Hello,GoodBye.その後の小話
※この話は同人誌として発表した「Hello,GoodBye.」のその後の話です。
当サイトの一連の作品は、今私たちが過ごしている世界のパラレルワールドとして書いています。
そのため、この作品の世界では、実際には取りやめになった雷鳥の式典などが予定通り行われた事になっています。
その点あらかじめご了承下さい。
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金沢から彼の姿が消えてから、もう二ヶ月が経とうとしている。
廊下を大声で笑いながら歩いていても、サンダーバードを怒鳴る人はいなくなった。休憩室で騒いでいても、誰も何も言わない。多少眉をひそめて見せるだけで、直接何か言われることはない。
静かになったな、というのが第一印象だった。
ダイヤ改正からゴールデンウィークまでの間は瞬く間に過ぎて行った。臨時列車の手配やそれ用のスジを覚えたりなど、やることは多かったから、寂しいだなんて思う暇もなかった。
大阪では新しい駅舎が完成して、多くの人で連日賑わいを見せていた。サンダーバードはまだ中を見に行ったことはなかったが、暫く経って落ち着いた頃に見に行こうと思いながら、ホームからその頭上に掛けられたドームを見上げた。すっかり春になったと光の眩しさに目を細める。
「おやっさん、今頃何してるんだろうな」
引退した特急は、普通の人として生きる。彼らに掛けられた魔法は解かれて、それまで感じていた事ーー車両が走るときに空気を切る感じや、気温、車両の傷みや不具合などだーーは一切分からなくなる。車両の状態に左右されていた外見も、その後は徐々に年相応になるのだと聞いた事がある。
金沢にはもう来てくれないのだろうか。以前は今までと関わりの深くない場所へ移住することを定められていたようだが、民営化後にその決まりは無くなったと聞いた。あれは、雷鳥の同期だった先代のしらさぎが引退したときだったはずだ。
だから、雷鳥にも金沢に住むという選択肢があったはずなのに、それを選ばなかった。廃止の翌日朝には、宿舎を出てどこかへ姿を消してしまったのだ。引退当日の盛大な祝典と、その後で行われた送別会の余韻などみじんも感じさせること無く、後に残る特急達に一通ずつの手紙を残して、姿を消した。
もちろん、金沢からどの方面へ行く場合でも電車に乗らなければならないから、運転士や駅員に訊ねれば雷鳥の足取りはある程度つかめるに違いない。だが、それをするつもりは、サンダーバードにはなかった。
サンダーバードと名の記された一通の手紙。それは、しらさぎやはくたかに宛てられたものよりも長かった。お前がここに来た時に、扱いに困ったこと、傍若無人な振る舞いに毎日頭を痛めていたこと。ここ最近は急に大人になったということ。
後継者を十年以上に渡って面倒を見ることになるなど思いもしなかったと、手紙の中で雷鳥が笑っていた。普通は、しらさぎのように半年ほどか、長くても数年で車両の置き換えが終わる。だが、雷鳥とサンダーバードはおよそ十六年もの間一緒に走ってきたのだ。まだ「サンダーバード」という名さえ無い頃から、ずっと。
手紙には、どうしてこんな事まで覚えてるんだよ、というような内容まで記されていた。サンダーバードすら忘れていたというのに。
『手の掛かるやつほど可愛いもんだ』そう綴られた言葉を読んだときに、不意に視界が滲んだ。
自分は、雷鳥にとって決してよい後輩、よい後継者では無かったと思う。何もかも気に入らず、反発ばかりして困らせたことなど両手の指を何度折っても足りないくらいだ。
それでも、そんなサンダーバードを諦める事無く根気よく指導してくれた雷鳥がいたからこそ、今の自分があるのだと、雷鳥を失ってようやく分かった。そして、同時にもう少し早く気づけば良かったと後悔もした。
多客期の忙しさが落ち着いて、一息吐いた頃に、ようやく「寂しい」という感情がサンダーバードの心にわき上がってきていた。
雷鳥は半世紀に僅か足りないほどの時間を、この北陸本線で生きてきた特急だ。対してサンダーバードはまだ十六年。雷鳥ほど長く走っていられるかどうかは分からない。着々と建設が進んでいる北陸新幹線が北陸から「特急」と呼ばれる存在を絶やす日がいつか来るだろう。
だが、その日が来るまでは、サンダーバードは走り続けたいと思った。先代であり、人生の先輩でもあり、そして父のような存在だった「雷鳥」の名と、北陸の特急の代表という立場に恥じないようになりたいと。
いつか雷鳥が再び金沢にやって来たときに、幻滅させたくはない。その思いを胸に、サンダーバードは今日も走る。多くの乗客を乗せて。