伸ばしても、届かない手(北陸→山陽(東海道×山陽前提))
「明日から一人前だな、長野……じゃなかった、もう北陸だな。全線開業おめでとう」
ダイヤ改正を翌日に控えたその日、一人東京駅のホームを見下ろしていると、不意に背後から声を掛けられた。
声で誰なのか分かる。北陸はーーその時はまだ長野だったがーーくるりと振り返って声の主の姿を探した。
「山陽先輩」
廊下の向こうからこちらへやって来る山陽の姿を見つけ、溢れんばかりの笑みを浮かべる。そんな北陸に、よ、と手を挙げて近づいてきた山陽は、その隣に並んだ。
二人の身長に差は殆ど無い。むしろ山陽の方が若干小さく見える。
線路が繋がっていく度に少しずつ大きくなっていった身体は、既に長野だった頃の面影を殆ど残していない。身長は東北や山陽を追い越すほどに伸びていき、何度も制服を交換する事になった。その度に上越が嫌みを言うのだ。これ以上大きくならなくて良いよ、僕はちいさな長野の方が好きだったな、と。
「先輩も、僕が小さい方が好きでしたか?」
「なんだそりゃ」
「だって、上越先輩が言うんです。大きくなった「北陸」よりも小さい「長野」の方が好きだった、って」
そんな北陸の質問に、山陽は苦笑しながら、そりゃ単なる嫌みだから気にするな、と山陽は笑った。
「しっかし、まあ、上越の言うことも分かるわ」
山陽は北陸を見やると目を細めた。しかもそのうち新大阪とも繋がるようになれば、更に身長が伸びるのかと内心溜息を吐く。今や高速鉄道の中でも一位二位を争う長大路線となったのだから、仕方がないと言えばそうなのだが、沿線の長さと身長は必ずしも比例していないという例を知っているだけに、山陽はその人の事を思って複雑な気持ちになった。
そんな山陽の心の内に気づくことなく、北陸は頬を膨らませた。こんな所はまだ長野の面影を残している。が、きっと明日になれば完全に長野は北陸になり、一人前の高速鉄道としての人生を歩み始める。もちろん今までだって一人前の高速鉄道としてやって来たつもりだったが、どうも東海道を初めとした高速鉄道達にはそう思われていなかった様だ。それは長野の仕事ぶりが問題なのではなく、当初の予定の僅か半分にも満たない区間しか運転していなかったというれっきとした理由があった。
「お前、似合わないぞその顔。もうやめとけ」
「先輩までそんなことを」
「オレは事実を言ったまでだ」
むに、と膨らんだ頬に指を当てられ、そのまま押し込まれた北陸は、ぷはぁと口の隙間から溜めていた息を吐き出した。
「一人前なんだからよ、明日から」
「大したことありませんよ。運転区間が長くなる、それだけです」
「お、余裕の発言。偉い偉い」
ぐしゃぐしゃと、癖のある髪をかき回された。昔はその大きな手に憧れて、感触にうっとりしたものだが、何故か今はあまり嬉しくない。
「そういうのを子供扱いって言うんじゃないですか」
再び頬を膨らませて、北陸は言った。
北陸は、山陽の中にいる自分はまだまだ子供なのだと実感する。例え路線が延び、身長が伸びて身体は一人前になったとしても、生まれた年の差を埋めることは出来ない。
「山陽先輩。僕の事、一人の高速鉄道として見てもらえますか」
「何言ってるんだ?見てるだろ、お前は立派な高速鉄道だ」
「……あなたの隣に立つに相応しくなれましたか?東海道先輩のように」
北陸の言葉に、山陽は目を大きく見開き、何かを言うために開きかけた唇をそのまま閉じた。ここで東海道の名前が出てくるとは思わなかったのだろう。
北陸もそれ以上何も言わず、じっと山陽の顔を見た。山陽は失った言葉を探しているのか、時々ちらりと視線を逸らし、また北陸の方を見る、ということを二三度繰り返して、そして、
「……馬鹿野郎」
それだけ、ようやく口にした。
「心外だな。こんなに」
あなたのことが好きなのに、と言えば、山陽の顔が心持ち赤くなった気がした。そしてそのまま、もう一度馬鹿野郎、と言われた時、北陸は山陽との間にあった距離を一気に詰めると、その背中に腕を回して強引に抱き寄せた。おい、と腕の中の山陽が僅かに抵抗したが、それもすぐに収まった。
「明日からしっかり走れるように、もう少しこのままでいてもいいですか」
「ああ」
「……有り難うございます」
そのまま、山陽の肩に顎を預けるようにして、北陸は溜息を吐く。やはり山陽は自分の事を未だ「長野」としてしか見ていない。幼い頃の長野として。
晴れて「北陸」となった自分はもう立派な大人だ。身長だって伸びたし、目線だって他の高速鉄道と同じ位置になった。一人だけ低い位置を見ていたあの頃とは違う。
しかし、自分ではそう思っていても、一日やそこらで周りの人たちの認識を変えることは難しい事も分かっている。なんせ走り始めてから十年以上の間、「長野」だったのだから。
「東海道先輩は、喜んでくれるでしょうか」
「何言ってんだ、もちろん喜ぶよ。やつは何だかんだ言っても、長野の、いや北陸の事を気に掛けていただろ?それに、東海道だけじゃない、俺だって、東北だって、みんな喜ぶさ」
そう言われて曖昧に微笑んだ。既に東海道のことを、尊敬する先輩以上に、山陽を巡る恋敵としか見られなくなっていた北陸は、複雑な気持ちを抱えていた。恋敵と言っても、今では山陽が一方的に想いを寄せているだけで、二人が付き合っているという事実はなかった。北陸が来る前には関係があったかも知れないが、そんなこと知ったことではない。
東海道は山陽の事を他の高速鉄道と比べて特別に思っているようだが、それは北陸が山陽に、山陽が東海道に抱いているような、欲を伴うものではなかった。
山陽が自分の想いに応えてくれる日が来るのか、不安でないと言えば嘘になる。例え情けで身体を重ねてくれたとしても、心までは手に入らないのではないか、そう思う。
山陽の心はきっとずっと東海道の所にある。
「……北陸、俺はお前のこと好きだぜ。でも、多分お前が俺に期待しているような感情とは、違う」
「知ってます。それでも、僕はあなたの事が好きだ」
今は、東海道の代わりとしてでもいいけれど、ずっとその地位に甘んじるつもりはない。いつか必ず振り向かせてみせる。
「……最初は気付かなかったけど、すぐに分かりました。あなたは東海道先輩の事が好きだって。だから、今は二番目でも良いけど、いつか僕を一番にして欲しいです」
「どうかな……俺にとって東海道は、特別だからな」
残酷なことをへらっとした顔で告げる山陽に腹が立った。その苛立ちを山陽の身体に回した腕に力を込めることで表現する。痛い、と顔をしかめたが、言葉を訂正するつもりは無さそうだ。
「本当に、あなたは残酷ですね、山陽先輩」
「駄々っ子は一人で十分。お前は聞き分けの出来る良い子だろ?」
「だから、子供扱いしないで下さい、って」
耳朶を噛まれて口を閉ざす。身体を離して山陽を見れば、してやったりという表情でこちらを見ていた。そして、ぐい、と身体を力強く押される。
「はい、今日はもう閉店。俺はね、そう簡単に流されたりしねーの。これでも案外一途なんだからな」
「……女性と遊ぶのは『一途』の対象外ですか」
「ったく、痛いところ突くな、相変わらず。ほら、明日の準備があるんだろ。もう寝ろ」
北陸を押しやり、山陽は身体を離すと、先に歩き出した。先輩、と呼び止めても、もう振り返ってもくれない。怒らせてしまったのだろうか。
「先輩、僕は!」
「『長野』、おやすみ」
ひらりと手を振って、山陽は本当に宿舎へ帰っていった。一人残された北陸は、身体全体のガン、と壁に拳を打ち付ける。じん、とした痛みを感じたが、本当の痛みは胸の奥から伝わってきていた。
長野と呼ばれるのも今日までだ。明日からはもう小さいだとか子供だなんて言わせない。そして、いつか必ず振り向かせてみせる。例え、強引な手を使ったとしても。
既に見えなくなった山陽の背中に向かって、もう一度宣言する。
「いつか僕を一番好きだって言わせてみせますよ」