Holiday(サンプル)



「御堂さん、オレちょっと波打ち際まで行ってみてもいいですか」
「ああ」
 御堂が頷くや否や、克哉は履いていたスニーカーと靴下を取り払い、ジーンズの裾を捲り上げると素足で砂を踏んだ。太陽に照らされた砂は暖かく、克哉の足を受け止める。そのまま波打ち際まで歩いていくと、寄せてきた波が克哉の足もろとも辺りの砂をさらっていった。 「うわっ」
 バランスを崩して倒れそうになるのを何とか堪える。克哉と御堂が叫ぶのが後ろから聞こえてきたが、大丈夫ですと手を挙げて、足下に目を向ける。その間にも波は何度も寄せては引いて、足下を撫でていく。その感触を楽しみながら、克哉は一歩足を前に踏み出した。
 濡れて水気を含んだ砂はずぶりと克哉の足を飲み込んでいく。そのままもう片方の足も前に踏み出す。ずぶり、ずぶりと足を取られる感触が楽しくてそのまま数歩歩いていくと、いつの間にか水の中に足をつっこんでいるような状態になっていた。捲り上げたジーンズの裾に触れるか触れないかの所まで水が迫ってきている。
 戻らなければ、と思った次の瞬間、波の音とは違う、誰かが水を掻き分けてくる音がした。
「克哉!!」
 ぐい、と腕を掴まれて無理矢理振り向かされる。そこにはいつになく必死で、そして焦りが浮かんだ御堂の顔があった。
「どうしたんですか?」
「……あまり遠くへ行くな、危ないだろう」
 それはまるで子供に言い聞かせる台詞じゃないですか、と克哉は言いかけたが、止めておいた。自分を見る御堂の視線があまりに真っ直ぐだったから、その言動を茶化せるような雰囲気ではなかったのだ。
「はい」
 にこりと微笑んで、克哉はそのまま波打ち際に向かって歩き出した。見れば御堂の足は靴と靴下こそ脱いでいたけれど、スラックスの裾はそのままですっかり水に濡れていた。
「裾、汚れてしまいましたね」
「誰の所為だと思っているんだ」
「オレの所為ですか?」
 そう尋ねる克哉に対して、決まり悪そうに御堂が視線を逸らす。
「……そのまま消えてしまうかと思った」
 ぼそりと御堂が呟く。それは潮風に運ばれて克哉の耳に届いた。
「オレ、そんなに頼りないですか」
「頼りないとかそういう問題じゃない。躊躇いなく海の方へ向かって歩いていく君を後ろから見ている方の身にもなれ」
 御堂が心配してくれたのだということは痛いくらい克哉に伝わっていた。だから自分の服が濡れるのも構わず克哉の腕を掴みに来てくれたのだ。御堂を心配させようと思ってしたことではなかったが、結果的にそうなってしまったことを申し訳なく思う一方で、御堂に心配されているということを嬉しいと思う自分もいる。御堂が見ていないのを良いことに克哉は薄く笑みを零した。
 結局砂浜に戻るまで、克哉の腕は御堂に掴まれたままだった。
 脱いだそれぞれの靴と靴下を手にして、波打ち際から少し離れた所にある流木に腰を下ろした。太陽はゆっくりと傾き始め、人気は一層薄くなっていく中、二人はただ黙って海を見ていた。
「満足したか?」
 暫くして御堂の口から出た言葉に、克哉は頷いた。
「オフシーズンの海の方が、オレは好きだなって思います。静かだし、例えあなたとこうして手を繋いでいても、誰にも見られることはない」
 僅か数センチの距離に置かれた御堂の手に、克哉は自分の手を重ねた。普段冷たいと思う御堂の手が温かかったのは、太陽に照らされた所為か、それとも。
「例えば、こんな事をしても、誰かに見られる心配をしなくてもいい」
 ゆっくりと御堂の顔が近づいてくる。克哉はそっと目を閉じて、その唇を迎えた。初めは軽く、二度目は深く、三度目以降は激しく。
 例え誰かに見られていたとしても、二人には関係のないことだった。ここはいつも生活している場所から遠く離れた海岸で、二人を知っている人などいるはずがないのだから。
 重ねた手はいつの間にか互いの指が絡まるほど深く繋がれており、沸き上がる衝動を抑える為に、克哉はぐっと力を入れてそれを握る。それは御堂も同じで、二人の手からは血の気が引いて真っ白になっていた。
「……あっ……ん、は」
 ようやく解放された唇で、思い切り空気を吸い込む。痺れすら感じていた手を解いて、その手で溢れた唾液を拭った。
 真っ青だった空も海もいつの間にかオレンジ色に染まっており、水平線の向こうには闇が迫っていた。それを見た御堂は、黙って立ち上がり、足と裾についた砂を払う。濡れていた足も、御堂の裾もすっかり乾いており、払われた砂は風に吹かれてさらさらと落ちていった。

続く。