信じている(山陽&東海道)


「山陽!山陽はどこだ!」
 歩いているというには些か早すぎるスピードで、東海道は廊下を歩いていた。驚いた在来線が道を空けるのを当然というような顔をしてその前を通り過ぎ、足早に上官室へ入っていく。
 バタン、と勢いよく開かれた扉は再び勢いよく閉じられ、後はすっかり静かになった。
「……今日もお忙しいみたいだね、上官は」
 その光景に幸か不幸か遭遇してしまった京浜東北は、止まっていた足を再び動かした。


「……で、理由を説明して貰おうか?」
 東海道が勢いよく飛び込んだ上官室では、盛大に頭を抱えた山陽と、それを必死で慰める長野の姿があった。他の東日本勢の姿は見えない。
「……すいませんでした」
「あれほど言っただろう!きさまの所は開業を急いだせいで塩分を含んだコンクリートを多く使っているのだから、メンテナンスに気をつけろと」
「だから、謝ってるだろ?」
「反省が足りん!大体この前だって……」
 完全なる説教モードに入った東海道に対して、山陽は頭を抱えて机に突っ伏し、長野は二人を交互に見ながらおろおろとしている。
「長野はもう行け。こいつの面倒はわたしが見る」
「で、でも……さんようせんぱい、だいじょうぶでしょうか」
「大丈夫だ。わたしがついている」
 東海道が胸を張ってそう言うと、ようやく安心したらしい長野は、それでは、おねがいいたします、と頭をぺこりと下げて、上官室から出て行った。
 東海道は山陽の向かいにある椅子を引き出して座ると、突っ伏して動かない山陽を眺めていた。外はあいにくの雨だったが、今日は遅延が発生していない。運行が順調だと心の余裕も出てくるな、などと思いながら、反対に酷く打ちのめされている山陽の髪に手を伸ばした。
 上官だというのに、このふざけた色はなんだと何度言っても決して戻さなかった色素の薄い髪。手に取ると蛍光灯の光が反射してきらきらと輝いている。
「案外綺麗なものだ」
「……東海道ちゃーん?人が落ち込んでるってのに髪の毛弄ってなにやってるのかなー?」
 ゆらり、と山陽の頭が持ち上がる。あ、と思った次の瞬間には、東海道は指先に摘んだ髪を離すタイミングを逃し、結果として山陽の髪の毛を強く引っ張ることとなっていた。
「あ、あいたたたたた!!!」
 嫌な手応えがしたかと思った次の瞬間、東海道の手には数本の髪の毛が残り、山陽は引き抜かれた髪が生えていたと思われるところを押さえて呻いていた。
「す、すまない」
「わざとなのか!?高架のコンクリートを剥離させたオレへの嫌がらせか!?」
「ちがう!きさまが、元気がないから、その」
 別に意地悪をするつもりで来たわけではない。世間から責められ、責任を感じているであろう山陽を少しでも元気づけようと思って来たのだ。口では怒鳴っていても、誰よりも心配しているのが東海道だった。
「……慰めに来てくれたわけ?」
「ち、ちがう!」
「じゃあ、なんなんだよ」
 少し不機嫌そうに山陽は言った。山陽だってただ黙って見ていた訳ではない。落石に気づいてから原因調査に行き、報告書を書き上げたのがつい数時間前。それも、ここ一年で二度目なのだからたまらない。広い担当範囲の高架を一本一本調べて補強していきたいのは山々なのだが、それも叶わない。誰よりもジレンマを感じているのは、山陽本人だった。
 そして、山陽と一番長い付き合いの東海道には、それが痛いくらいに分かっていた。
「……悪かった」
「めずらしー。おまえがそんなにあっさり謝るなんて」
「……わたしを怒らせたいのか?」
 反対に不機嫌になった東海道に、冗談冗談と言いながら、山陽はようやく身体を起こした。
「オレの方こそ悪かった。その……おまえに迷惑掛けないように、気をつけるから」
「わたしは、お前を信じている」
 深く頷いて、東海道はそう言った。それが山陽にとってなにより嬉しい言葉である事を、彼は知らない。心の奥が暖かくなるのを感じながら、山陽は溜息を吐く。
「よっし、じゃあ残りの運転頑張るかー」
「今日は雨が降っているからな」
「おまえの大嫌いな雨な。よかったじゃん、台風上陸しなくて」
 朝のニュースで、台風が日本列島の沖合を通過していることは山陽も、そして東海道も知っている。台風、という単語に顔をしかめた東海道は、机をドン、と叩くと、
「五月に台風がやって来ること自体が非常識だ!わたしは断じて認めん!!」
「認めん、ってもなあ。来ちゃったものは仕方ないし」
「まさか落石もそんな調子で片付けたんじゃあるまいな!?」
「あーはいはい。あんまり怒ると寿命縮むよ、東海道」
「きさまが楽観的すぎるんだ!」
 運行状態の確認に指令室に行くよ、と山陽が上官室の扉を開けたのと、東海道が山陽に対して怒鳴ったのはほぼ同時だった。そして、扉の前には運悪く通りがかった埼京がいた。
 びくりと身体をすくませて、眉間に皺を寄せた東海道と、反対に顔を緩めた山陽が通り過ぎるのをひたすら待っていた彼の存在に二人が気づくことはなかった。
「な、何なんだよ!?」
 二人が通り過ぎた後、埼京が一人叫んだ声を聞いた者は誰もいない。