心を閉ざした理由


 出勤ラッシュが始まる前の金沢駅。朝練へ向かう学生や出張へ行くと思われるサラリーマンがちらほら姿を見せているが、東西をつなぐコンコースはまだ人の気配が薄い。
 それでも、一時間ほど前から特急や普通電車は動き始めている。昨日から降り続いている雪の影響で、少しダイヤが乱れてはいるが、昨晩の積雪量は予想を大幅に下回ったため、そのうち元に戻るだろう。
 自身の名古屋方面へ向かう列車を見送ったしらさぎは、ホームから改札を通りコンコースへ降りてきた。屋根があるとはいえ、外にそのままつながっているホームよりも、外とを隔てるいくつかの扉があるコンコースの方が暖かいからだ。
 駅にはコンコースなんかよりもずっと暖かい休憩室もあるのだが、そこへ行かずに改札まで下りてきた理由は、特にない。ただ何となく、そこに行けば誰かーー特急仲間の誰かがーーいるような気がしたのだ。
 そしてそんなしらさぎの予感は見事に当たっていた。改札前に置かれた、運休などを知らせる簡易掲示板の前に北越が立っているのが見える。従業員用のゲートを通って改札の外側に出たしらさぎは、後ろから声を掛けた。
「北越さん。どうしたんですかこんなところで」
「ああ、しらさぎか。いや、運休になったからさ……暇を持て余している。新潟にも戻れないしねえ」
 そう言う北越は少し疲れた様子だった。そういえば昨日も一往復運休になっていはずだ。
「新潟の方は雪がひどいみたいですけど」
「そうなんだよねぇ。除雪作業で信越線も運転見合わせしているし、ここから行っても直江津辺りで足止めされてしまう。上越線も除雪するって連絡が入っていたから、はくたかにも影響が出そうだ。毎年の事とはいえ、こればかりはどうしようもないからね」
「そうですね」
 路盤の土を流してしまう雨も厄介だが、雪は線路を覆い隠してしまうから余計に厄介だ。彼らの車両はレールの上しか走ることが出来ないから、その線路が埋もれてしまえば運休せざるを得ない。
「除雪車たちが動くだろうけど、作業が終わるのはいつになるかわからないなあ」
 北越はそうこぼした。そう言われて、彼の同僚であり、北越と同じように新潟方面へ向かう特急の事を思い出す。
「はくたかは?」
「定刻で出て行ったよ。だが、遅延するのは確実だろうね。たとえほくほく線は無事でも、上越線がね」
 信越線が除雪するほどの雪なのだから、上越線だって無事じゃないだろうと肩をすくめて、北越はその場から立ち去ろうとする。しらさぎは黙ってその後を追った。何か明確な意図があっての行動ではないが、そうしたかったのだ、何となく。
「……どうしてついてくるんだい?」
「いえ、別に。私の事はお気になさらず」
 そう言った途端、北越が顔をしかめる。おかしい事は言っていないはずだが、としらさぎは首をかしげて見せた。
 北越が微妙な反応をするのも無理はない。彼はしらさぎやはくたか、サンダーバード達と同じく北陸本線を走る特急だが、所属はしらさぎたちとは異なっているし、しらさぎと北越の運転区間は殆ど被っていない。富山から金沢の僅かな区間だけで、向かう方向は真逆だ。
 そして、しらさぎは金沢にやって来た時期が他の二人と比べて一人だけ遅い。それだけ、北越と過ごした時間も短いし、決して二人きりで長時間話をすることなんか殆どなく、決して「親しい」とは言えぬ間柄だった。
 ーーただ、それを言えば、しらさぎだけで無くサンダーバードもはくたかも当てはまるのだが。
 そんな相手に理由無く後ろから付いてこられているのだ、北越の反応も至極当たり前のものだろう。
「気持ち悪いなあ……」
 そう言いながら、北越はそれ以上しらさぎを拒絶することは無かった。気にしないことに決めたらしい。
 カツカツと靴のかかとが叩く音が駅構内に響く。まっすぐに前を見据えて歩く北越の背中を眺めながらしらさぎもその後に続いた。午前中の二往復が運休となってしまった彼が行く場所として考えられるのは、駅構内にある休憩室か、駅員達が詰める事務室か、それとも宿舎かだろう。その何れに行くことになっても、しらさぎは構わなかった。どちらにも用事があるからだ。
 北越は一日五往復、片道四時間ほどの時間を掛けて金沢と新潟を結んでいる。元々そんなに本数が無い上、通っている路線の都合で運休が割と多いのだ。しらさぎも過去に何度も運休になって暇そうにしている北越を見かけたことがあった。
 去年まではそんな北越に輪を掛けて暇をしている元リーダーの雷鳥がいたが、彼が引退してもうじき一年になる。同期を失ってしまった北越は、こうして金沢にいる間に運休になると、いつにもましてつまらなそうな顔をしているのだが、本人は気づいているのだろうか。
「……所で、私の後を付いてきている君は忙しいんじゃないの?名古屋方面は通常通りだろう?」
「おかげさまで、まあそれなりに。でも、北越さんの話し相手になるくらいの時間はありますよ?」
 私のようなものでつとまるかは分かりませんが、と付け加えると、北越はふっと息を吐き出した。どうやら笑ったらしい。
「そんなに気を遣ってくれなくて良いよ。雷鳥がいないのにも慣れた。もうすぐ一年だからね」
「そんなつもりは」
「思い出すねえ、去年の大雪。サンダーバードも君も雪の中に閉じ込められて二日間身動きが取れなかっただろう?」
 北越の言葉に、去年の苦々しい思い出が蘇って、しらさぎは顔をしかめた。
 福井県の、敦賀と今庄を隔てる北陸トンネルの前後で、記録的な大雪が観測され、サンダーバードとしらさぎは乗客共々、雪という白い檻に閉じ込められてしまったのだ。あれは二代目しらさぎとして走ってきた中で一位二位を争うほどの失態だったと思っている。
 自然が相手だからと言い訳をすることならいくらでも出来るし、実際しらさぎ一人の力ではどうしようもなかったのだから誰も咎めることはしない。が、暗いトンネルの中で過ごした時間は、とても長く感じられたし、一年経った今でも、その頃の事を思うと、自分の情けなさで胸が締め付けられるように痛む。
 それまでしらさぎに背中を向けていた北越は足を止め、首だけ動かしてしらさぎの方を見た。そして、目を細め、にやりと笑う。
「君はもう少しそうやって感情を表に出した方がいい。そうしないと、私みたいになるよ。君の先代を見習いなさい」
「北越さんみたいにとは?」
「ものの例えだよ。ほら、仕事しなさい、君はまだ走れるんだから」
 しっしっ、とまるで犬を追い払うような仕草に、しらさぎはやれやれと言った様子で首を横に振った。
「言わせてもらいますが、感情を隠したりはしていませんよ?これが素です」
「そうか。それじゃ余計なお世話だったね」
 北越はもうそれ以上会話をするつもりはないようだった。再び歩き出した北越を、その場所に止まったまま見送っていると、背後から誰かが近づいてくる気配がした。
「サンダーバード?」
 ぴたり、と後ろから近づいてくるその誰かが足を止める。しらさぎが後ろを向くと、そこにいたのは思った通りの人物だった。 「何だお前、後ろにも目付いてるのか?」
「まさか」
「冗談だよ。てか何、なんで北越さん追い回してたんだよ?」
 サンダーバードはしらさぎの隣に立つと、北越が姿を消した方向を眺めた。まっすぐに伸びたあの背中は既に見えない。代わりに駅の構内には通勤や通学の学生の姿が目立ち始めていた。
 見ていたのか、と言うと、サンダーバードは悪びれた様子も無く頷いた。
「なんか、珍しいなと思ってさ」
「いや、別に理由は無いけど……」
「なんだよそれ、気持ち悪いな」
「同じ事言われたよ、北越さんにも。私としては他愛ない雑談がしたかっただけなんだけど」
 そう言うと、サンダーバードはふうん、と気のない返事をした。それは、しらさぎの言う事など信じてないということを暗に伝えている。
「変に気を遣うのやめとけよ。北越さんが寂しそうってのは分かるけど……おやっさんがいなくなってから、もうすぐ一年だ。そんなに引きずってもないだろ」
「君は当事者でないから分からないんだよ。北越さんが心を閉ざした理由が。たとえば、三年後はくたかが引退したら君は北越さんと同じようになると思うけどね」
 表面上は何事も無く業務をこなせていたとしても、内心深い喪失感を抱えたままになるだろう。北越さんはさすがにキャリアが長いだけあって、その辺は周りに悟らせること無く振る舞っていたけれど、時折見せるぼんやりした表情には、大切な人を失った事の悲しみが滲んでいた。それをしらさぎは何度か見ていたのだ。
 サンダーバードは言葉に詰まる。夏にはくたかに告白したものの、あれから何の進展も無いのだ。だが、北陸新幹線の工事は着々と進行しており、数日前には誰が北陸新幹線の列車にふさわしいか、という話し合いが持たれたらしい。
 いつか来るだろう未来を想像したサンダーバードは表情を曇らせる。それを見たしらさぎは、サンダーバードの肩を叩くと、
「ただでさえおやっさんがいなくなってみんな寂しいんだ、年度の頭の時みたいに、北越さんが金沢に寄りつかなくなったりしたら困るだろ。だから、少しでも雑談して、気が紛れればいいなと思ってね。もちろん、なじみの同僚がいる新潟に比べたら、金沢は居心地が悪いかも知れないけれど」
「……そうだな。ま、いいんじゃねえの?」
 サンダーバードにも思うところがあったのだろう、しらさぎの言葉を否定することはしなかった。
「オレたちじゃ雷鳥のおやっさんの代わりにはなれないけど、まだまだ手の掛かる後輩が三人、ここにいると思ってもらえばさ。あの人なんだかんだで優しいから、放ってはおけないだろ?」
「……サンダーバード、君のその案も相当だと思うけど。でも、まあ、いいか」
 しらさぎは自分自身を納得させるように一つ頷いた。北越が金沢に来る理由の一つに、自分たちがなれればいい。後何年一緒にいられるかは分からないけれど、北越は二人にとって、いやはくたかも含めた三人にとって、偉大な先輩の一人なのだ。
「もう少し時間あるなら休憩室行こうぜ。あの人多分そこにいるから」
「うん、そうだね」
 互いに頷いて、しらさぎとサンダーバードは休憩室に向かう。外では降り続いた雪が一旦止んで、雲の切れ間から太陽の光が辺りを眩しいくらいに明るく照らしていた。
 いつか、この冬の日の日差しのように、北越の心に光が差し込んで、寂しさを紛らわせてくれますように。しらさぎはこっそり、そう願った。