005:釣りをする人(OB ジョシン)



 釣りをしないか、と誘われた。
 正直、いままでそんなことしたこと無かったし、大体誘われたことも無かった。
 紳士で、冷静で、インドア派…だと思っていたんだけど、実際の所何考えてるのか分からない。
 けれど、特に断る理由もなくて、曖昧に返事していたら、いつの間にか時間が決まってた。
 すっぽかすのも申し訳ないかなと思って、その日は少しだけ動きやすい格好で行くことにした。
 結局私は、楽しみにしていたのかもしれない。

「…ジョージって、何時もこんなことしてるの?」
「いや、そういう訳じゃないよ」
「ふーん…」
 連れて行かれたところは、何にもない山奥だった。朝がそれなりに早かったので、私は途中すっかり眠ってしまったらしく、起こされた時は既に辺りが別世界になっていた。
 ジョージは今まで見たこともないようなカジュアルな格好で、嬉しそうに車からいろいろ下ろしていた。私はどうしていいか分からなかったけど、とりあえずと思ってその手助けをした。
 本当に、人工的なものはジョージの車と、下ろした荷物くらいだった。自然に囲まれるっていうのはこういうことだと初めて知った。私は、生まれも育ちも市内だったし、それに今まで付き合ってきた人の中に、アウトドア指向な人はいなかったから。
「昼ご飯を釣るよ」
「期待してるわ」
 ジョージを初めて見たときは、まさかこんな趣味があるとは思っても見なかった。趣味は時計集めと言われたときもなんだか普通の人とはちょっと違うな、とは思ったけど。でも、職業は外科医だし、ルックスもそこそこ。それに何より、とても優しかった。そんな所が気に入って、お付き合いを始めた訳だけど…
 ジョージは釣りを始めてしまったし、私は特にすることもなくて、ぼんやりと川が流れるのを見ていた。市街地では決してお目にかかれないような清流。確かに気分転換にはいいかもしれないけど、正直言えば、私はもう少し、普通のデートがしたかったな、と思う。
 二人の間には会話も無い。さらさらと水の流れる音と、鳥の声くらいしか音は存在しない。退屈なので、少しジョージの方へ近づくと、突然川に垂らしていた紐が激しく動き始めた。
「何、何なの?」
「魚がかかったんだ。引き上げるよ」
 そういってジョージはきゅっと顔を引き締めた。真剣な表情で竿を引き上げている。私にはその時間は本当に長く感じられたけど、おそらく一瞬の出来事だったんだろう。
 気がつけば、目の前にぴちぴちと跳ねる魚が一匹。
「それほど大きくなかったな」
「ねえ、コレが昼ご飯?」
 私の問いかけにジョージはこくん、と頷いた。そして、
「シンディもやってみるかい?」
 と竿を差し出した。私はとまどったけど、ただぼんやりと時を過ごすのも勿体ないな、と思ったので、やるわ、と竿をジョージから受け取った。
「餌は付けたから。水面に針を落としてじっと待つだけさ」
 そういわれて、私はジョージがさっきまで座っていた所に腰掛けた。そのまま10分、20分と待つ。ジョージに聞けば、さっきみたいにすぐ魚がかかるのは珍しくて、普通はじっと待つことが多いと言っていた。そんなの、私は耐えられるかしら?
 ジョージは私の横に座って、けれど一言もしゃべらずにじっと水面を見ていた。私は思わず、
「ねえ、何かしゃべってよ」
 と言ってしまった。ジョージは少し驚いたような顔をしたが、すぐに済まなかった、と謝って、
「強引に誘って、悪かっただろうか」
「…少し、ね」
「けれど、今後も付き合っていくのなら、僕の趣味を分かって欲しかったんだ」
 そしてジョージは、月に一度この川に遊びに来るということ、釣りばかりでなく、カヌーで川下りをしたりするということを話してくれた。どれも私が初めて聞く話ばかりで、ちょっと驚いた。
「意外に思っただろうけど」
「ちょっと驚いたわ」
 でも、嫌ではなかった。最初はつまらないと思ったけれど、こうしてじっと待っていることも、そんなに悪くないんじゃないかと、少しだけ思った。
「また、誘ってもいいだろうか」
「それは、今日の成果次第、かしら」
「努力するよ」
 ジョージが笑ったので、私もつい笑ってしまう。前から思っていたけれど、ジョージの笑顔はとてもすてきだ。普段のエリートという仮面の下から、子供らしい笑顔がひょっこりと覗く。
「あ、引いてる」
「え?」
 言われて川に視線を戻すと、確かに水面に垂らした糸がくい、くいっと水中に引き込まれている。ちょっと油断すると、竿までもって行かれそうな位だ。
「ど、どうすればいいの!?」
「落ち着いて、僕の言うとおりにすればいい」
 まずゆっくりと竿を引く。水面ぎりぎりの所まで持ち上げたら、一気に上まで引き上げる。手伝うから、とジョージは言った。私は頷いて、言われた通りにゆっくりと竿を引いた。針が水面からでるぎりぎりの所で止めると、水面が泡だって、暴れている黒い魚の陰が見えた。
「いまだ!」
 は渾身の力で竿を引き上げた。すると、黒くて大きい魚が水しぶきとともに水面から舞い上がった。勢い余って、ずるっと岩から滑り落ちそうになったところをジョージが支えてくれた。
「すごい、大物だ!」
「私が釣ったのね!」
 岩の上でぴちぴちと跳ねる魚を見て、私たちは二人で手を取り合って喜んだ。初めての釣りでこんなに大きい魚を釣るなんて!!
「すごいよ、シンディ。これで昼ご飯は安泰だな」
「駄目よジョージ、前のが小さすぎたわ」
「じゃあもう一匹くらい釣ろう」
 その前に、ジョージは先に川の流れを遮って作った池に、私が釣った魚を入れてくれた。そこには先にジョージが釣った魚もいて、小さな水槽みたいだと思った。

 結局釣れたのはあの二匹で、私たちは昼ご飯を食べて家路についた。その後も色々はしゃいでしまったので、私はすっかり疲れていた。
「疲れたかい?今日は済まなかった、僕の趣味に付き合わせてしまって…」
「いいのよ。楽しかったわ。今度は川下りにも連れて行ってくれる?」
「もちろん」
 初めての経験ばかりで、今日はとても楽しかったと思う。朝につまらないと思っていたのが嘘のようだ。とても満足した気分のまま、私は眠りに落ちていった。