とり野菜みそぞうすいを食べる話


「うう、腹減った……」
 今にも倒れそうな声を出しながら廊下を歩いているのは、北陸を走る特急達のリーダー、サンダーバードだ。
 彼は今日、関西地区で発生した人身事故により予定のダイヤを大幅に狂わされ、払い戻しこそせずに済んだものの、一時間以上の遅延を出すはめになった。なんとか金沢駅に着いてからも、遅延による事後処理や乗客の振替対応、そして駅での案内等をこなしている内に、昼食を食べ損ね、今に至る。
「買い置きのカップ麺とかあったよな……いや、あれこの前食べたんだった……でも、今から買い出しに行くのも面倒だなあ」
 ロッカーに備蓄してある非常食、という名のカップ麺は、既に先日サンダーバードの腹に消えていた。だが、今サンダーバードがいる場所から一番近くのコンビニエンスストアまで行く場合、それなりの距離を戻らなければならない。せっかくここまで来たのにという思いもあるが、何より、このままでは引き返す途中で力尽きてしまいそうだ。
 ひとまず、休憩室に向かおうとサンダーバードは足を動かし始めた。運が良ければ誰かが持ってきたお菓子類が残っているかもしれないし、それでなくても何か腹を満たせるものがあるかもしれないと、可能性の低い期待を抱きながら。




「お疲れ様です……うおっ、こ、これは!!」
 サンダーバードが憔悴した表情で休憩室のドアを開けた途端、視界に大きな箱が飛び込んできた。記憶に間違いがなければ、あれは北越がいつも新潟から持ってきてくれる箱だ。
 それを見た瞬間、サンダーバードは戻らずに休憩室まで来ることを選んだ数分前の自分の選択が正しかったことを悟った。
「北越さん、これは!」
「なんだいサンダーバード、騒々しい」
 大声で名前を呼ばれた北越は、座っていたソファーから立ち上がると、少々面倒くさそうな表情でサンダーバードの方を見た。サンダーバードは北越のやや冷たい視線などお構いなしに、その箱を指さして、
「こ、これ、これはもしや!」
「ああ、いなほからだよ。今日はどこの米だったかな」
 開けても良いよ、と言われて、サンダーバードはすぐに箱の蓋を取り外した。
 北越がいなほから、と言ったその箱には、サンダーバードの予想通り、大きな白米のおむすびが並んで入っていた。北越の同僚であるいなほは、北越のもう一つの拠点である新潟駅から北に向かって走る特急で、北越と仲が良い、らしい。サンダーバードは直接顔を見たことがないのでどんな人なのかは知らないが、秋から冬にかけてのこの時期になると、いなほの沿線各地で作られた米を炊いては、おむすびにしたものを北越に持たせてくれるのだった。今年も既に数回、サンダーバードはその美味いおむすびを堪能している。
 倒れそうなくらいに腹が減っている今、元々美味しいおむすびを、空腹というスパイスが効いた状態で食べてはもう市販のおむすびなど食べられなくなるのではないかとも思ったが、そんな事を気にしていられるほどの余裕はない。
 頂きますと言うや否や、サンダーバードは箱に手を突っ込んで、ラップに包まれたおむすびを一つ取り出すと、もどかしげにその包みを剥がして一気に三分の一ほどの場所までかぶりついた。
「うまい!!」
 くうっと言いながら顔をくしゃりと歪ませ、もう一口。サンダーバードはあっという間におむすびを一つ平らげた。空っぽだった胃に食べ物が落ちてきて、ようやく生きた心地がしたような気さえする。
 おむすびを貪るサンダーバードを見ていた北越が、笑いながら言った。
「相変わらず美味そうに食べるねえ。その顔、いなほにも見せてやりたいよ」
「そりゃいなほさんのおむすびは絶品ですから! あ、もう一つ頂きます」
 サンダーバードが二つ目のおむすびに手を伸ばしたその時、がちゃりと背後の扉が開いた。
「お疲れ様です」
 さわやかな挨拶と共に現れたのは、北陸と名古屋の間を走っている特急しらさぎだ。
「しらさぎ。お疲れ様」
「おう、しらさぎ。お疲れー」
 おむすびを頬張ったまま、くるりと振り返ったサンダーバードを見たしらさぎは一瞬驚いたようだったが、その身体の向こうに置かれた箱に気付いて、ああ、と納得したように頷いた。
「いなほさんのおむすびですか」
「そうそう。また持ってきてくれたんだよ、北越さんが」
「いつもありがとうございます」
「私は単に持ってきているだけだから。いなほは君たちが美味しそうに食べていたよって報告すると喜んでるよ」
「せっかくですし私も頂こうかな。今日は寒いので少し変わった食べ方で」
 しらさぎはそう言うと、一旦おむすびの前を素通りし、個人に割り当てられたロッカーから何かを取り出した。それは手のひらサイズほどの小さな小袋で、室内灯が反射してきらりと光る。
「なんだそれ」
「雑炊のもと」
 しらさぎは食器棚から底の深いどんぶりを持ってくると、サンダーバードの前に置かれた箱からおむすびを一つ取り出し、ラップを剥がしてどんぶりの中に入れた。
「なるほど、そのおむすびを雑炊にするのか」
 考えたね、と北越が感心したように言う。しらさぎはふふっと笑い、先ほど取り出した小袋の封を切り、中身を取り出した。長方形の小さな塊には、何やら緑色の野菜のようなものや玉子らしい黄色いものが見え隠れしている。
 それをおむすびの上に乗せたしらさぎは、その上から勢いよくポットのお湯を注いだ。
 お湯を吸った雑炊のもとがふわりと溶けて米の上に広がっていく。おむすびが完全に浸るか浸らないか位までお湯を注ぐと、スプーンで混ぜていく。ふわりと漂う雑炊の香りは、サンダーバードも北越も知っているものだった。
 それは、雷鳥がまだ金沢にいるときに、みんなで食べた事がある「とり野菜鍋」の香りそのものだ。
「あ、それ、とり野菜鍋の雑炊なのか!」
 ようやく気付いたサンダーバードが指摘すると、しらさぎは羨ましいだろうと言わんばかりの表情で、
「この前売っているのを見つけて買ってみたんですが、思いの外美味しくて。もちろんみんなで食べたあの鍋よりは劣りますけど、手軽に味わえるので助かります」
 ふうふうと湯気の上がる雑炊に息を吹きかけ、しらさぎはそれを口に含んだ。おむすびにも程よい塩気があるため、元々の味噌の味と相まってより濃い味になっている。これはいけるなあと言いながら雑炊を口に運ぶしらさぎを見ながら、サンダーバードは羨ましそうに呟いた。
「いいなあ……オレも食べたい!」
「食べたい?」
「食べたい!!」
 全力で頷くサンダーバードに、仕方ないなとしらさぎはロッカーからもう二つ同じものを持ってきた。
「何、二つもくれるのか!?」
「違うよ、もう一つは北越さんに。どうぞ」
「え、私は別に欲しいなんて言ってないけど」
「いやいや、視線が食べたいって訴えていましたよ。遠慮せずに、さあ」
 しらさぎから半ば強引に小袋を押しつけられた北越は、手の上に乗せられたそれと、自分の前に立つしらさぎの顔を交互に見比べる。そのまま受け取るべきか少し迷っていた北越だったが、しらさぎが美味しそうに食べている様子を見ていて、どんな味なのか気になっていたのも事実だったので、素直に受け取る事にした。
「北越さんがいらないならオレが食べますけど?」
 その時、横からサンダーバードが北越の手の上に乗ったその袋をひょい、とつまみ上げた。途端、北越がそれまでと打って変わって激しい口調になり、
「食べるって言ってるでしょう!」
 と怒鳴った。
 北越がこんな風に声を荒らげる事など今まで見たことがなかったサンダーバードは、ぴしり、と雑炊のもとをつまみ上げた状態で固まった。ついでにすぐ側にいたしらさぎも同様に固まっていた。
 ただ一人、怒鳴った張本人である北越だけは、サンダーバードの手から再びぞうすいのもとを奪い返すと、固まるサンダーバードとしらさぎを見て、ふん、とそっぽを向いた。




「いただきまーす!」
 先ほどのしらさぎ同様、いなほの握ってくれたおむすびに雑炊のもとを乗せたサンダーバードと北越は、その上に勢いよく湯を掛けて雑炊を作ると、ふうふうと冷ましながら少しずつ食べ始めた。
 しらさぎが言うには、あまり多くのご飯とお湯で作ってしまうと味が薄くなってしまうので、ご飯が多いのであればお湯を少なめにする、汁気が多い方が好みならばご飯を少なくするなど調整する必要があるらしい。もし薄くなれば塩を足すなりすればいいとも言っていた。
 的確なアドバイスを聞きながら、サンダーバードはニヤリと笑う。
「お前、これまでに相当食ってるな?」
「まあね」
 サンダーバードの突っ込みをしらさぎは否定しなかった。そのインスタント雑炊の作り方に対するこだわりは、以前とり野菜鍋をみんなで食べた際に、鍋奉行っぷりを遺憾なく発揮していただけはある。
「美味しいねえ。これは私ももう少し欲しいね。いなほに持って行ってやりたいよ」
 まだ熱い雑炊を啜りながら、北越がほう、とため息を吐いた。しらさぎはその言葉を聞き逃すことなく、すかさず北越に尋ねる。
「それならまだ少しストックがあるので、持って行かれますか? 新潟へ」
「でもそんなに気前よく配っていたら、しらさぎの分がなくなってしまうんじゃないのかい?」
 心配する北越に、いえ、まだ買い置きがあるので、と言って立ち上がり、しらさぎは北越に新しく持ってきた小袋を手渡した。北越はそれを鞄に仕舞うと、必ずいなほに食べさせるから、と約束する。
「もしお気に召したら、箱単位での取り寄せも可能ですので、言って下さい。私はいつも箱で買っていますから」
 その横ではサンダーバードが怒濤の勢いで雑炊を掻き込んでいた。その食べっぷりは見事なもので、しらさぎが来る前におむすびを二つ食べていたとは思えない。
 黙々と食べ続けるサンダーバードを見たしらさぎと北越は、顔を見合わせて笑った。
 しばらくして、先に雑炊を食べ始めていたしらさぎが、最初にどんぶりとスプーンを置いた。続いてサンダーバードが食べ終え、最後に北越がどんぶりを空にする。三人揃ってごちそうさまでした、と手を合わせて合掌する姿は、いつぞやの鍋の日を思い出させた。
「……またみんなで鍋をやりたいな」
「そうだね。雑炊も美味しいけど、やっぱり本当のとり野菜味噌鍋の方が美味しいからね」
「全員が金沢にいるときにやればいいよ。私も新潟から来るから」
 これから日に日に寒さが厳しくなっていく季節だから、暖かい鍋をみんなで囲むのはさぞかし楽しいことだろう。目の前で湯気を立てる鍋を想像するだけで口から唾液が溢れてきそうになる。いかんいかんとサンダーバードが我に返ったところで、しらさぎがにこりと微笑み、こんな言葉を口にした。
「その時はまた私が仕切ってあげますから。うんと美味しい鍋にしてみせますよ」
 だが、以前鍋をみんなで食べた時にその場を仕切っていたしらさぎは、まさに鍋奉行という言葉にふさわしいくらい恐ろしかったので、それを知っている北越とサンダーバードは揃って首を横に振り、
「いえ、結構です」
 と口を揃えて言ったのだった。

おわり。