004:マルボロ(OB デビケビ)



「なあデビッド。火持ってねえ?」
「…ない」
「そっか」
 ケビンは残念そうに手にしたタバコを箱に戻した。しわくちゃになったその箱をポケットにねじ込む。
「お前さ、タバコとか吸わねえの?」
「別に。オレが吸おうが吸うまいがお前には関係ないだろう」
 素っ気ない態度に慣れたケビンは、やれやれという素振りを見せながらそれ以上何も言わなかった。
 いつの間にか二人は怪しげな工場に迷いこんでいた。わずかな脱出の手がかりを求めて走り回ったが、今の所何の手がかりも掴めていない。元々短気なデビッドは現在の状態にいら立ちを感じていた。
 お陰で注意力散漫になっており、いつもなら聞き落とさないような敵の立てる物音に気が付かなかった。ハッとした時は既に遅く、至近距離に化け物の顔があった。
「畜生!」
 倒れこみながら化け物にスパナを投げる。それに怯んだ隙に立ち上がり、ハンドガンの弾を数発打ち込むと、化け物はぴくりとも動かなくなった。額にじっとりと滲んだ嫌な汗を拭い取り、さっきまで一緒にいたはずのケビンの姿を探すが、辺りには見当たらなかった。
 あれでも一応は警官だ。銃も持っていたし、そう簡単にくたばるとは思えない。普段のデビッドならそのまま放っておいたはずだ。
 しかし、何故か無性に気に掛かって、デビッドは元来た道を走り出した。嫌な予感がしたのだ。いつもなら化け物に気付かれるという理由で滅多に喋らないのだが、今は大声でケビンの名を呼んでいる。自分でも何をしているかよく分かっていなかった。ただそうしなければならないという気持ちだけがデビッドの行動を支配している。
 
 ようやく見つけたケビンは、着衣を血で染めて、その場に座り込んでいた。
「よお…来るのが、遅いぜ…」
「何やってるんだこんな所で」
「何って…休憩してるんだよ。見りゃ分かるだろ?」
 口調はいつもと変わりなかったが、声は弱々しかった。体力が限界だということはデビッドにも分かった。
「取りあえず、移動するぞ」
 そう言ってケビンを立ち上がらせ、ケビンの腕を自分の肩に乗せる。そのまま腰を支えるようにして二人でゆっくりと歩き出した。傷が痛むのか、ケビンは顔をしかめたままだ。
「この先に、休憩室がある…あそこなら何かあるかも、しれない」
「分かった」
 ケビンに指示された部屋まで行くと、そこは職員の休憩室らしく、簡易ベッドとキッチンがあった。取りあえずベッドにケビンを横たえ、何か治療するものが無いかとデビッドは辺りを探しまわる。
 幸い戸棚の中から応急処置に使うキットが見つかった。デビッドはそれをケビンに放り投げると、
「それで治療して寝てろ。俺はもう少し周りを見てくる」
「ああ…サンキュー」
 扉を出て行こうとしたデビッドに、後ろからケビンが声をかけた。
「ライターあったら、持ってきてくれよ」
「馬鹿が。黙って寝てろ」
 この期に及んでもまだタバコを吸いたがるケビンに、デビッドは呆れながらもその要求は頭の片隅にとどめておく事にした。
 幸い化け物はそれほど出て来る事は無く、所々に落ちている弾薬やスプレーなどを使いながらデビッドは先に進んで行く。どうやら出口らしい扉と、その扉の鍵を見つけた所で、ケビンを連れて来る事にした。途中の道にいた化け物は全て倒してきたため、少々お荷物がいた所で二人共倒れすることは無いだろうという判断だ。
 駆け足でケビンの居る休憩室に戻る。扉を開けると、先ほど出てきた時と同じようにケビンはベッドに横たわっていた。あまりに静かなので死んでいるのでは無いかと思ったほどだった。
 そっとベッドに近付くと、ケビンは軽い寝息を立てて眠っていた。そう言えば突然街が化け物で埋まり、そこから脱出しようとしてから既に二日は経っているはずだった。その間、デビッドは眠っていない。眠気すら感じないほどに脳が覚醒していた。早くこんな地獄から脱出したい、その思いだけがデビッドを動かしている。それに、今眠ったらそのまま起き上がれなくなるような恐怖心もあった。
 …ケビンももし、このまま起きてこなかったら?
 突然言い様の無い不安に駆られて、デビッドは乱暴にケビンを揺り動かした。
「おい、起きろ。のんきに寝てるんじゃねえ」
 しばらくそうしていると、さすがのケビンも目をさましたらしく、
「ん…ああ?デビッド?」
 とまだくっつこうとする瞼の間からデビッドを見た。その目はまだ正気を保っている目だった。それを見てデビッドは安堵する。
「脱出口が見つかった。行くぞ」
 まだ完全に覚醒していないケビンを急かす。治療キットと睡眠のお陰か、ケビンの体力はいくぶんか回復しているようだった。声に力強さも戻ってきている。
「こんな所とは一刻も早くオサラバだな」
「早くしろ。置いて行くぞ」
「はいはい」

 二人は無事に工場から脱出した。空には血のような真っ赤な夕焼けが広がっていたが、出た所はまだ街の中だった。一体何時になったらこの悪夢のような街から逃げ出せるのだろうか。胸に不安を抱きながら、デビッドは足を止めた。
「ん?どうした?」
「ほらよ」
 ケビンに差し出した右手には、鈍い色に光るジッポーが乗っていた。ケビンはまさか本当に探してきてくれるとは思っていなかったので、驚いたが、黙って受け取った。
「サンキュー」
「たまたま落ちていた。お前はラッキーだな」
「まあね。こうして生き残っていられるし?お前のお陰で」
 正直あのままだったらヤバかった、とケビンは笑いながら言った。デビッドは何も言わなかった。
 先ほど仕舞いこんだくちゃくちゃのタバコをポケットから出し、一本口にくわえるとそれに火をつける。そして煙を深く吸い込んだ。
「ああ、生還した後の一服はうめえ」
「馬鹿が。まだ街の中だ。そういうことはここから無事に逃げ出してから言え」
「お前も考え方が固いよ。どうだ一本?」
 ケビンはデビッドの鼻先数センチの所にタバコを差し出した。特に断る理由も無かった為、デビッドはそれを素直に受け取ると、口にくわえた。するとすぐにケビンがジッポーで火をつけてくれた。
「マルボロか?」
「あたり。どうして分かった」
 ケビンの持っていたタバコは、箱の紙がそげ落ちてパッと見どの銘柄かは分からないようになっていたのだ。
「昔吸ってたからな」
「何だ、吸ってたのか。なんで止めたんだ?」
「…何となく」
 それ以上喋るのも面倒になって、デビッドは会話を打ち切った。慣れっこなケビンもそれ以上追求しようとはしなかった。
 二人は並んで黙ってタバコを吸っていた。細い煙が二本、赤い空にゆらゆらと揺れていた。