ある日の鍋の話


「おーいサンダーバード」
 サンダーバードが駅の中を歩いていると、後ろから名前を呼ばれたので立ち止まった。振り返って声がした方を見れば、少し離れたところでしらさぎが大きく手を振っている。
「どうしたんだ?しらさぎ」
「今日の夕方から食堂閉鎖だって。何でも夜当番のおばさんが風邪で倒れたらしい」
「マジ?でも珍しいよな今までそういうことって無かったし」
「うん。今までは交代してもらったりして何とかしてたみたいなんだけど、今日に限っては交代要員も見つからなかったんだって。まあ、前に比べて食堂の利用者も減ってるし、一食くらいなら外で食べたって問題ないからね」
「でもなあ、夜遅くなると必然的にコンビニ飯になるからなあ。多少冷えてても食堂での手作り夕飯が食べられるのはありがたかったんだよなあ……」
 残念だとしきりにサンダーバードが言うにはもう一つ訳があった。今日はサンダーバードの好物である白菜と鶏肉のクリームシチューの日だったのだ。寒い日に暖かいシチューを食べる事の幸福度といったら一言では言えないくらいで、毎月一月分の献立が発表された時から、サンダーバードは今日の夕飯を楽しみにしていたのだ。
「……サンダーバード、今日はこっちに戻ってくるんだよね?」
「ん?ああ。十時頃かな。はくたかも最終一本前だって言ってたからオレよりもう少し遅いくらいだと思うぜ」
「私もそれくらいなんだよね。それなら、今日三人で夕飯食べない?」
「お、いいぜ。どこに行く?」
「ちょっと私に考えがあるから、ひとまず仕事が終わったら宿舎に戻ってきてよ」
「分かった。はくたかにも伝えておく」
 そう言われて、別に私が、と言おうとしたしらさぎだったが、言葉を発する前に飲み込んでしまった。
 サンダーバードははくたかに連絡を取る口実が欲しいのだ。サンダーバードのはくたかに対する気持ちは同僚である他の特急達はもちろん、普通列車たちにも筒抜けという有様なのだが、当人であるはくたかにだけは全く伝わっていないのが悲しい。
「じゃあ、はくたかにも伝えておいてね。よろしく」
 それだけ言って、しらさぎは再び来た方向へと戻っていく。それを見届けて、サンダーバードは携帯電話を取り出すと、はくたかにメールを打つことにした。電話をしても良かったのだが、もしかしたら手が離せないかもしれないし、何より電話に出でもらえなかったら自分が悲しい。変なところで自分に自信が無いサンダーバードであった。



 そして、その日の夜。
 仕事を終えたサンダーバードは、おなかをぺこぺこに空かせた状態で宿舎へと戻ってきた。はくたかは予定より更に一本早い電車で戻ってきたらしく、結局サンダーバードが一番最後だ。
 宿舎の玄関を開けて中に入ると、ふわりと暖かい空気に包まれる。とそこへ、階段を下りてくるしらさぎが目に入った。しらさぎも同じようにサンダーバードに気づいたようで、お帰りと手を挙げる。
 おう、と返そうとしたサンダーバードだったが、しらさぎの格好がいつもと違う事に気づいて思わず言葉を引っ込めてしまった。僅かに目を見開き、ゆっくり頭からつま先まで視線を走らせる。
 そして。
「何だその格好は」
「何だって、夕飯の準備してるんだから仕方ないじゃない」
 足を止めたしらさぎは、さも当たり前だと言わんばかりの表情だ。そういえば確か、今日の夕飯を作ってくれるおばさんが風邪で休み、夕飯が無い所を何か考えがあると言っていたのがしらさぎだったはずだ。
「つまり、お前の考えがあるってのは、お前が夕飯を作るって事なのか……?」
「そうだけど?」
 サンダーバードの前にいるしらさぎは、普段着の上から食堂のおばさん方が身に付けている割烹着のようなエプロンを着け、更に頭には頭巾まで被っているという出で立ちだった。しらさぎとの付き合いももう十年ほどになるが、今までこのような格好をしている所など見たことがない。
「キャラ違いすぎだろ?」
「失礼な」
 それよりも、そんな所で突っ立ってないで早く着替えてきたらどうかと言われて、サンダーバードは自分がまだ玄関で靴を履いたままでいたことを思い出した。逆に言えば、そんなことすらも忘れてしまうほどにしらさぎの格好が衝撃だったのだが、これ以上突っ込むのは止めておくことにした。
 しらさぎと入れ違いに階段を上っていくサンダーバードは、背中越しに早く食堂へ来いという言葉を聞いた気がした。
 言われたとおり、手早く制服から私服に着替えて階段を駆け下り食堂へ行くと、そこにはサンダーバードを除く特急全員が集結していた。
「遅いぞサンダーバード」
「早く座りなさい。もう我慢できないんだけど」
 ねぎらいの言葉もなく不満をこぼすのは、雷鳥と北越だ。二人の向かい側に座ったはくたかが、
「お帰りサンダーバード。しらさぎが鍋を作ってくれたんだよ」
 とこの状況を説明してくれた。確かに、皆の前には卓上ガスコンロが置かれ、その上に乗せられた大きな土鍋からはもうもうと白い湯気が立ち上っている。と同時に、鍋の出汁だろうか、良い匂いが漂ってきてサンダーバードの腹の虫が盛大に鳴いた。
「さあさあサンダーバードも座って!」
 相変わらず割烹着姿のしらさぎが鍋の前に陣取っており、はくたかの隣の席を指さした。待たせてすまなかったと皆に言って、指された場所に着席すると、しらさぎがニヤリと笑って大げさな仕草で鍋の蓋を取った。
「うわあ!」
 白い湯気が四散して鍋の全貌が明らかになった途端、全員から歓声が上がる。
 茶色の出汁がぐつぐつと煮える中には、大量の白菜の他、ねぎ、豆腐に油揚げ、そして鶏肉が詰め込まれて良い色になっていた。よく見ればにんじんを細く切ったものが浮かんでいる。
「すごいな、本格的じゃないか!」
「ご飯も炊けてるよ」
 いつの間にか炊飯器が登場しており、そこから白米を盛りつけた茶碗をしらさぎが皆へ順々に回していく。全員の前に米が行き渡った所で、頂きますと雷鳥が言い、それに他の全員が追随した。
「頂きます!」
 一人ずつ盛りつけるのは面倒くさいというしらさぎの提案により、全員がそれぞれの箸を突っ込むことを許可されたので、皆思い思いに具材を取り皿に盛っていく。
 サンダーバードも遠慮無くと白菜を少し取り、続いてよく味の染みこんだ鶏肉を一つつまむ。目の前に現れたそれが思った以上に美味しそうだったので、つい無意識のうちに二つ、三つと自分の取り皿に放り込んで行くと、四つ目を取ろうとしたサンダーバードの箸が誰かの箸で阻まれた。
「こら、サンダーバード!肉ばっかり取るな!」
 ぎろりとしらさぎに睨まれ、ひるんだ隙に、肉の代わりに白菜が大量にサンダーバードの取り皿に飛び込んだ。
「バランス良く食べないとね?」
 声は優しいが目は笑っていない。はい、と返事をしてサンダーバードはすごすごと箸を引っ込めた。この鍋の奉行はしらさぎだ。奉行に逆らってはこの後食べられるものが野菜のみとなっても文句は言えない。
 大人しくしらさぎが追加投入してくれた白菜を口に運ぶ。途端、ほかほかと良く火の通った白菜からしみ出る出汁が美味しく、サンダーバードは目を見開いた。
「何だこれ、うまい!」
「良かった。私も今回初めて作ったからどうなるかと少し心配だったんだけど」
「キムチ鍋じゃないし、一体何なんだこの出汁」
「とり野菜みそ、だって。前に家が金沢の運転士さんと一緒になったときに教えてもらったんだ。金沢ならどのスーパーに行っても売ってるし、水にみそを溶いた出汁に野菜や肉を入れて煮るだけだから楽だよって。この鍋だって、そのみそしか入れてないんだ」
「俺も聞いたことあるよ、その話。でも普段は食堂でご飯が食べられるし、一人じゃ鍋なんかしないから食べる機会が無くて」
 はくたかがそう言うと、雷鳥が頷いた。
「確かに、普段自分で食事を作ったりはしないからなあ」
「行きつけの店のメニューにも無かったし」
 そういうのは北越だ。確かに冬に飲みに行けば鍋が出てくることもあるが、一度もこの鍋を飲み屋で食べたことは無かった気がする。
「案外知らないんだよな、金沢の名物」
「食べる機会が無いと、なかなかねえ」
 そんな話をしながら、野菜や肉はどんどんと皆の腹の中に消えていった。しらさぎが後から具を追加投入してくれたのだが、それでも一日働いた後の男性五人に囲まれてはひとたまりも無い。
 そして、鍋を仕切るしらさぎの迫力も、普段とは違って相当なものだった。誰かが肉ばかり取ろうとすれば、即座にそれを阻み、代わりに別の具材をその皿に投下していく。
「あっ、雷鳥さんも肉ばっかり取らないで下さいよ!」
「す、すまんしらさぎ」
「北越さんは逆に白菜ばっかり!豆腐とか油揚げとか、他の具材も食べて下さいよ」
 あまりの迫力に誰も言い返す事は出来ない。完全にしらさぎのペースで仕切られた鍋だったが、ほんのりピリ辛のみそ出汁による鍋は美味しく、残りの出汁で雑炊を作る頃になると皆胃袋がぱんぱんになっていた。
「ううー、食べ過ぎた……」
「サンダーバード、すごい勢いで食べてたもんねえ」
「そういうはくたかだって、普段の倍くらい食べてたんじゃ無いのか?」
「そんなことない、と思う……」
「ははっ、自信ない感じだな」
「だって美味しかったからさ」
「確かに。ありがとうな、しらさぎ」
 サンダーバードがそう言うと、別に、としらさぎは雑炊を作りながら視線を外した。心なしか頬が赤くなっている気がしたが、それは長時間ガスコンロの前で鍋を仕切っていたからかもしれない。
「はい、雑炊出来ましたよ。みんな取り皿出して」
 残りの米と卵が投入された雑炊は少し薄いきつね色をしていて、所々残った白菜の切れ端や豆腐のかけらが浮いている。しらさぎはそれを手早く混ぜて、有無を言わさず皆の取り皿に盛りつけていった。
「ん、うまい」
「卵が入ってちょっと柔らかい味になったね」
「これならどれだけでも入るなあ」
 皆が口々にうまいと言いながら雑炊を口に運ぶ様子を、しらさぎが嬉しそうに見ていた事を、サンダーバードだけが気づいていた。



 後片付けを終えて、先に雷鳥と北越が部屋に戻っていった。サンダーバードとはくたかは洗った食器を布巾で拭いて、元の場所に仕舞っていく。鍋も食器もコンロも全て食堂から拝借したものなので、きちんと片付けをしなければ明日の朝食なり夕食なりに影響が出てしまう。
「こっち終わったよー」
 食器棚に全て食器を仕舞ったサンダーバードとはくたかは、厨房の明かりを消してフロアの掃除をしているしらさぎの所へと戻った。
「ありがとう、サンダーバード、はくたか」
「いやいや、食べさせてもらったからな!うまい鍋」
 なあ、とサンダーバードがはくたかを見ると、はくたかも力強く頷いた。
「そうだよ。ありがとう、しらさぎ。すごく美味しかったよ」
「そう言って貰えると嬉しいよ。私も話を聞いてから一度食べてみたいなと思ってたし。雷鳥さんや北越さんすら食べたこと無いってのは意外だったけど」
「そうだよな。でも食堂だと鍋なんか出ないだろ普通」
「一人一人に作るわけには行かないしね」
「確かにね。でもこれで一つまた思い出が出来たんじゃ無いかな、雷鳥さんの」
 先日、雷鳥が三月で引退することが発表されたばかりだった。しらさぎもそれを気にしていたのだ。
「きっと良い思い出になったよ」
 はくたかも、サンダーバードも頷いた。
「……でも」
 そう言ってしらさぎが言葉を切る。そして、顔を上げてサンダーバードをキッとにらみつけた。
「サンダーバードも雷鳥さんも肉ばっかり選んで食べ過ぎなんだよ!何のための野菜鍋なんだよ!野菜も他の具も食べなよ!」
「え、そ、その、すまん」
「しかも雷鳥さんもだよ!?サンダーバードだけなら分かるけどどうなってるのさ!」
 なんだか怒りがぶり返したらしいしらさぎがぶつぶつと文句を言うのを聞きながら、サンダーバードとはくたかは内心、次は自分が鍋を仕切ろう、と思わずにいられなかった。
 一度仕切ると、徹底的にやらなければ気が済まない、それがしらさぎだということを、二人は今回の鍋で痛感したのだった。

おわり。