007:毀れた弓(幻水2 赤青)
この前、つい酔ったはずみで隠し続ける筈だった気持ちをマイクロトフに伝えてしまった。それ以来、私はマイクロトフが待つ部屋へと戻りづらくなった。
返事すらはっきり聞かせてもらっていないという曖昧な状態の中、部屋へ行けばマイクロトフがいるという状況は、思いのほか辛いものだった。無意識の内に私は部屋を、そして彼自身を避けて行動しており、街に出て帰って来るのが夜中という生活を送っていた。
その日はたまたま部屋で荷物の整理をしていた所へ、マイクロトフがやってきた。
「カミュー」
マイクロトフに声を掛けられて振り返る。本当は振り返りたくなかった。彼の顔を見るのは、辛すぎる。
「何だい、マイクロトフ」
努めて冷静に振舞おうと、私は一言一言ゆっくりと口に出した。そっと視線を外して彼の手を見る。いつ見ても傷だらけの手だった。
「お前、最近どうして帰ってこないんだ」
「え?」
「明らかに俺を避けているだろう」
「そんな事は無いよ。ただ色々と忙しいんだ」
「花街で遊ぶ事が、か」
驚いた。マイクロトフがそこまで調べているとは思いもしなかったのだ。本当の事を言い当てられて、私は返事に窮した。その沈黙を肯定と取ったのか、マイクロトフは更に続ける。
「前々から言おうと思っていたのだ。お前の行動はよく分からん。俺に言いたい事があるなら面と向かって言え」
「…あいにく、そんな単細胞じゃないのでね、お前と違って」
自分でも驚くほどの冷たい声で、私は喋っていた。未だかつてマイクロトフにこんな冷たい言葉をかけた事があっただろうか。さすがのマイクロトフも、私の様子が普段と違う事に気付き、ぐっと言葉を詰まらせた。
止めておけばいいのに、私は更に氷の言葉を浴びせる。
「行動がよく分からないのはお前だよ。私の告白を聞いていたのだろう?それは無かった事にしようというのか?はっ、ご都合主義にも程がある!!」
「そ、俺は、そんな事は…」
「だったら私なんかを気にかけたりするな。本当は思っているんだろう、気持ち悪い、ってな」
ああ、私は毀れた弓だ。自分で自分を制御出来ず、見当違いの方向へ弓矢のような言葉を放ち、相手も自分も傷つける。
最早マイクロトフは何も言わなかった。私もこれ以上何も言わず、上着だけ手に取ってさっさと部屋から抜け出した。あのままあの部屋にいたら、もっとマイクロトフを傷つけるかもしれないと思ったからだ。
マイクロトフの傷付いた顔が思い浮かび、私は胸が締め付けられるような痛みを感じた。好きなのに素直になれないなんて、子供と同じだ。いや、まだ子供の方が可愛げがあるだろう…
結局その日は部屋に帰らず、知り合いの部屋に転がり込んだ。もう街に行く気力すらなかった。
翌日、食堂でたまたまマイクロトフに会った。昨日の事もあり互いに顔を合わせ辛く、声を掛けるべきか一瞬悩んだ所へ、マイクロトフがおはよう、とだけ言って来た。
「おはよう」
私も挨拶だけを返す。すると、マイクロトフは何やら紙切れを私に差し出して来た。
「何だいこれは」
「黙って受け取れ」
一刻も早くマイクロトフから離れたかった私は、取りあえず紙切れを受け取ると、一人分だけ空いている席へ素早く移動した。マイクロトフは暫く私の方を見ていたが、他の友人らしき人と一緒に離れた席へ着いたのが見えた。
マイクロトフの姿が見えなくなってから、私はそっと先ほど受け取った紙を開いてみる。そこには、やや角張ったマイクロトフの字で、時間と場所のみが記されていた。
「ふーん…」
いっその事、ここで思いを断ち切るべきなのかもしれない。けれど、私は今すぐそれをする事は無理だと分かっていた。長年暖め続けた思いをそう簡単に捨てられるものだろうか。
…結局私はまだマイクロトフの事が好きなのだ。自らわずかに残された可能性を断ち切った癖に、未練だけは山のようにある。我ながら女々しいとは思うが、今さら変えられるものでもない。
私はマイクロトフの誘いに乗る事にした。彼の事だ、文句の1つも言いたいのだろう。それに、彼にはそうする権利がある。
指定された場所は自分とマイクロトフの部屋だった。昨日あれだけマイクロトフを傷つけた場所だけあって、少々気まずい。私が部屋の扉を叩くと、既にマイクロトフは中におり、なんで自分の部屋なのにノックするんだ、と言われた。
「俺が何故お前を呼び出したのか分かるか」
「昨日私が言った事に対して文句の1つも言ってやろうと思ってるんだろう?」
「違う。お前は、俺の気持ちを全く聞いていないからだ」
マイクロトフの気持ち。…そう言えば、私は彼の気持ちを真正面から受け取った事はあっただろうか。
「俺はお前の告白とやらに対して、何も言っていない」
それなのに勝手に誤解して部屋は出て行くし、行動が短絡的すぎる。とマイクロトフが怒っている。
「傷付く事なら聞きたくない」
「お前の方がご都合主義じゃないか!!勝手に自分の気持ちだけぶちまけて、俺に身に覚えの無い文句を言って…そりゃあの時はっきりと言わなかった俺も悪いが、突然あんな事言われて返事が出来る方がおかしい!」
大きな声でマイクロトフが怒鳴った。一気に捲し立てたため、ぜーぜーと肩で息をしている。こんなに必死になっているマイクロトフを見るのは、訓練以外に無いな、なんて思ってしまった。
そして、それと同時に、自分の中に張りつめていた暗くて重い気持ちがいつの間にか何処かへいってしまっていた。マイクロトフの迫力が吹き飛ばしてくれたのかもしれない。
「大体お前は…いや、もういい。いいか、一度しか言わないぞ。よく聞け」
「何だい?」
「俺は、お前の事が好きだ。この好きがお前の言う好きと違っている可能性はない訳ではないが、取りあえず嫌いになるということは無い。それを頭においておけ。この後は、お前の行動次第だ」
一瞬、夢を見ているのかと思った。どうやら今までの騒動は、私の独り相撲だった事がじわじわと分かってくる。マイクロトフにしてみれば、全く馬鹿らしい事だろう。私の八つ当たりのターゲットにされたようなものなのだから。
「おい、カミュー」
「…馬鹿だなあ」
「お前がだ。この馬鹿もの。一人で何を騒いでいるのだ」
「済まない。本当に済まなかった」
「大体長い付き合いだと言うのに、お前は俺の事を全く分かってないだろう」
腕を組んで、マイクロトフは私をにらみ付けた。もう私は彼に適わない。
「あんな事言われて、俺が傷付かないとでも思ったか」
「そんなこと全然ないよ!あれから済まないと思って…」
「それならば態度で示せ。全く…」
まだぶつぶつと文句を言い続けるマイクロトフを私は後ろから抱きしめた。これ以上に幸せな事は無い。長い間、自分が何をしなくても相手が寄って来たのもあって、私は自分の事しか考えない恋愛ばかりしてきたように思う。けれど、それも今日までだ。
そして、私はマイクロトフの事になると暴走する癖を直せと、2時間ばかりマイクロトフに説教されてしまった事を追記しておく。