日は楽しかったわ、とか、見た映画の感想とか、そういうデートで必ずすると言っていいような会話をしながら、私たちはゆっくり歩いていく。
大通りから一つ裏に入った道は、すっかり静まり返って、嫌でも互いの声がよく聞こえてしまう。
もしかすると、声だけじゃなくて、胸の鼓動まで聞こえているんじゃないかと私はこっそり顔を赤くした。
暗いのが幸いして、ジョージには気付かれていないようだった。ジョージは職業柄、顔が赤いとすぐ熱があるんじゃないかと私の額に手を当てるけど、それが私の顔をますます赤くしてるだなんて、ちっとも気付いちゃいない。
「今度はどこへ誘えばいいかな」
「そうね…今日はイタリアンだったから、フレンチとか?」
本当は何でも良かった。誘ってもらえるのならば何でも。
最初に誘ってきた時は、単なる遊びだと思っていた。彼はかなり年上だけど、女に困っている風には見えなかったから。整った顔立ち、仕立ての良い服、そして医者という職業の三つがあれば、世の中の女性を虜にするには十分すぎると思う。
そんな彼がどうして私に声を掛けてきたのかは分からない。けれど、別に嫌いではなかったし、一緒に食事する位なら、と思ったのが今考えてみれば間違いだったのだ。
「…シンディ、シンディ?」
「!ああ、ごめんなさい…少し考え事を…」
「大丈夫かい?辛いなら少し休むかい?」
そっとジョージが私の肩を抱く。この人は中に入ってくるのが上手い。柔らかく、けれど容易く破れる事の無い殻の中にするりと溶け込むようにして入ってくる。今まで出会った人で、そんな人はいなかったのに。
「ええ、大丈夫…気にしないで。行きましょう」
そう言うと、ジョージは抱いていた肩からそっと手を離した。こういう仕草は大人だと思う。ただべたべたしたいだけの男とは違うと思い知らさせる。
いつの間にか、私の方がジョージの事を好きになっていた。いつから、とか、そういう事は覚えていないし興味も無い。好きになった時間はあまり関係ないような気がするから。
友達にジョージの事を話すと、絶対何かあるだとかやめた方がいいとか否定的な意見ばかりが返ってくるけど、それもあまり気にしない事にした。ジョージの良さは私だけが分かっていればいいと思うから。
「また、誘ってくれる?」
「勿論だよ」
軽く微笑むジョージ。彼の殻も柔らかい。それは簡単に破れそうに見えて、突撃するだけじゃ決して破る事の出来ない殻だ。けれど、この殻を破らなければ彼とつきあう事は出来ないだろうと思う。
それから何か会話をしながら歩いてきたはずだけれど、私は何も覚えていなかった。気が付けば自分のアパートメントの前まで来ていた。
「どうもありがとう。今日は本当に楽しかったわ」
「こちらこそ」
「ねえ…」
「何だい?」
「私、ジョージの事好きだわ」
こんな事で彼の殻を破れるとは思わないけど、物は試しとばかりにナイフを正面から投げ付けてみることにした。私の気持ちをさらりと伝える。けれど、口調とは裏腹に、顔は真っ赤だと思う。火照った肌に夜の空気が気持ち良かった。
「ありがとう」
ほら、こんな事じゃ彼の殻を破る事なんか出来ない。そんな風ににこりと微笑まれて礼を言われては、次に何を言えばいいか分からないじゃない。
「あら、私は本気よ?」
精いっぱいの強がり。ジョージは笑って、私も君の事が好きだよと言う。
「いつか、あなたの殻を破ってみせるわ」
何の事か分からないジョージは、何を破るって、と言っていたけれど、私は微笑むだけ。
「いいの、分からなくても。でも、その時は私の事を真剣に考えてちょうだいね」
「よく分からないけど、君の事はいつも真剣に考えているよ」
ありがとう、おやすみなさい、と言って、私はアパートメントの階段を駆け上がった。
次に彼に会う時には、せめて彼の殻に傷くらいつけられるといいなんて考えつつ。