スイカの夏(コミックマーケット82での無料配布冊子より)


 ただいまー、という声が聞こえてきたと思った矢先、玄関で何やら重いものを置くような音がした。
「おかえりなさい。暑かったでしょう、って、何ですかこれ!」
「ああ、白山。ただいま」
 玄関に置かれたそれに驚く白山とは対照的に、はくたかはにこにこと笑みを浮かべている。もう一度なんですかこれ、と尋ねると、はくたかは見ての通りだよと言って笑う。
「いえ、僕が聞きたいのは、どうしてこんな立派なスイカが家にあるのかってことです。買ったんですか?」
「それが、頂きものなんだよ。畑で作ってみたところ、思った以上にたくさんできたらしくてね。それでお裾分けされたんだ」
「へえ……でも、これはどう見ても二人分の量ではないですよね」
 もっともなところを指摘すると、はくたかも笑みを曇らせて、少し困ったような様子で、
「そうなんだよね……」
 とつぶやいた。
 そのスイカはスーパーで見かけるような形の整ったものとは少し違っていて、一か所だけ軽くだがへこんだところがある。が、代わりと言ってはなんだが相当に大きい。売っているものの一・五倍はありそうなサイズだ。
「どうするんですかこれ」
 冷蔵庫にも入らないので、仕方なく家にあった一番大きなタライに入れ、上からちょろちょろと水を掛けてはいるが、この状態でどこまで冷えるか怪しいところだ。
 流しを占拠したスイカを見ながら、白山がため息をつく。はくたかも困ったねと口では言っているものの、どこか嬉しそうなのはスイカが好きだからだ。だが、いくら好きでもこれを一人で食べきれる事は出来ないと白山は思う。
「他にお裾分け出来る人がいれば良いんですけどね……切ったスイカをお渡しするほど親しい人は近くにいませんし……」
「そうだね……こういうとき、金沢の宿舎とかだったら人数も大勢いたからすぐに片付いたんだろうけどね」
「でも今は二人だけなんですよ?」
 分かってるですかと言えば、はくたかは少々気まずそうな表情で、分かってはいるんだけど、と言葉を濁す。
「でも、たくさんできて困ってるって言われたら断ることも出来なくて」
「分かっています。先輩がそういう誘いに弱いことも、あとスイカが好きなことも知ってますから」
 ごめんね、というはくたかの手を取ってぎゅっと握りしめる。その手は夏とは思えないくらいひんやりとしていた。この辺りは水道水の他に地下水が各家庭に引かれており、その水が驚くくらい冷たいのだ。その水でスイカを洗ったり冷やしたりしていたせいで、手も冷たくなったのだろう。
「……ある程度冷えたら、食べてみましょう。案外中は空っぽかもしれませんよ?」
「そんなことはないよ。叩いたら詰まった音がしたからね」
 そこだけは自分の事であるかのように自信たっぷりに言うはくたかがおかしくて、白山は笑いをこらえるのに必死だった。



 それから三時間ほどして、二人はスイカを切ってみることにした。たらいの中から取り出し、テーブルの上に置いたまな板の上に乗せる。明らかに幅からはみ出しているが、もう気にしないことにした白山は、家にある一番大きな包丁を持ち出して、上からざくりと切り目を入れた。
 とたん、甘い香りが台所に漂い始める。なるほど確かに甘いスイカのようだと思いながら、包丁でスイカを真っ二つに割った。
「すごい!真っ赤だよ!」
 横で見ていたはくたかが歓声を上げる。ぱっくりと割れたスイカの断面は、みっしりとした赤い実で満たされていた。これだけ大きいのに、空洞が出来ていないスイカは珍しい。はくたかが「詰まった音がした」と言ったのは間違いではなかったのだ。
 そこからさらに切り分けて、八分の一ほどの大きさに半月切りにしたスイカを皿の上に乗せ、二人は縁側へと向かった。二人が住んでいる家には小さな庭があって、縁側はその庭に面している。そして、その庭の向こうには山がそびえており、そこから涼しい風が吹いてくる絶好の場所だった。
 並んで縁側に腰を下ろし、スイカにかぶりつく。しゃくり、と小気味いい音とともに、赤い半月は見る間に三日月型へと変化していった。特にはくたかは一心不乱になって食べている。
 時折、口の中に溜まった種をぷぷぷと上手に吐き出していく。白山はいまだにそれが上手くできないので、はくたかの事をすごいと思っていた。
「先輩は器用ですよね。僕は先輩みたいにうまく種を飛ばせないんですよ」
「そうでもないよ?君も練習すれば出来るようになると思うよ。教えようか?」
「いえ、遠慮しておきます」
 それってつまり上手く飛ばせるようになるまでずっとスイカを食べ続けなくちゃならないってことですよね、と皿の脇に種を吐き出しながら、白山は内心考えていた。だからちょっと二の足を踏んでしまう。たまに食べる分にはいいけれど、そんなに頻繁にスイカを食べたいとは思えないのだ。
 はくたかが上手くスイカの種を飛ばせるのは、毎日食べて練習したのだろうか。そう考えると、一生懸命種を飛ばす練習をしているはくたかを想像して、つい可愛いなと思ってしまった白山だった。



 結局はくたかはあの大きなスイカの四分の一を一人で食べてしまった。庭は黒い種がまき散らされて散々な有様だったが、夕暮れ頃にはくたかが掃除をしたらしくーー庭用のほうきを持って歩いているところを見たーー、気が付いたころにはいつもの庭に戻っていた。
 しかし、白山が食べた分を合わせても、スイカはまだ半分以上残っている。しばらくこのままスイカばかりの日々が続くのかと若干憂鬱になっていたところへ、はくたがやってきた。 「白山、夕飯は何がいいかな?」
「スイカ以外なら何でもいいです」
「ひどいなあ。そんなにスイカの事が好きじゃないならもう食べなくてもいいよ」
 そう言うと、はくたかはそのまま台所へ行ってしまった。あれはきっと怒っているのだ。残っているスイカの量にげんなりしすぎてつい迂闊なことを言ってしまったと白山は後悔したが、既に遅い。
 普段はめったに喧嘩をしない二人だが、年に数回、こんな感じで意見がぶつかることがある。そしてそのうちの八割ほどは、今回のように、白山がはくたかを怒らせる形での喧嘩だった。
 白山は謝ろうと台所へ向かった。はくたかは夕飯の準備をしているのか、流しに向かって何やら切っているようだ。引き戸を開ける音で白山が来たことは分かっているのだろうが、振り向かない辺りにはくたかの怒りが滲み出ている。
「先輩、ごめんなさい。言いすぎました」
 とんとんと包丁がまな板を叩く音がぴたりと止まった。薄暗い台所に沈黙が落ちる。
「先輩がスイカを好きだってことは知っています。僕も多少は食べますけど、でも今回もらってきたスイカはちょっと大きすぎると思うんです。その、二人で食べる場合は」
「……分かってるよ。だから、君はもうスイカを食べなくてもいい」
 後は全部私が食べるから。そう言ってはくたかはゆっくりと白山の方へ振り返った。右手には包丁、そして左手には、食べかけのスイカの切れ端を持っている。
「わ、うわわわ!先輩、その口……!」
 何より驚いたのは、はくたかの口の周りが赤く染まっていたからだ。どれだけスイカをむさぼったのか分からないが、口元から首にしたたり落ちた果汁がべったりと白いシャツを汚している。色は薄いが、まるで吐血した血液で血まみれになったかのような有様に、白山は正直腰が抜けた。それを見たのが流しの上の作業灯しか点いていない状態だったこともあり、一瞬スイカではなく本当に血液かと勘違いしてしまったのだ。
「後は全部私が食べるよ。だから君は気にしなくてもいい」
 そう言いながら、包丁と食べかけのスイカを持って近づいてくる姿はホラーだ。咄嗟に逃げなければ、と思った白山は、台所から這うようにして逃げ出そうと試みた。
 後ろ手で必死に床を這って進んでいく。廊下に出て、居間まで何とか戻ろうと思った矢先、背中と後頭部に強い衝撃が走った。前に迫るはくたかの足音を聞きながら、自分の後ろに何があったのかと、薄れゆく記憶の中で考えたが、何も思い至るものは無かった。


***


「……山、白山!?大丈夫?」
 誰かに身体を揺すられている。いったい何事かと目を開ければ、そこには心配そうな顔をしたはくたかがいた。
「あれ?先輩?」
 身体を起こそうとすると、頭に激痛が走った。いたたたたと痛みを感じた部分を手で押さえていると、はくたかが背中に手を当てて身体を起こすのを手伝ってくれた。
「いったいどうしたの?すごい音がしたから来てみれば君は倒れているし……」
「いや、それが全く僕にも何が何だか……あ、スイカ!」
「スイカ?」
 スイカがなんだと言わんばかりの表情で、はくたかが首を傾げる。
「そうじゃなくて、頂きもののスイカ、もう食べちゃったんですか全部!」
「頂きもの?スイカなんか誰からももらってないよ?」
「え、でも昼間に先輩がもらってきたって……」
 何が何だか分からなかった。あの大きなスイカをもらっていないだなんて、冗談を言うにしてももう少し分かり易い冗談にしてほしい。白山は必死に先ほどまでの状況を説明するが、はくたかは首を傾げるばかりだ。
「確かに私はスイカが好きだけど、今日そんなに大きなスイカをもらってはいないし、ここ数日間ずっと食べていないよ。いったいいつの話をしているの?」
「え……そんな」
 それではあれは夢だったとでもいうのか。大きなスイカをはくたかが持ち帰ってきて、それを二人並んで縁側に腰掛けて食べたのも、はくたかが口の周りから襟元までずっとスイカの果汁で汚して真っ赤になっていたのも。
「そんな馬鹿な」
「なに、そんなにスイカを食べたかったの?そう言えば、いつも野菜をお裾分けしてくれる方が大きなスイカが生ったって言っていたから、お願いしてもらってこようか?」
「いえ!いいです!スイカはいいです……」
「?変な白山」
 笑いながらはくたかが部屋を出て行く。怒っている様子も無く、白山はほっとして、小さくため息を吐き出す。
 しかし夢だとしてもいやにリアルだった。手がじっとりと汗を掻いているのは、単に暑いからとは思えない。
 その時、ピンポーンとチャイムが鳴った。はーい、と返事をしてはくたかが玄関へと走っていく。そして、わあとはくたかの歓声が聞こえた。何事かと玄関の様子に耳をそばだてていると、はくたかは訪問者と何やら話をしているようだった。そのうちその人が帰った頃を見計らって、白山は玄関に向かう。
 すると、玄関のたたきの上に、先ほど夢で見た物が置かれているではないか。
「せ、先輩、その、スイカは……!」
「ああ、これ?さっき持ってきて下さったんだよ。たくさん生ったからお裾分けだって。良かったね、白山スイカの話していたもんね」
「いや、僕は食べたくないって……」
「嬉しいなあ、こんなに大きなスイカ!冷やしたいけど冷蔵庫には入りそうもないし、水に浸しておけばいいかな」
 はくたかが嬉しそうにスイカを抱えて台所へ向かう後ろに付いていきながら、白山はあれが正夢になってしまうのではないかとびくびくしていた。
 とにかく、無理をしてでも食べるしかない。そうすればはくたかを怒らせることにはならないはずだ。夢で見た、スイカと包丁をそれぞれ片手ずつ持った姿は、白山にとってかなり怖かったのだ。現実だろうが夢だろうが、もう二度とあんな姿は見たくない。
 昼間に見た夢は、怪談なんかよりもよっぽど肝が冷えたと、白山はぶるりと身震いした。