offers to my darling(サンプル)
あなたのほしいもの(2008/02/22発行「猫の日のCelebration」寄稿作品)
片桐の誕生日が一週間後に迫った今、克哉は正直「それどころではない」状態に陥っていた。
プロトファイバーの一件で社内どころかMGNからも信頼を置かれることになった八課は、次に御堂が仕掛ける新製品のプロモーションを担当していた。円満な関係から始まったプロジェクトは上手くいくかと思えたが、仕事はそう甘くはない。それに、企画の段階からの参加であるため、今までのようにただ売ればいいというものでもない。慣れない仕様書作りやプレゼンなどに追われて帰宅が深夜を過ぎる事も多かった。
そして、二月という月は他の月に比べて幾日か日が少ない。つまり、月末締めで、と言われた仕事の締め切りも早いということになる。
誰もいないオフィスに一人、克哉はモニターに向かって盛大なため息をついて見せた。
「疲れた……」
ここのところずっとこんな状態だ。お陰で片桐とも満足に会えない日が続いている。いや、毎日会社で会っているのだが、二人きりで過ごす時間が取れない。一緒に眠ったのも、もうずいぶん昔のことのように思えてしまう。
何とか満足のいく出来に仕上げたプレゼンの資料を三部印刷して、克哉はようやく椅子から立ち上がった。長時間座ったままの身体はがちがちに固まっており、無理に動かせば音が鳴りそうだ。共有プリンターに出力された資料を手に取ると、ざっと内容を確認し、それから丁寧にホチキス止めをした。
事務作業くらい他の誰かに頼んでもいいのだが、夜中では頼む相手もいない。三部のうち一部を本多の席に、もう一部を片桐の席に、そして最後の一部を自分の机の上に置いて、克哉はようやく帰宅することにした。
明かりを全て消してオフィスを出た。時間が時間だけに、廊下は非常灯しか付いておらず、視界の悪い中をエレベーターホールへ移動する。この時間では正面玄関は施錠されているので、警備員のいる裏口へ回って外へ出た。
スーツのポケットから携帯を取り出す。液晶は既に日付が変わったことを示していた。ぱたん、と開いてみて、片桐に電話をしようか少し迷ったが、そのまま携帯を閉じた。こんな時間に電話をしては心配を掛けるだろうし、何より朝が早い片桐はもう眠っているに違いない。
そのまま駅に向かって歩いていく。冷やされた空気が克哉の頬を容赦なく斬りつけてくる。風が吹いていないことが幸いだと思うくらい、寒い夜だった。
最寄り駅の周りにはさすがに人影もあって、克哉は何となくほっとした気分になった。と同時に、やはり片桐に電話をすべきだったと舌打ちをする。一度恋人の姿を思い描けば、その姿は鮮やかに克哉の記憶から脳裏に蘇ってきた。それに、こんな寒い夜は、暖め合いながら寝るに限る。
券売機の前でたむろしている少年少女を避け、少し離れた場所でもう一度携帯を取り出すと、今度は迷うことなく通話ボタンを押した。
呼び出し音が鳴る。一回、二回、三回……ただ無情に響く呼び出し音に、克哉は少しがっかりした。眠っていると分かっていても、心のどこかで、片桐が自分を待っていてくれるような、そんな気がしたのだ。もちろん自分勝手な思いこみだと言うことは分かっている。それでも、そう思いたかった。
十回目のコール音が鳴り終わったところで、克哉は通話終了ボタンを押した。仕方ない、今日は素直に家に帰ろう、と手にした携帯電話をポケットに仕舞おうとした時、それは克哉の手の中で控えめに震えた。
液晶を見るまでもなく、相手が誰なのか分かった克哉はすぐに携帯を開くと通話ボタンを押し、耳に押しつけた。
「もしもし」
『佐伯くん? 片桐です……ごめんね、さっきの電話、佐伯君でしょう』
片桐の家の電話には液晶が付いていない。だから、着信があっても誰から掛かってきたか分からないはずだ。それなのに、どうしてこの人はすぐに電話の相手が克哉だと思いついたのだろう。
「……どうして分かったんですか」
『何となく、ですけど。きっと君だろうなと思って』
「俺は、もうあなたは寝ているのかと思いました」
『丁度台所にいたので電話に気づくのが遅くなってしまって……』
片桐の声を聞くだけで、心が熱くなるのを感じる。控えめなトーンの声が、疲れた克哉の耳に心地よかった。
「……今から、あなたの家に行ってもいいですか」
『え、今からかい?……佐伯くん、もしかして今まで仕事を』
「すみません。どうしても明日のプレゼンに間に合わせたかったので、つい」
仮にも片桐は克哉の上司だ。こんな時間まで働いていたことを知られてしまい―と言っても、結局毎月の勤務整理で知られることになるのだが―少しばつの悪さを感じながらも、克哉はその会話を打ち切るようにもう一度尋ねた。
「いいですか?」
『え、ええ、構いませんよ。……待っています』
電話越しに一瞬、片桐の熱を感じた気がした。克哉はまた後でと言って電話を切る。そして足早に改札へ向かって歩き出した。
◆◆◆
克哉がインターフォンを押す前に、磨りガラスの扉の向こうに片桐の影が見えた。鍵を外す音がして、がらりと引き戸が引かれ、片桐が顔を出した。
「いらっしゃい。寒かったでしょう」
「寒かった」
片桐は柔らかく笑って、克哉を家の中に通した。お風呂使ってくださいと言うや否や、克哉はコートとマフラー、スーツの上着の順に脱ぎ捨てると、バスルームに飛び込んだ。その様子を片桐が苦笑しながら見ていて、上着やコートを拾うと一着ずつハンガーに掛けていく。
たっぷり三十分ほど経って、ほかほかに暖まった克哉がリビングである和室に向かうと、片桐はお茶を飲んでいた。克哉を待っていたのだろう。
「こんな夜中にお茶を飲んでは眠れませんよ」
「いいんです。僕はもう慣れてしまっていますから……佐伯くんは、いかがですか?」
「俺はいいです」
「それでは、飲んでしまいますから少し待ってください」
克哉を待つ間に温くなったそれを飲み干す片桐を、克哉は思わずじっと見てしまう。茶を嚥下する喉の動き、湯飲みを持つ片桐の白い指、薄く閉じられた目。その一つ一つが、布団の中の片桐を彷彿とさせて、ぞわっと何かが足下からはい上がってくるような感覚に身体が震えた。
そんな克哉の思いを知るはずがない片桐は、飲み終えた湯飲みを手にして、お待たせしましたと立ち上がった。台所に置いてきますから、先に寝室へ行っていてくださいね、と克哉の前をすり抜けようとして、それは叶わなかった。湯飲みを持った手を克哉が掴んだのだ。 「佐伯くん」
「片桐さん……」
「すぐ行きますから」
だから、離してくださいと少し強めに言われて、克哉は仕方なく手を離した。時々片桐に子供扱いされている気がしてならないのだが、よく考えれば親子ほどの年の差だ。それに、克哉でも片桐に敵わないことだってある。
確かに片桐はすぐに戻ってきた。結局寒い廊下で待っていた克哉は、片桐を追い立てるように寝室へ移動した。
寝室として使っている和室には、片桐が普段使っている布団に加え、来客用と思われる布団がもう一組敷かれていた。克哉が電話をしてからここに来るまでの間に片桐が準備したものだ。しかし。
「片桐さん。俺の布団は必要ありません」
「え、でも……その、泊まっていく、のでしょう?」
その言葉の端に、片桐の期待が見え隠れしていることに克哉は気がついた。恥ずかしそうに顔を伏せている片桐の肩に手を置くと、おずおずと顔を上げる。
「そうだ。泊まっていきますよ……あなたの布団で一緒に眠ればいいでしょう」
「でも、それでは狭くて、君がゆっくり眠れないよ」
「俺はそれでも構いません」
それでも、と頑なに克哉に布団を勧める片桐の口を、克哉は口づけで封じた。僅かな隙間から小さな悲鳴が聞こえたかと思ったが、克哉に舌を絡め取られた片桐はそれ以上何も言えなかった。
時々零れる水音が二人を煽る。身体を密着させれば、高ぶった下半身を互いに感じて思わず苦笑した。
「久しぶりですから。優しくできるか分かりません」
「それは、困りますね……」
そう言いながらも、顔は少しも困った様子でない片桐を、克哉は抱きしめた。そしてそのまま、布団に倒れ込むよう自分の体重を掛ける。
片桐が纏ったパジャマのボタンを外していく。冷たい外気に晒された肌はさっと粟立った。克哉はまだ柔らかい胸の突起を片方は指で、もう片方は口に含んで転がしてやる。途端、かぁっと片桐の体温が上がるのを頬で感じた。
続く。
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