おやすみ、また明日(山形×東海道)
ここ一ヶ月ほど、何事もなく順調に運転を続けていた東海道は、三月のダイヤ改正を控えてぴりぴりしていた。いつも以上に神経を研ぎ澄ませ、少しのミスも許さないといった表情で辺りを見回している様子を見れば、誰だって声を掛ける事を躊躇う。
他の高速鉄道の面々だって少なからずダイヤ改正に関わっている。新型車両を大量導入する東海道ほど劇的な変化はなくても、数本の時間短縮や運転変更、その他諸々。
春のダイヤ改正は各社の一大イベントであるだけに、大事になるのは最早恒例と言えた。
通常の運転に加えて、ダイヤ改正に向けた大小様々な会議への出席、手順の確認、ダイヤの確認等々が連日続けば、ぐったりとするのも仕方がない。しかも、それは東海だけでなく東日本も西日本も同じなのだから、必然的に上官室での話題はダイヤ改正に対する愚痴になるし、全員が上官室に顔を揃えることもぐっと減った。
そんな調子で皆がダイヤ改正に振り回されている中、例外が一人だけいた。高速鉄道の中で、今年のダイヤ改正に全く関係のない男が。
そして今、東海道はその男の部屋にいる。
「東海道」
手にマグカップを持ち、一つを東海道の前に、もう一つを自分の椅子の前に置いた山形は、難しいことを考えているのか、思い切り顔をしかめている東海道の顔を覗き込むと、眉間の皺をぐい、と指で押した。
「な、何をする!」
「皺、寄っでるがら」
押してみただけだと言う山形の言葉に、東海道はほんの数秒前まで考えていた事をすっかり忘れてしまった。
「お前の所為で忘れてしまったではないか!」
照れと、焦りとで顔を真っ赤にした東海道が、山形にくってかかる。が、山形は無表情のまま、じっと東海道の顔を見てこう言う。
「ちっとは休んだらどうだ?そんな前がらがんばっだって、しかたねぇべ」
「お前は、今回ダイヤ改正の対象外だから、そんなことが言えるんだ」
「んだけども、今おめぇさががんばったって、なんが変わるけ?」
山形の言うことももっともだ。現に現場での準備は着々と進んでいるし、職員を信用していないわけではない。が、自分に世間の注目が集まっていることを嫌でも知っている東海道には、失敗は許されない、というプレッシャーが重く背中にのし掛かっていた。
過去に何回も、何十回も経験してきたことだ。それでも、未だに慣れることはない。
再び眉間に皺が寄りそうになるのを、山形に指摘された。そのうち普通でも皺が寄ったようになるぞとからかわれて、それが冗談だとも気づかず、そうかもしれないと思ってしまった。
「せっかく淹れたんだし、冷める前に飲んだらえぇ。そんで、ちっと休め」
ずっと動きっぱなしだっただろう、と言われて、東海道は、ようやく目の前に置かれたカップに手を伸ばした。淹れられてから結構な時間が経った紅茶は大分温くなっていたけれど、それでもふわりと漂う紅茶の匂いに、張り詰めていた心が僅かだが和らぐのを感じる。
「いつも、悪いな」
「気にせんでえぇよ。俺がしだくてしてんだがら」
山形は既に空になった自分のカップを手にすると、洗ってくるからちょっと待っててくれと言い残して部屋から出ていった。山形の部屋に一人取り残された東海道は、温くなった紅茶を飲み干してしまうとやることが無くなってしまった。かといって、この柔らかな紅茶を飲んだあとでは、仕事の事を考えよう、という気にもならなくなったから不思議だ。
仕方なく、椅子から立ち上がると山形のベッドに横たわった。ここ一ヶ月ほどダイヤ改正の事が頭から離れず満足に眠ることが出来ずにいた東海道は、確かに疲れていた。
最近洗濯したのか、シーツはまだ僅かに太陽の匂いがする。東海道が身動ぐ度に、柔らかい匂いに全身が包まれる。
どうして、ここに来るとこんなに心穏やかになれるのか不思議だった。自分が何をわめいても、のんびりと癖の強い言葉でたしなめてくれる山形のその雰囲気がそうさせているのだと思うが、それならば上官室でだって同じはずだ。
では、どうして?
仰向けだった身体をうつぶせにして、上掛けのシーツに顔を埋める。太陽の匂いに混ざって、微かに山形の匂いがした。
そう思った途端、急に瞼が重くなる。山形が戻ってくるまでは、と何度か抵抗を試みるも、元々疲れていた身体はあっさりと意識を手放した。
「東海道、東海道……あんれ、寝ちまっただか」
カップを洗い戻ってきた山形が見たものは、自分のベッドに東海道が横たわっている、というものだった。軽く身体を揺すってみても、むずがるようにして身体を僅かに動かすだけで起きる気配はない。
「しがたねぇなぁ」
口ではそう言いながらも、山形は安心していた。東海道がここ最近まともに眠っていないことくらい見ていれば分かる。だから、いつか倒れてしまうのではないかと心配していたのだ。本人にそんなことを言っても大丈夫だと笑って一蹴されるだけだと分かっているだけに、どうしたものか、と思いながら部屋に戻ってきたのだが、それは杞憂に終わったらしい。
しかし制服のまま眠ってしまうのは少々都合が悪いだろうと、横たわった身体を抱き起こすと、仰向けにして上着だけ脱がせてやった。身体は再びベッドの、今度は上掛けの下に横たえる。それだけ身体を動かしても目を覚まさない所を見ると、相当疲れていただろうことが伺える。
「おやすみ、また明日がんばろうなぁ」
元々楽な格好に着替えていた山形は、東海道の横に潜り込むと、灯りを消した。
そして、東海道と、他の高速鉄道の為に、ダイヤ改正が無事終わるよう密かに祈ったのだった。