とり野菜みそ雑炊を食べる話ー北陸新幹線試験走行編ー


 試験走行は、寒い。
 吹きすさぶ寒風の中、はくたかは身を縮こまらせるようにしてまだ供用開始前のホームに立っていた。
 北陸新幹線の試験走行が十二月から本格的に始まった。昼夜問わず長野と黒部宇奈月温泉駅の間を走る日程が組まれ、はくたかとかがやきもその試験に参加することになっていた。つるぎについては金沢富山間のみということで、黒部宇奈月温泉以西での試験走行が始まってから参加するらしいし、あさまについては長野以西を走る予定がないからということで、これまた不参加になっていた。
 つまり、この区間を走るのは、はくたかと、かがやきだけということだ。
 日本有数の豪雪地帯でもある上越地方を通るだけあって、雪への対策はかなり重点的に行われているというが、それでも実際に走ってみなければその対策が有効かどうか分からない。その為、この時期から試験走行を始めたと聞いていた。
 更にこの季節は海沿いから吹き付ける風も強く、ここ数日で寒気が強まったこともあって、在来線の電車のダイヤが乱れない日がないという程だった。実際今日の昼間も、はくたかと北越は大幅な遅延を出している。
 そしてその寒気が緩む気配もない夜中に、はくたかはこうして試験走行に立ち会っているのだった。
「寒いなあ……風も強いし……」
 ホームは覆いがあるとはいえ、ほぼ外に等しい。四方八方から吹いてくる風が容赦なくホームへと吹き込み、その度に工事用のビニールがばさばさと音を立てていた。
 長野から走ってきた列車は、今はくたかの目の前―黒部宇奈月温泉駅のホーム―に停車し、これまでの走行データの解析を行っている。これが一段落すれば、今度は長野まで戻って、そこで解散することになっていた。
「寒いね」
 車内で作業をしていたかがやきが降りてきて、はくたかの隣に並ぶ。大げさな程のダウンコートに身を包んで身体を震わせる様は、どこか愛嬌があった。
「寒いのは苦手ですか?」
 はくたかがそう声を掛けると、かがやきは頷いた。
「寒いのが得意な人はいないんじゃないのかな。まあ私は暑いのも嫌いだけど……それにしても、今日は一段と寒い」
「これからもっと寒くなりますよ」
「困るなあ……」
 手がかさかさになってしまうよと顔をしかめるかがやきだが、その手はすっぽりと分厚い皮の手袋で覆われていた。どこまでも完全防御状態だ。対するはくたかは、普段の業務に使っている白い手袋を填めており、保温効果は全く期待できない。それに気付いたかがやきが、大げさな程驚いた。
「君、そんな手袋で大丈夫なの? 手が動かなくなってしまうよ?」
「俺は大丈夫です。いつもこれですから……越後湯沢もここと同じくらい寒いですし」
「そうか、君は豪雪地帯を走り慣れているんだね」
「いや、慣れてるってほどではありませんが」
「私も走っている内に慣れるのかなあ。この寒さに」
 そう言ってかがやきが顔をしかめたその時、出発するぞと声が掛かった。二人は返事をして、車内へと乗り込む。
「長野に戻れば今日は終わりだね。暖かい物が食べたいな」
「そうですね。ちょっと冷えましたね」
 試験車の中はエアコンが効いていてそれなりに暖かいのだが、かがやきはまだ不満らしい。だが、冬の試験走行は始まったばかりで、しかも来年もあるのだ。きっと全線開業までにはかがやきもこの寒さに少しは慣れるだろうなと思いながら、はくたかは、先に立って歩くかがやきの背中を追った。


 長野に戻ってきたところで、今日の試験は終了となった。また明日、今度は夜が明けてから再び西に向かって走る事になっている。
「なにか暖かいものが食べたい」
 そう呟くかがやきだったが、この真夜中では駅のそば屋も、駅中のコンビニも開いていない。少し離れた場所には普通のコンビニがあるのだが、雪がちらつく中、これ以上寒いところを歩きたくないようだった。それははくたかも同じ気持ちだ。一刻も早く宿舎に帰りたい。
「あの、俺の持ってきた夜食で良ければ分けましょうか?」
「えっ、本当に?」
「お腹の足しになるかどうか分かりませんけど、一応暖まるとは思いますので」
 暖まる、の言葉にかがやきは大いに反応した。それは是非宜しくお願いしたい、と言うので、二人は連れだって宿舎に向かう。はくたかは一旦自室に戻ると、持ってきた荷物の中からサンダーバードに渡された「夜食セット」を取り出し、急いでかがやきの待つロビーへと戻った。
「お湯は給湯室で借りられると思うので」
「あ、じゃあ私がもらってこよう」
 余程暖かい夜食が嬉しいのか、かがやきは率先して給湯室へお湯をもらいに行った。その間にはくたかは当直のスタッフに茶碗を二つ借りると、「夜食セット」を開けた。
 中にはこぶし大ほどに握られた白米と、小さな小袋が二つずつ入っている。本当は二つとも自分用だったのだが、この後寝るだけならば一つで事足りるはずだった。
 茶碗の中に白米を置き、その上に小袋から取り出した小さな茶色の塊を乗せる。後はこの上からかがやきが持ってきたお湯を注げば出来上がりだ。以前にサンダーバードがしらさぎから教わり、そしてそれをはくたかに教えてくれたものだった。今日はたまたまサンダーバードが食堂のおばさんに頼んで作ってもらった白米おにぎりだが、コンビニに売っている塩おにぎりでも食べられるから手軽で、金沢支社内ではこの季節の定番品となっていた。
「お待たせ。お湯をもらってきたよ」
「ありがとうございます」
 かがやきは給湯室から持ってきたポットをテーブルの上に置いた。そして、既に茶碗二つにセットされているそれをみて、これは一体何だ、と首をかしげる。
「これは、金沢の同僚に教えてもらった、とり野菜みそ雑炊です。元々は鍋の一種なんですけど、この茶色の塊が、フリーズドライされた鍋のもとになっていて、ご飯に乗せてお湯を注ぐだけで簡単に雑炊が食べられるんです」
「よく味噌汁とかは見かけるけれど、雑炊はなかったな。それに、とり野菜、みそ? は聞いたことがない」
「石川の郷土料理だそうで、県外ではあまり知られていないようです。現に俺も同僚から教わるまで知りませんでした」
 さあ、食べましょうとはくたかがポットのお湯を「とり野菜みそぞうすい」の上から注いだ。すぐに茶色の塊がほぐれて、香ばしい匂いが辺りに漂う。それに反応するように、互いの腹の虫がぎゅうと音を立てた。
「どうぞ。熱いのでお気を付けて」
 一方の茶碗を割り箸と共にかがやきへと差し出した。それを受け取ったかがやきは、恐る恐る雑炊のもととご飯をかき回した後で、一口、口に含んだ。途端、美味しい、と目を見開く。
「美味しいな、これは」
 そう言うと、後は一言も発することなく、黙々と食べ始めた。はくたかもその向かいに座り自分の分に手を付けた。はくたかには食べ慣れた味だが、空腹時に食べると更にうまさが引き立つ気がする。
「これの元になっている鍋も美味しいので、金沢まで開業した際は、ご馳走しますよ」
「それはありがたい。その時はつるぎも誘おう。彼はこの鍋を知っているだろうか? もちろんその時は君の同僚も一緒に」
「そうですね。出来れば」
 同僚も一緒にと言われて、サンダーバードやしらさぎ、北越の顔が脳裏を過ぎる。新幹線になった後で、皆と鍋を囲む機会は得られるのだろうか。出来ればいいなと思いつつも、現在のときと自分の関係を考えると、難しい事である気はしていた。
 だが、可能性がないわけではない。実際に新幹線となったときも、時々在来線のホームに足を運んだりしていた。まだ在来線の特急であるはくたかに話しかけ、不安な胸の内を聞いたりもしてくれた。立場が違えど、交流を持つことまで制限されるとは思えない。
 雑炊を食べる手が止まったはくたかを、かがやきは不思議そうな表情で見ていた。そして一言、
「はくたか。もう食べないならそれ、くれないか?」
「えっ?」
 別の事を考えていた所為で、かがやきが何を言ったのか分からず、ぽかんとしてしまうはくたかに、かがやきは再度言った。
「だから、もう食べないならその食べかけの雑炊、もらえないか? いや、美味しかったからもっと食べたいと思って」
「あ、すみません、ちょっと考え事をしていて……残すわけじゃないです。食べます、食べますから!」
「そうなのか……」
 明らかに残念そうなかがやきの前で、温くなってしまった雑炊を一気に掻き込む。はぁ、と一息吐いた所で、
「そんなに気に入ったのでしたら、次の試験走行の時に、かがやきさんの分も持ってきますよ」
 そう言った途端、かがやきがぱあっと笑顔になった。宜しく頼むと嬉しそうに言うかがやきを見て、整った顔から放たれる笑顔は破壊力抜群だなと思いながら、少しずつかがやきとの距離が縮まっていくのを感じていた。

おわり。