きみと一緒にごはんを食べよう(サンプル)




(4〜10ページ)

この本は、テニスの王子様の原作から十年後〜の未来パラレル本です。
手塚・真田ともに最初は25歳の設定で話が進んでいきます。

・手塚国光(25歳)
 プロテニスプレイヤーでドイツを拠点として世界各国の大会に参戦。

・真田弦一郎(25歳)
 社会人3年目。最近仕事が忙しくなってきたサラリーマン。

二人は中学三年の頃からおつきあいをしている設定です。
上記の設定が大丈夫な方のみ、本文へどうぞ。


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 日本に帰ってきている手塚と久しぶりに食事をすることになった。
 都合の良いことに今日は金曜日で明日は仕事が休みだ。プロテニスプレイヤーとして海外を拠点に活動している手塚が日本に戻ってくるのはまれで、それが週末と重なる確率はかなり低い。真田もここ数ヶ月は仕事が忙しく、毎週のように休日返上で働いていたから、久しぶりに二人でゆっくり話が出来ると思うと、自然と顔が緩む。
 何とか定時そこそこで仕事を切り上げ、帰宅の準備をしていたところに、普段から何かと気に掛けてもらっている先輩社員がやってきた。
「おっ、真田、今日はもう上がりか? よかったら飲みにいかないか?」
「すみません、今日は先約が」
 真田が申し訳なさそうにそう言うと、その人は目を丸くした。そして次の瞬間、にやりと顔を歪ませる。
「なになに、女の子?」
「いえ、学生時代からの友人で」
 またまた、隠さなくてもいいんだよ? と言いながらも、その人は真田が嘘を言っていない事に気付いている。良く言えば実直で真面目だが、その一方で融通の利かない所もある真田の性格を分かった上での戯れ言だ。
「それなら仕方ないなあ。また今度な」
「はい、失礼します」
 深々と頭を下げ、真田は鞄を手に取ると出口へと向かった。予定より少し遅くなってしまいそうだ。手塚はもう店で待っているかも知れない。人を待たせるのは性に合わないが、平日の約束は仕事の状況で如何ともしがたい事もあると、数年の社会人経験から学んでいた。
 少し大股で駅までの道を歩いて行く。手塚が指定してきた場所は、真田が働くオフィス街から程近い、とある繁華街にある居酒屋だった。事前に送られてきたメールに添付されていた地図で大体の場所は把握しているが、似たような店が多い界隈だ、無事に見つけられるか不安もある。
 歩道を埋め尽くすほどの人の波に乗って、駅にたどり着いた真田は、運良く目の前に滑り込んできた地下鉄に乗り込んだ。まだ本格的な帰宅ラッシュ時間帯ではないのか、電車内は空席が目に付いた。だが、今日はすぐに降りるからと、真田はドアの傍に立ったまま、窓の外に広がる暗闇をじっと見つめていた。
 そういえば、手塚は何か連絡をよこしていただろうかと、胸ポケットから携帯電話を取りだした。ちかちかと点灯するランプが、メールが届いている事を知らせてくれる。
 ホームキーを押して画面を表示させると、メールが一件届いています、というメッセージが表示されていた。そのままメールボックスを見れば、そこには手塚からのメールが未開封で存在している。時刻を見れば、ちょうど電車に乗ろうとしていた時間帯だ。急ぎ歩いていたせいで、着信時のバイブレーションに気が付かなかったようだった。
 未開封のメールを選択して開封すれば、思った以上にあっけない文章が目に飛び込んでくる。
『店に着いた。お前も早く来い』
「手塚め、あいつ一体何様のつもりだ」
 そう口から出掛かったのを飲み込んで、真田は携帯を閉じた。返事を送ろうにもここは地下鉄の中だ。それにもうじき店の最寄り駅に着く。手塚を待たせる時間は今から五分少々といったところか。
 表情の変化に乏しいあの男が、居酒屋の席に一人座って何を考えているのだろうかと考えて、真田はわずかに頬を緩めた。きっと鞄にいつも忍ばせている文庫本―それも海外のもの―を読んでいるに違いない。しかも、薄暗い店内の照明に僅かな苛立ちを滲ませながら。
 その姿が容易に想像出来たのは、以前同じように食事のために待ち合わせたときに、手塚が薄暗い居酒屋のテーブルで本を読んでいる姿を見たことがあったからだ。
 電車は緩やかに減速し始めた。と同時に、次に停車する駅を告げるアナウンスが流れた。次の駅で開くドアは真田が立っている側だ。それまで席に着いていた人も網棚から荷物を降ろしたり椅子から立ち上がったりし始め、にわかに車内が騒々しくなる。
 ホームに設置された自動扉にぴたりと位置を合わせて電車は止まった。ドアが開き、どっと人が降りて行く。真田も大勢の乗客と同じようにホームに降り立つと、改札階へ続く階段を上り始めた。手塚に指定された店は、地下鉄の数ある出口の一つを出てすぐの場所にあるらしい。
 歩きながら携帯電話を使用するのが苦手な真田は、結局手塚のメールに返信せぬまま、足早に手塚の待つ居酒屋へと向かった。



 指定された居酒屋のドアをくぐり、出迎えてくれた店員に友人が先に来てると伝えると、名前を確認されるまえにこちらへどうぞと案内された。
 完全個室ではないが、客同士が顔を合わせることがないよう大小様々な大きさに仕切られた店内は、薄暗い照明も相まってまるで地下迷路のようだ。店員の背中を追いながら、一人でうかつに歩き回れば迷いそうだと考えていると、こちらです、と奥まった位置にある暖簾が上げられた。
「遅かったな」
 真田が来た事に気付いた手塚は、文庫本から視線をあげると、栞を挟んで鞄へと仕舞った。その姿は道すがら想像していた通りで、真田の口元が僅かに弧を描く。
「すまない、出る途中で先輩につかまってな」
 スーツの上着を脱いでハンガーに掛けると、真田は手塚の向かい側に座った。ネクタイを片手で緩めながら、生ビールを、と注文すれば、俺もそれで、と手塚が乗じた。店員は小鉢に入った前菜をテーブルに置くと、そのまま先ほどの道を戻っていく。
 近くの席はどこも客がいないようで、微かに音楽が聞こえる以外は静かなものだった。
「元気だったか」
 そう尋ねたのは手塚だった。
「ああ。それなりにな。お前は……そうだ、優勝おめでとう。素晴らしい試合だった」
「メールもくれただろう」
「ああ。だが、次に会うときに直接言うと決めていた。出来る事なら、休みをもぎ取って直接見に行きたかったな。テレビの前で試合を見ているだけの自分を歯がゆく思ったのは久しぶりだ。そのくらい良い試合だった」
 テニスを止めてしまった自分と、未だ世界を相手に戦い続けている手塚。試合を見ていると、立場の違いに歯がゆく思う事もある。無表情ながらもどこか楽しげに、テニスボールを打ち合う手塚の向かいにいるのが自分ではない事が悔しい。
 そうして暫くの間、この前の試合について話をしていると、人が近づいてくる音が聞こえてきた。足音は二人の近くで止まると、失礼しますという声と共に暖簾が上げられる。生ビールがなみなみと注がれたジョッキが二つ、それぞれの前に置かれた。
 ジョッキを手にした真田が、手塚の大会優勝に、と言うと、手塚は顔をしかめた。そして、
「お前との久しぶりの再会に、だ」
 かつん、とジョッキがぶつかって音を立てた。
 こうして二人がプライベートな時間を共有するようになってから、既に十年以上の時間が経過している。表向きは中学時代からの友人として付き合っているが、実際は肉体関係まである恋人同士であることは、昔から付き合いのあるごく身近な人間しか知らないことだった。手塚は青学のメンバーの何人かに話をしているようだが、真田は立海大付属のメンバーにはその事を打ち明けていない。
 別段隠しておく必要はないと言い張る手塚に、頼むから公表してくれるなと言ったのは真田の方だった。真田自身も二人の関係がやましいものだとは思っていないのだが、世間はそうは思わないだろう事も知っている。
 手塚は世界的なテニスプレイヤーとして国内外から注目されている存在だ。スポンサーもいくつか存在している今の状態で、マイナスイメージになるような行動や発言は避けなければならない。そう、真田に真剣な眼差しを向けられながら説得されては、手塚も頷くしかなかった。
 そしてその約束は、プロデビューしてから数年が経過した今も頑なに守られている。だからこそ、こうして会っている所をマスコミにかぎつけられたとしても、古い友人と食事をしているだけだと思わせることが出来ているのだが。
 そのうち注文した料理が運ばれてきた。居酒屋の定番メニューをつまみにしながら、二人が話す内容は他愛ない日常の事が多い。
「どれくらいの間、日本にいられるのだ?」
「数日の予定だ。無理矢理休暇を入れてもらった。俺にも、好きな場所でゆっくり過ごす権利くらいあるはずだ」
「それはそうだが、お前の事だ、一度もラケットを握らない日が存在すること自体がまれなのだろうな」
「人をテニス馬鹿のように言わないでもらいたい」
「よく言う。テニス馬鹿とはお前の為にあるような言葉だろう、手塚」
「その言葉、そっくりそのままお前に返すぞ、真田」
「なんだと!?」
 まあ、最近はもっぱら観戦してばかりだが、と肩をすくめる真田に、手塚は勿体ないと零した。
「お前もこちらに来ると思っていた」
「期待に添えず申し訳なかったな」
「いや、俺に謝ることではない。だが、もうお前のテニスが見られないのは、少し残念だと思っただけだ」
「お前には見せてやるぞ。遊びくらいにはなろう。それに、お前との真剣勝負はもうやらんと決めた」
 プロになるつもりはなかった真田だが、今でも時間を見つけてはテニスクラブに通っている事を手塚も知っていた。だが、通っている目的はもっぱら運動不足の解消と、仕事によるストレス解消の為であり、学生時代のような攻撃的なテニスは相手がいなくて出来ないのだと言っていた事も覚えていた。
「む。今、俺の腕が落ちたと思ったな?」
「違うのか」
「くっ……確かにそうかもしれないが、あまり甘く見るなよ。お前が日本にいる間に一度試合をするか?」
「真剣勝負はしてくれないのだろう」
「当たり前だ」
 不満げに黙り込んだ手塚に、真田は努めて明るく、すまんな、と言った。


***


 そろそろ電車の時間ではないか、と手塚が時計を見ると、二十三時を回った所だった。手塚の実家は都内にあるため、終電にはまだ時間があるが、神奈川県の実家に帰らねばならない真田はそろそろ終電が近いはずだ。
「真田、そろそろ出よう」
 椅子から立ち上がり、少し眠そうな顔をしている真田の肩を揺らす。
「どうした、手塚、まだ大丈夫だぞ?」
「終電に乗り遅れるぞ」
 一週間の仕事を終えて疲れていた所に、アルコールを多量に摂取した所為だろうか、真田は普段よりも酔いが回っているようだった。いつもは何者も容赦なく睨め付ける鋭い眼光がすっかり影を潜め、瞼が今にも落ちてきて、その目を覆ってしまいそうだ。
 手塚に促されたことで、真田も腕時計に目をやった。そして、ふっと笑うと、
「まだ大丈夫だ」
 そう言って、頑なに席から立ち上がろうとしない真田に、手塚はため息を一つ吐いた。この店から、真田が帰宅に利用する駅まではそれなりに距離がある。もう店を出なければ本当に電車に間に合わなくなってしまう。
 終電を逃した後で、タクシーを使って帰るには現実的ではない距離だ。最悪自分の家に連絡して真田も一晩泊めてやるかと手塚が考えていた所へ、真田が口を開いた。
「手塚、座れ。終電はまだ早い時間だ」
「どういうことだ? 電車の時刻が変わったのか?」
「違う。俺は今、実家に住んではいないのだ」
 手塚は真田が発した言葉の意味が上手く飲み込めず、しばし沈黙した。
「……真田、もう一度言ってくれないか」
「だから、俺は神奈川には帰らない。都内に部屋を借りて、一人暮らしを始めたのだ」
「聞いていないぞ」
「そうだったか? 先週末に引っ越したばかりだからな。だが、お前には伝えたつもりだったが……」
「……どこにあるんだ。その新しい部屋は」
 真田が告げた地名は、近くにある地下鉄に乗った先の場所だった。ここからだと乗り換えが必要な手塚の実家よりも近いかもしれない。心配をして損をしたと、手塚は再び椅子に腰を下ろした。
「いらぬ心配を掛けたな」
「それならそうと早く言ってくれ」
「すまない」
「どうして一人暮らしなど始めたんだ。確かにお前の実家からでは通勤に多少時間が掛かっていたと思うが、これまでずっと家から通っていたのだろう?」
 手塚がそう言うと、真田はくすりと笑って、後で話そうと言ったきり口を閉ざした。手塚も黙り込み、会話が途絶える。静かだった店内は時間を追う毎に人が増え、BGMが聞こえないほど賑やかになっていた。今も、周りのブースから聞こえてくる、酔った人々の大きな笑い声がやけに耳に付く。
 真田は飲みかけだった日本酒をぐっと煽ると、手塚に向かってこういった。
「なあ手塚。今日は俺の部屋に来ないか」
「……どういう意味だ」
「ここはうるさいからな。一人暮らしを始めた理由も話せん。……お前の都合がよければ、だが。家でご家族が待っているのなら、無理は言わないが」
「家の事は気にするな。今日は遅くなると言ってある」
 それなら決まりだな、と、真田はどこか楽しげな表情でそう言った。そして伝票を掴んで椅子から立ち上がる。が、すぐにぐらりと身体が傾いた。この酔っ払いめ、と真田の身体を支えながら、そうたしなめる手塚も若干足下が怪しい。
「行こうか、手塚」
「道を間違えずに部屋まで案内出来るのだろうな。寒くない時期とはいえ、お前の酔いが醒めるまで夜中の街を徘徊したくはないぞ」
「大丈夫だ」
 二人の酔っ払いは会計を済ますと、店から近い場所にある地下鉄に乗り込んだ。

(続く)