慰めてあげる(上越×東海道)


「線路に人が降りただと!?馬鹿な!」
 今にも机を叩かん勢いで立ち上がった東海道は、誰にいうでもなく怒鳴った。他の新幹線連中はそれぞれの仕事に走り回っている。安全確認が済むまで身動きが取れない東海道は、こうして一人部屋に残っているというわけだ。
 新幹線の車内で運転再開を待つ乗客の事を考えるだけで憂鬱になる。丁度仕事帰りの時間帯の事故。駅員が必死で復旧活動をしてくれているが、滅多に起こらない事だけに在来線に比べて復旧に時間が掛かってしまう。
 普段は早い癖に、一度止まると弱い。それが在来線から見た上官連中の評価だというのは薄々気がついてた。
 発生から二十分ほどして、まず上り線が動き始めた。下り線での事故のため、影響は軽微だったのだろう。片側だけでも動き出したことにまず安堵の溜息を漏らす。
 しかし、下り線の復旧は中々進まない。一編成止まると、他の編成も皆止まる。至る所で運転再開を待つ乗客がいるのだ。それだけの利用者を毎日無事に運ぶことを東海道は誇りに思っていた。新幹線の中で一番の稼ぎ頭である東海道は、乗客への影響力も半端ではない。
 時計の針は刻々と時を刻むが、まだ下り線は止まっていた。駅のホームには人が溢れている。自分一人ではどうにも出来ない歯がゆさに、唇を噛んだところへ、誰かが入ってきた。
「あれ、東海道」
 声を掛けられて少しがっかりする。入ってきた人が山形なら良かったのに、と思ったのだが、期待に反してそこにいたのは上越だった。まさかここに東海道がいると思っていなかったのだろう、どうしたの、と言った後で、ぽん、と手を叩く仕草をする。
「そっか、人身事故だったね。まだ動かないんだ?」
「うるさい」
「おっと、ごめんごめん。君があまりに落ち込んでいるから」
 電気くらい点けなよ、と言われて初めて、東海道は自分が灯りもない室内に一人でいたことに気がついた。上越が入り口近くのスイッチを押すと、蛍光灯が二度三度点滅して部屋を明るく照らした。
「……泣いていたの」
「う、うるさい」
 ぐい、と手の甲で目尻から溢れた液体を拭った。白い手袋に染みた箇所がグレーになった。つかつかと近づいてきた上越が、もう片方の目尻を自分の手で拭った。
「山形じゃなくて、残念だった?」
 東海道は何も言わなかった。そんなことお構いなしとばかりに上越は東海道の肩を引き寄せた。突然の力に身体がよろめき、あっさりと上越の胸に納まっている。
「お、おい、何をする」
「何って。浮気現場の撮影」
 浮気ってなんだ、という東海道の発言はあっさり無視されて、肩に置かれた手はいつの間にか背中に回っていた。より身体を密着させた状態で、もう片方の手で何かを取り出すと、ボタンを押す。かしゃ、と電子的なシャッター音と共に、フラッシュが光った。それで、ようやく写真を撮られたのだと思い至る。あまりの手際の良さに言葉も出なかった。
「はい、ありがと」
 上越はにこりと笑って身体を離した。そして、もうそろそろ下り線も動くんじゃないかな、と言い残すと、一人さっさと部屋を出て行く。おい、上越、と東海道が呼び止めるのも聞かず、扉は再び閉じられた。
「なんなんだ、一体……」
 突然の事に、浮かんでいた涙もいつの間にか乾いていた。その時、東海道新幹線下り線の運転再開を知らせるアナウンスが流れる。俄に騒がしくなり、止まっていた新幹線が静かに駅を出て行った。東海道は一人ほっと胸をなで下ろした。
「上越は何をしに来たんだ」
 彼の行動は理解不能だったが、彼の登場で、運転再開までがあっという間に感じられたことはもしかして感謝するべきことなのかもしれない、と東海道は思っていた。