伸ばせば届くかもしれない手（東海道×山陽）
「……って言われた」
「そうか」
「そうか、って、もう少し言うべき事があるんじゃないの？」
東海道の部屋。こちらに背を向けてなにやら書類の整頓をしている東海道に対して、山陽は盛大に嘆きながら天井を仰いだ。
「それで、お前はどうしたいんだ？」
「その答えが出てりゃ苦労しねーよ」
お前、ちょっと東北に似てきたんじゃねえの、と山陽が言えば、そんなことはないと一蹴される。もちろん山陽も分かって言っていることだ。東海道は、恋愛事には疎い。だから、何を言えばいいのか分からず、結果的に言葉数の少ない答えになる。
「大体、何故私に相談する。そういう分野は、お前の方が得意ではないのか、山陽」
「得意ねぇ……」
とんとん、と書類の束を整えて、バインダーに綴じる。山陽が部屋に来てからずっと東海道はそんなことをしていた。整理など部下に任せればいいのに、と思わないでもないが、煩い東海道の事だ、他人に任せても気になって仕方がないのだろう。
立ち上がり、東海道の傍へ近づく。小さなデスクライトが東海道の顔を照らしていた。若干疲れが滲んでいるようだが、初めて会ったときから変わっていない、東海道の顔だ。
「東海道」
肩に手を乗せ、振り返ったところに口づける。驚いた東海道が目を閉じる事もせず固まっているのを良いことに、唇を割って口内に舌を侵入させようとしたところで、思いっきり拳で殴られた。
「痛っ！！」
「貴様、何をする！」
細い身体だが、意外に力は強いらしい。いてててて、と赤くなった頬を撫でながら身体を起こす山陽の前に、東海道が仁王立ちしている。目の端がつり上がっていて、怒っているのがよく分かった。
「ちょ、ちょっとまって！」
「戯れにしても程があるぞ、山陽。何だお前、私に接続を切られたいのか？そのつもりならばお前の車両は今後一切新大阪駅への入線を拒否してやる」
「嘘！ごめんなさい！それだけは、それだけは勘弁して！新神戸駅は待避線無いんだから！」
ごめんなさい、と深々と頭を下げてみせれば、ふん、と東海道が一瞥する。
「今度ふざけた真似をしてみろ、その時は容赦なく接続も直通列車も切るからな」
ほっと山陽が胸を撫で下ろす。自分の行動一つで新幹線の接続を切られたらたまったもんじゃないし、上層部に怒られること必至である。もちろん東海道だって簡単にそんなことはしないはずだが、一度言い出したら意見を曲げることは滅多にない高速鉄道のトップは、本気になったら何が何でもやりかねない。
「……それで、何の話だった」
ようやく書類の整理が終わったらしい東海道が、最後の紙の束をバインダーで閉じたところで、初めてまともに山陽の方を見た。
「長野が、じゃなかった北陸が、オレの事好きなんだと」
「……お前がそそのかしたのではないのか？」
「どうしてそうなるんだよ！大体そうだったら相談になんか来ねぇよ！」
相談に来る前より疲れた、と山陽が肩を落とす。東海道は不思議そうな顔をしている。
「北陸の事が嫌いでなければ、受け入れればいいのではないか」
「嫌いじゃないけど、オレ、別に好きな人いるし」
そう言って、ちらりと東海道の方を見る。そうして、こんな女々しい事をしている自分が嫌になった。大体東海道ははっきり言っても理解してくれないのに、匂わす程度では気付いてすらくれない。
「そうか。ではその旨はっきり言えばいい」
「言ったよ！あいつも分かってるんだ」
「……お前は私にどうして欲しいんだ。北陸に言えばいいのか？山陽と付き合うな。こんな下らない男と付き合っていてはお前がダメになる、とでも？」
「うわー、さりげなく酷くね？てかダメだ、そんなこと言ったら北陸がお前のこと嫌いになる」
「好き嫌いで仕事をするわけではないだろう。北陸とて、もう一人前だ。私のことを嫌っても、仕事に支障が無ければ私は構わない」
あまりに当たり前の事のように言うので、山陽は全身から力が抜けていくような感覚に襲われた。強くなったな、と思う。もう誰に守ってもらわなくても十分一人で歩いて行けるのだと言われた気がした。長い年月の内に、山陽が気付かないうちに、東海道は少しずつ強くなっていったのだ。
それは、誰の手助けによるものだろう。少なくとも、自分ではないなと思い、内心深い溜息を吐く。
「どうした、山陽」
「何でもない。オレ、そろそろ戻るわ……」
「そうか」
ほら、引き留めることすらない。オレは本当に東海道にとって「同僚の中の一人」になってしまったのかと、山陽が肩を落として扉に手を掛けたところへ、東海道が名前を呼んだ。
「……先ほどのような戯れを、あの程度で許すのはお前だけだ。分かっているか？」
お前だけ。振り返らず、背を向けたままだが、東海道は確かにそう言った。あまりにタイミングの良すぎる発言に、心の中を読まれたのかと思ったほどだ。周りの感情に総じて鈍い東海道にはあり得ない話だが。
「と、東海道さん？今なんて」
「二度は言わんぞ」
「お願い！もう一回！！」
入り口から東海道の傍に駆け戻り、その背中に抱きつく。目の前にある東海道の耳が、心なしか赤くなっている気がする。が、きっとその事を告げても、東海道は頑として認めないだろう。
「なあ、オレ、本当にお前のこと好きなんだぜ？」
耳元で囁くように言った言葉は、東海道の心に届いたのか。
「何を、今更」
そう素気なく切り捨ててはみたものの、顔の赤みは引く気配がない。
「お前がそういう風に誘ってくるときは、眠れないときだ。私に抱かれることで無理に睡眠を摂ろうとするならば筋違いだぞ。適当な女に頼め。お前がいつもしているように」
「オレは東海道としたい」
はぁ、と東海道が溜息を吐く。山陽がこんな風に言うことを聞かないのは、半ば分かっていた事だった。
「……いいのか？何年経とうとも、私は手加減など知らないからな」
最後に抱かれたのは、もう五年以上も前だった。あれは一時の戯れで、東海道にとっては、丁度トラブル続きですっかり落ち込んでいた山陽を慰めるための行為でしかなかった。その時、東海道が欲しいと望んだのは、山陽だ。
あれから今日までの間、何度か誘っては見たこともある。が、今日のように東海道が乗り気になることは無かった。今日だって決して東海道から望まれているわけではないと分かっていながら、久しぶりに抱かれるという誘惑に抗う事が出来なかった。
ごくり、と口の中に溜まった唾を飲み込み、返事を返す。
「……いいぜ。来いよ」
東海道に抱きついた腕をするりと解くと、東海道の手が山陽の手を握った。冷たい視線と対照的な熱い体温に、山陽はひっそりと嘆息した。