485系にまつわるエトセトラ(北陸本専5での無料配布冊子より)


 金沢駅のホームに見慣れぬ列車が滑り込んできた。形は雷鳥が使う485系と似ているが、その装いは全くと言っていいほど異なる。まず前面が鮮やかなエメラルドグリーンで塗りつぶされ、列車の名を表すヘッドマーク部分は幕ではなく電光掲示となっている。車体の塗装もおおよそ雷鳥が使い慣れた物とは似ても似つかなかったが、唯一、前面のエメラルドグリーンと、車体側面に塗られた青だけは見覚えがあった。
「おおーい、雷鳥!」
 その列車の一番後方、富山寄りの車両から降りてきたのは北越だ。手を上げてこちらに向かって歩いてくる。やっぱり、と溜息を吐きたくなるのを堪えて、北越が近づいてくるや否や、がしっとその肩を掴むと盛大に揺さぶった。
「どうしたんだお前!」
 痛い痛いと顔をしかめた北越が、雷鳥の手をパシリと叩いた。そして、雷鳥がどうして驚いているのか分からないといった表情で首を傾げる。
「何が?」
「何がって、この車両だよ。一体どうしてこんな事に」
「こんな事って言われても。リニューアルしたんだよ。椅子も座り心地良い物に取り替えたし、方向幕だってLED表示だ。最先端だろ?これで君たちが新しく用意する車両にも引けを取らないつもりだよ」
「へ?」
 今度は雷鳥がぽかんとする。北越は分かってないなあと溜息を吐いて、隣に停車している車両をこんこん、と軽く叩いて見せた。
「これ、今度新しく来るはくたかにプレゼントだよ。と言っても、貸し出すだけだけど」
「お前、これをはくたかに?」
 雷鳥が発した「信じられない」という言葉が一体どこに掛かるのか、少し引っかかったが、北越は敢えて聞き流す事にした。
「いいじゃない。うちは走行区間が短いから新車は用意できないけど、代わりに盛大にリニューアルした車両を使って下さいってわけ。それに、君たちだって新車は用意するけど、まだ全てのダイヤに使えるだけの数は用意できないんだろ?それなら有り難がられこそすれ、貶される覚えはこれっぽっちも無いんだけどな」
「うっ……」
 北越が言うことは正しかった。ほくほく線の開業と共に、金沢と越後湯沢の間を高速運転出来る車両を走らせる、というのが当初の予定だったが、予算的な問題もあり、車両が揃うまでは雷鳥たちが普段使っている485系などを使って運転することになっていた。
 それに、いくら線形が良いとはいえ、在来線ではなし得たことのない百六十キロという速度で営業運転を行うにはリスクが伴う。まずは百三十キロ辺りから運転を始めて、徐々に速度を上げていくというのが、今度新しく走ることになった「はくたか」の計画だった。
「本当の高速運転が始まるまでにはまだ時間が掛かる。それなら、この車両だって十分だ。君たちの所みたいに塗装を変えただけじゃなくて、こっちは内装まで変えたんだから感謝して欲しいくらいだよ」
「す、すまない」
 はくたかが走り始めるまでに車両を揃えられない事については、雷鳥も相当気にしていて、それ故に北越の言葉に反論することが出来なかった。
「か、カラーリングは置いておくとしても、見た感じはわしたちが使ってる485系には見えないし、良いんじゃないか」
「最初からそう言いなよ」
 ばしん、と北越が雷鳥の背中を叩いた。痛っ、と目尻に涙を浮かべていると、ほら、ここを見て、と北越が先頭車両の横を指差した。
 そこには、見慣れぬレリーフが付いていた。以前、所属がまだ国鉄だった時代は、JNRのマークが描かれていた場所だ。
「これは」
「はくたか、だからね。ちょっと安易かとは思ったけど、翼のマークを入れておいた。基本ははくたかの運用に使ってもらうけど、ほくほく線開業までの間や、開いた時間は私や新潟に来る雷鳥が使うことになると思う」
「北越、お前……」
「な、なんだよ」
「いや、てっきりはくたかのことは歓迎していないと思っていたから、お前がここまでしてくれるとは思ってなかった。すまん」
 雷鳥は北越に向かって頭を下げた。驚いたのは北越の方だ。何してるの、と雷鳥に顔を上げるように言う。
「……そりゃせっかく増えたスジは奪われるし良いこと無いけど、私だって昔の自分とは違うよ。それに、新しいはくたかには何の罪もないしね。それよりそっちは白山を何とかしないとまずいんじゃないの」
「白山?どうして」
「この前、はくたかは先輩しか認めませんって息巻いてたじゃない」
 北越に言われて雷鳥も思い出したのか、そうだったと盛大に溜息を吐いた。
「どうしようもないなあ。あいつはここに来たときから前のはくたかの事を先輩先輩って慕ってたからな……複雑な気持ちも分かるけどさ」
「君も白山の事言えないしね」
「そ、そんなこと無いぞ」
「またまた、無理しちゃって」
 そんなこと無い、いやある、と不毛なやり取りを繰り返していると、隣のホームから二人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「おおーい、雷鳥、北越。何してるの?」
 こちらに向かって手を振ってるのは、名古屋から帰ってきたしらさぎだった。
「雑談してるだけだー」
 少し大きめの声でそう雷鳥が言い返すと、しらさぎは笑って、
「ちょっと待ってて!」
 そう言うや否や傍にあった階段を駆け下りていった。そして、一分もしないうちに今度は雷鳥と北越がいるホームの階段から姿を現す。
「走ってこなくても良かったのに」
「そうだ。それにお客さんにぶつかったら大変だろ」
「大丈夫。空いてたし。で、何の話?さっきからこの派手な列車が気になって仕方なかったんだけど」
 しらさぎが指差した先は、やはり北越が持ってきたこのリニューアル車だ。
「北越が、今度運転を開始するはくたかの為に貸してくれるんだと」
「へえ!斬新でいいねえ。ほら、ヘッドマークがLEDだよ!」
 いいなあとしきりに褒めるしらさぎに、北越もまんざらでない様子だった。それを見ていた雷鳥が、もしかしてこの改造をおかしいと思う自分の方がおかしいのではないか、という錯覚に襲われる。
 そんな雷鳥の横で、北越がしらさぎにも翼のレリーフの話をしていた。いいねと喜ぶしらさぎを見ていると、そう見えてくるから不思議だ。いや、そもそも雷鳥はレリーフを良くないと思っていたわけではないのだが。
「これでいつはくたかが走り始めても大丈夫だね!こっちも早く車両を整えないと」
「そ、そうだな」
 しらさぎの勢いに圧倒されながら、雷鳥は再度その車両を見た。よく見れば今までの国鉄色をした485系とは違って新車のようにも見えるし。最初は驚いたカラーリングも見慣れてしまえばこんなものだと思えるような気さえしてきた。何より、北越の心遣いが嬉しい。
「で、これをどうするんだ?」
「これから雷鳥に貸すから、ちょっと大阪まで行ってきてよ」
 思わず耳を疑った。が、北越は確かに「これから」「この列車で」「大阪まで行け」と言った気がする。
 事態が飲み込めず黙っていると、間髪入れずにしらさぎが北越に賛同した。
「いいね!大阪方面にもはくたかをアピールする良い機会になるよ」
「ちょ、ちょっと待て。はくたかの車両だろう?それを今から乗っていけってそれどういう」
「言ったじゃない。間合いは私か君が使うことになる、って。丁度良い機会だから、ひとっ走りしてきなよ」
 大事に使ってよね、という北越の言葉が何処か薄ら寒く聞こえるのは気のせいか。雷鳥はしらさぎに助けを求めようとそちらを見たが、こんなときに限ってしらさぎは普段の察しの良さを全く発揮してくれなかった。むしろ雷鳥の方など見ようともしていない。
 そう言えば、確か後十分ほどすれば、金沢始発、大阪行きの雷鳥が出発する。そして今日の朝、上司から車両変更がある旨を伝えられていた。もしかして、これは最初から仕組まれていた、否、決まっていた事だというのか。
 だとすれば、しらさぎから助けが出るはずもない。しらさぎは滅多なことがない限り上からの決定を覆す様な事に賛成しないからだ。
「気をつけて行ってきてねー」
 満面の笑みを浮かべる北越としらさぎを前にして、雷鳥は一気に身体から力が抜けていくような感覚に襲われた。しかし、今の雷鳥に選択肢などない。
「……行ってきます」
 結局、その目立つ列車で、雷鳥は金沢と大阪の間を一往復するハメになったのだった。