雷鳥と北越


 暇になった、と雷鳥はぼやいた。北越はぐるりと辺りを見回し、他に誰もいない事を確認すると、軽く溜息を吐いた。どうやら自分はこの雷鳥のぼやきに対して返事をしなければならないらしい。放置することも出来るが、そうなると後々文句を言われかねなかった。そちらの方が被害は大きくなる。
「……運転本数が減ったんだから仕方ないでしょう」
「だってなあ、それまで十往復近くあったのが五往復になって、すぐに一往復だぞ?それだったらいっそ最初から一往復にしてくれたら良かったのに」
「一気に暇になると落ち込むだろうって上からの配慮でしょ。……まあ本当のところはサンダーバードの車両配備までの時間稼ぎだって大体想像がつくけど」
 北越はそれだけ言って、再び読んでいた雑誌に目を落とした。雷鳥はまだ何か言いたげだったけれど、それ以上言葉を発さず、むう、とか変なうめき声を二度ほどあげた後は、黙ってテレビを見ていた。
 相変わらず毎日往復五本運用が揺るがない北越は、一気に自分より暇になってしまった同僚の姿を見て、自分もいずれはそうなるのか、と少し憂鬱な気持ちになった。今の雷鳥の姿は、一般社会で言うところの窓際族、それに似ている。
 近々サンダーバードに対してリーダーへの任命式がある予定となっていた。新型車両も続々と増えて、既に大阪方面の殆どがサンダーバードとなった今、リーダーを譲るのは自然な流れだ。が、この北陸本線に専用車両と共に登場してから、雷鳥が四十六年間ずっと背負ってきた「北陸を代表する特急」の看板を下ろさなければならないことが、寂しくないと言えば嘘になる。それは雷鳥自身はもちろん、北越も同じ気持ちだった。
「……任命式、どうするの?」
「あぁ?」
 雷鳥が北越の声に反応してこちらを振り向いた。
「サンダーバードにリーダー譲るんでしょう?式の準備、そろそろしないと」
「……そうだな。いっちょ派手にやるか!どどーんとな!」
「派手にって……経費削減のご時世だからどうかな。経費で落とせないんじゃないの」
 特にそっちは、という北越の言葉に雷鳥は表情を曇らせる。雷鳥が所属する西日本の経営状況が芳しくない事は周知の事実だ。だからこそ、雷鳥が使っているような、古い車両を引退させ、乗り心地の良いサンダーバードの車両を増やして乗車率アップを図りたいのだろう。
「お前なあ、わしの気持ちに水を差すようなこと言うなよ」
 しかし、あいつにリーダーが勤まるのかねぇ、と首を傾げる雷鳥は、最近めっきり頼もしくなってきたサンダーバードを見て嬉しそうな顔をしていることを北越は知っていた。口では悪く言いながらも、心ではちゃんと認めているのだ。自分の後継者のことを。
「私も優秀な後継者が欲しいよ。早く引退したい」
「何でだよ。走ることを許されている間は走れよ、勿体ない」
「だって、君が引退したら弄る相手がいなくなるじゃない」
 その言葉を聞いた途端、雷鳥が盛大にしかめっ面をした。ふふふ、と北越が笑う。
「……まあ、長くても後四年だと思ってるけどね。”あれ”が来たら嫌でも引退でしょ」
「北陸新幹線、か……お前は覚悟が出来てるかもしれないけどな、わしははくたかが心配だ」
 ここでもはくたかか、と変わらない雷鳥に北越は苦笑するしかない。もちろん雷鳥も北越も、はくたかが同じ名前を持っていた彼とは違うことを分かっている。分かっているが、同じ名前というものはなかなか厄介で、つい複雑だった心境が蘇ってくる。
「暇なりに三月まで頑張りなさいよ。夏には臨時もあるんでしょ」
「おう。最後の夏かも知れないからな、張り切るぞ」
 意気込む雷鳥を尻目に立ち上がった北越は、プラスチックのカップに茶を注いで、雷鳥の前に置いた。
「何だよ、気持ち悪いな」
「餞別」
「まだ早い」
「なに、すぐだよ、きっとね」
 梅雨前の青空を窓越しに見上げ、北越は手にしたカップの茶を一口、口に含んだ。そして、口に出かかった寂しいという気持ちを茶と一緒に飲み込んでしまった。