遠い日の記憶
「君は今日から『はくたか』だ。宜しく頼む」
そう言われて、シンボルマークを手渡された。グレーの制服を着て、手袋をした人がはくたかに向けて敬礼をする。はくたかも、それに倣って敬礼をして見せた。
その名前は初めて呼ばれるはずなのに、何故かとても懐かしい音がした。
「……たか、はくたか!」
カクッと手のひらから顎が落ちて、はくたかはようやく自分が居眠りをしていたのだと気がついた。三月も後半になり、北陸でも春の気配を感じるようになったこの頃はどうにも眠くて仕方がない。
「どうした、具合でも悪いのか」
自分を呼んでいたのは、雷鳥だったらしい。いいえ、特に問題はありません、と答えて、ようやく意識を覚醒させた。
「ならいいが。あんまり無理せんでくれよ」
心配そうな顔をした雷鳥がすぐ側にいる。無理して欲しくないのはあなたの方だ、と言いかけて止めた。そんなことを言えるような雰囲気ではないことくらい、はくたかにも分かったからだ。
「そうやっていると、先代のはくたかを思い出すよ」
わしの昔話に少し付き合ってくれるか、と言う雷鳥に、はくたかは頷いてソファーに移動した。杖を手にした雷鳥は、ゆっくりながらもしっかりした足取りではくたかの隣まで歩いてくると、よっこいせと言って隣に腰を下ろす。
「……わしももう歳だな。だが後四年、頑張らねばならん」
少し寂しそうな顔をしながらも、これでようやく皆の元に行けると雷鳥は笑った。はくたかはどんな顔をしていいのか分からず、黙って握りしめた自分の手を見ていた。
「先代のはくたかが、どうしていなくなったのか知っているか?」
「いいえ……俺がここに来るまでには十五年のブランクがありますから。最低限の事は聞いてますが、それ以上は何も」
そうか、と言って雷鳥は懐から煙草を取り出した。吸っても良いかな、と尋ねてはくたかが頷いたのを確認すると、口にくわえて火を点ける。深く煙を胸に吸い込んで、頭がすっきりしていくのを感じながら、遠い思い出を呼び起こしていく。
手にした煙草から細い紫煙を立ち上らせながら、雷鳥は少しずつ話し始めた。
「初代のはくたかは親しくなる間もないくらい、あっという間にいなくなった。その後すぐに先代のはくたかがやってきたんだ。わしと見た目はそっくりでな。違うのはヘッドマークくらいだった。当時の最新型の車両、みんなわしらに乗りたがったものだ」
雷鳥が顔を上げて向こうを見た。が、その瞳に映っているのは恐らくはくたかや部屋の様子などではない。在りし日の先代の姿だろうことは容易に想像が付いた。
「しかし、やつは不遇だった……同じ目的地でも別のルートを走っていた白山ばかりが優遇されていて、はくたかはいつまでも一人だった。そのうち上越新幹線が開業して、同じルートを走っていたはくたかは消えるしかなかった」
新幹線の開業と在来線特急の消滅。交通機関としての自分たちは常にスピードを求められる。自分たち在来線がどれだけ速く走ろうとも、それを上回る新幹線がやってくればたちまち不要となる世の中。先代も自分と同じ理由で消え去ったのだと初めて知ったはくたかは、まさに自分が同じような状況に置かれていることに、偶然以外の何かを感じていた。
「先代が消えて十五年。ほくほく線が開業してもっと早く東京へ行けるルートが出来たというので、おまえが呼ばれたんだ、はくたか」
「それは以前聞きました。新幹線に接続するために、早く走れる特急が必要だったと」
自分は今まで、乗客を上越新幹線に乗せるために走っていると思っていた。それが全てとは言わないが、はくたかのなかでかなりのウェイトを占めていたのは間違いない。
それが、先代が消えた理由の一つにあの上越新幹線が絡んでいたと思うと、何だか胸が締め付けられるような気がした。もちろん、ときが直接関わったわけではないし、ときへの気持ちが揺らぐこともない。が、皮肉なものだと思う。先代がいなくなった原因となった新幹線に接続するために自分が呼ばれたということが。
「わしはもう長く走りすぎた……白山も、加越も、他の連中もいつの間にかわしをおいてどこかへ行ってしまった。それでも、走り続けるのが自分の仕事だとずっとやってきたんだ」
だが、と雷鳥は続ける。
「わしが辛いのは、自分が走る続けることでも、いなくなることでもない。お前やサンダーバードのような若い連中が苦しんでいるのを見ることだ……特にお前は、どうにも先代と被ってな。初めて見たときは、上も似たようなのを選んできたもんだと思ったが、最近はそれがますます顕著だ」
「……先代の気持ち、分かりますから」
「ほう?」
「きっと、同じ気持ちだったんだろうな、って思うんです。着々と出来上がっていく新幹線の線路を眺めながら乗客を運ぶ時の気持ち。あれが出来れば乗客は喜ぶんだって頭で分かっていても、自分が走れなくなることを考えると苦しい。そんな葛藤があったんだろうなと……」
会ったことも無いですけど、と苦笑するはくたかに、雷鳥は笑って、本当に同じ事を考えていたよ、と言った。
「おまえとサンダーバードを見てると、若かった頃のわしと先代を思い出すんだ」
「似てますか?」
「似てなくはないが、おまえはおまえだ、はくたか」
「そう言っていただけると、嬉しいです」
いつの間にか雷鳥が手にした煙草は短くなっていた。それを灰皿でもみ消して、もう一本吸おうかと思ったが止めておく。これ以上はくたかを年寄りの戯言に付き合わせる必要もないだろうと思ったからだ。
「サンダーバードのこと、宜しく頼むよ」
「それは、俺でなくしらさぎに言った方が」
「いや、おまえに頼みたい」
あんなやつだが、手を離さないでやってくれよ、と言われたはくたかは、不思議そうな表情を浮かべて雷鳥を見た。が、雷鳥はそれ以上何も言わず、結局もう一本煙草に火を点けたのだった。
***
その夜夢を見た。
「君は今日から『はくたか』だ」
はくたか。十五年前に一度消滅した名前。新しい身体、ホワイトウィング、白い翼。
誇らしげに胸を張り、新品の身体を確認すると、これからはくたかとして生きる事への不安と、期待が入り交じって顔が歪んだ。
ふと、はくたかの隣を誰かが通り過ぎた。そのままはくたかの先を歩いていく見たことのない後ろ姿に首を傾げるが、何故か視線が離せない。少し行き過ぎた所で止まったその人は、くるりとはくたかの方に向き直った。そして、
「がんばれよ」
そう言うとにっこり微笑んで、瞬く間に消えてしまった。
それはきっと、昼間に雷鳥の話を聞いた所為で見てしまった夢なのだろうけれど、実際には会うことも叶わなかった先代に励まされた気がして、はくたかは思わず涙を零したのだった。