かりもの


「頼むよサンダーバード。君なら車両余ってるでしょ」
 逃げるように足早に歩くサンダーバードの後ろを、しらさぎが同じ速度でついてくる。そして呪いのように口にするのは、車両を一編成貸して、という言葉だ。
 ホームまでついてきたしらさぎに痺れを切らしたサンダーバードは、ようやく足を止めてしらさぎの方に振り返る。
「お、とうとう貸してくれる気になった?」
「お前なあ、こっちだって車両余ってねえよ!おやっさんが本数減らしてるからギリギリなんだって、知ってるだろ?ほら見ろよ、あの車両なんか塗装がはがれたってのに修理する時間もないんだぞ」
 そう言ってサンダーバードが指差した方を見れば、大阪から戻ってきた車両が停車していた。が、よく見れば、客席のガラス窓の上に大きな黒いものがくっついている。
「何あれ」
「だから、塗装がはがれたんだって」
「何したの君」
「何もしてないよ!気が付いたらああなってたの。本当は松任に送って塗装し直してやりたいんだけどさ。さっきも言っただろ。オレだって忙しいの」
「それは時間がないんじゃなくて本社の費用がないだけのような気がするけどね……そもそもどうしたらあんな風にはがれるのか分からないな」
「だからお前に貸す車両はない!」
「何ならアレで良いよ。あのはがれてる車両で。贅沢言わないから」
「お前人の話聞いてないだろ!あーもう!」
 煩いな、と叫びそうになったところに、二人ともどうしたの、と言いながらはくたかが近づいてくるのが見えた。その時の二人の反応は正反対で、サンダーバードはまずい、と顔をしかめ、しらさぎは味方を得たと言わんばかりの満面の笑みではくたかを迎える。
「あんまり大声で喧嘩してると、お客さんが驚くじゃないか」
「喧嘩じゃないよはくたか。私がサンダーバードにちょっとしたお願いをしていただけだよ」
「何がちょっとしたお願いだよ。全然ちょっとしてねえよ」
 そう悪態を吐きつつも、サンダーバードの声に先ほどまでの勢いはない。これはもう一押しだ、としらさぎは内心ほくそ笑む。
「しらさぎがサンダーバードに頼み事なんて珍しいね。どうしたの一体」
「それが、明後日からの連休中、臨時列車に使う車両が一編成足りないことが分かってね……サンダーバードに車両を貸して欲しいって頼んでいたんだ。それなのにサンダーバードったら、全く聞く耳を持ってくれなくて……私はもうどうしたらいいのかと」
 役者なしらさぎは、おいおいと泣く真似までして見せた。単純な性格のはくたかは、それは困ったねと言いながら、サンダーバードの方を見た。
「サンダーバード、貸してあげられないの?」
「ちょ、はくたかまで!」
 はくたかは単に困っているしらさぎを助けてあげてほしい、そういう意味でサンダーバードに言ったのだろう。他意はないはずだ。だが、はくたかに対して少なからず仲間以上の感情を抱いているサンダーバードには、痛恨のダメージだった。そんな困った顔で言われたら、駄目だと断れる筈がない。
「……うっ、べ、別に、一編成くらい、なら……何とか」
「本当に!!有り難うサンダーバード。やっぱり君って仲間思いのいいヤツだな!それでこそ新しいリーダーだよ!」
 サンダーバードが渋々ながら頷いた途端、先ほどまですっかり肩を落としていたしらさぎが、勢いよく前に飛び出してきたと思ったら、両手を握られてブンブンと大きく縦に振り回されていた。横でははくたかがよかったねえと二人を見ながら微笑んでいる。その時初めて、サンダーバードはしらさぎにハメられたということに気付いたのだが、既に後の祭りである。今更「やっぱり無理」など言えるはずもない。
「……ちくしょう……」
 二人に聞こえないよう、こっそりと溜息と悪態を吐き出した。運用変更を指令に告げに行けば、原因がしらさぎにあろうと、確実に自分が怒られる。それを考えただけで酷く憂鬱な気分になった。
 そして、自分の先を歩くしらさぎに追いつくと、後ろからこっそり、
「甘いもの。買ってこいよな。オレと、はくたかの分と」
「……はいはい。分かってますよ」


 そして、三連休最終日。
「あれー、今日は何か違う車両じゃね?」
 米原駅に列車を止めて接続客を待っていると、ホームを隔てる窓越しにこだまに声を掛けられた。
「今日は借り物なんです」
「おお、何処かで見たことあるなあと思ったら、新大阪でよく見るヤツだ。何だ、同僚に借りてきたのか」
「色々ありまして。うちで一番新しい車両ですよ。私が普段使っているものよりもね」
 結局散々文句を言ったサンダーバードが貸してくれたのは、彼が使っている中でも最新の車両だった。無理を言って借りた手前、この前ホームで見た、あの塗装が剥げ落ちた車両で良いのだと譲歩したが、すべての車両が683系に置き換えられているしらさぎに、681系を充てるのはまずいだろうという上の判断だったらしい。それに、どうやらしらさぎの上司も、サンダーバードの上司に掛け合っていたようだった。
 デッドラインギリギリのお願いだったにしては、その後の動きがあまりにスムーズで驚いていたのだ。種明かしをされてみれば、何てことはない話で、それならばさっさと上だけで片付けて置いてくれれば良かったのにという不満が残った。
 サンダーバードには無理を言って悪かったと思ったので、名古屋で洋菓子も調達してきたのだ。巻き込んでしまったはくたかと三人で食べようと、こっそり車内販売のベースに置かせてもらっている。
「そういえば、雪の遅延は大丈夫なんですか。関ヶ原辺りはかなりの雪でしたけど」
「ああ。まあな。のぞみは相変わらずイライラしてるよ。それに、この辺だって十分酷いだろ」
「数週間前のアレに比べれば、全然ですよ」
 溜息混じりにアレ、というのは、一月の終わりに突然の豪雪に見舞われて、上りと下りの列車を敦賀で足止めしてしまった時の事だ。しかも、乗客を乗せたままだったから、あの時の事を考えるだけで情けなさと申し訳なさで叫び出しそうになる。
 そしてその事は、ここにいるこだまも知っている事だった。彼等に接続する列車が来ないわけだから、あちらも困っただろう。
「そりゃ、違いない」
 顔を見合わせて肩を竦めると、ひかりからの乗換客がホームに至る階段を下りてくるのが見えた。そろそろ出発時間だ。
 構内には車両が違うことと、それに伴い乗降口が変更になっている旨の案内が繰り返し流れている。それを聞きながら、偶には人の車両を借りるのも新鮮だが、もうしばらくは借りたくないな、と思った。サンダーバードを始めとして、駅員や指令など周りへの影響が大きいし、何より借り物の新品車両とあっては普段以上に気を遣う。
「気をつけてな。途中で埋まるなよ」
「そちらこそ」
 こだまに手を振って、しらさぎも車内に乗り込んだ。辺りはすっかり暗い。先頭車のライトを付けて、しらさぎ、と表示したサンダーバードの車両は、ゆっくりと米原駅を後にした。