わかっているのに


「サンダーバード」
 呼ばれて振り返ると、そこには雷鳥がいた。一線を退き、サンダーバードにその路線を譲った老兵。しかしまだ現役としてサンダーバードと同じ路線を走っている。
「何だよ、おやっさん」
 嫌な予感がする。サンダーバードは手にした時刻表を机の上に戻すと、雷鳥の方へ向き直った。確かな足取りでサンダーバードの側に近づいてきた雷鳥は、じっとその目を見つめ、口を開いた。
「お前、はくたかに何か言ったのか」
 はくたか。まさかその名前が雷鳥の口から出るとは思わず、サンダーバードは思わず眉根を寄せた。
「……それがあんたになんか関係あるの?」
「北越がな、遅れながら走っているのを見たと言っていた。生真面目なはくたかが遅れるのは珍しい。どうせまたお前が変なことを吹き込んだんだろうこの馬鹿者が!」
 反論の余地無く、ごん、と持った杖で殴られた。さすが年季の入った杖は違う。重さが半端無い。
「いてっ」
 目から星が飛び出たような気がした。目に涙を滲ませながら殴られた所を手で撫でていると、雷鳥がじっとこちらを睨んでいる。どうやら隠し事は出来そうもない、そんな雰囲気だ。
「……やめろ、って言ったんだよ。あいつ、身分違いにも程があるっての」
「はくたかだってそんなことくらい分かっているだろうが」
「だって!泣くのはあいつなんだぜ!?」
 東の新幹線なんか、例え告白したところで良いように弄ばれて捨てられるんだ、と吐き捨てるように口にしたのは、理由があってのことだ。
「オレは、あいつが泣くのを見たくないんだよ」
「……サンダーバード……だが、はくたかは」
「知ってる。後十年も一緒に走れない、だろ?」
 雷鳥は沈痛な面持ちで頷いた。
 サンダーバードだって知っている。富山から金沢、もしくはその逆を走っていると、嫌でも目に飛び込んでくるのは、新幹線用として造られた高架橋。それらはまだ繋がっていないけれど、着々と工事が進められているのは嫌でも分かる。
 はくたかが居なくなって、代わりに東の新幹線がやってくる。サンダーバードはそれが気に入らないのだ。
「あいつは、毎日それを見て走ってるんだ……何も言わないけどな。そんなあいつの心の支えになっているのが、上越新幹線だってのも、知っている」
「ならば、何故」
「言っただろ?オレは、あいつが泣く所を見たくないって」
 雷鳥に背を向けて、サンダーバードは窓の外を見た。日本海に夕日が沈んでいく。その光が室内にも差し込み、辺りをオレンジ色に染めていた。
「サンダーバード……」
「……放っておけなくてさ……だから、言ったの。馬鹿だよな、って」
「それでは、お前が憎まれ役になるだけだ」
「分かってるよ、それくらい。でも、手放しで応援出来るわけないだろ」
 それ以上、サンダーバードが言うべき言葉は無かった。口を噤んで窓の外を眺めるだけだ。微かに、誰かが線路を走っていく音が聞こえる。
 黙ってしまった若き後継者を、雷鳥は寂しげな表情で見つめていたが、そのうち踵を返すと部屋から出て行った。部屋のドアを閉める間際、もうじき次の発車時間だぞ、とだけ言い残して。
 一人残されたサンダーバードは、溜息を一つ吐き出した。くそじじい、と。
 握りしめた手を机に押しつける。馬鹿なのは自分だ。あんな事を言ったってはくたかの気持ちが変わるはずがないことくらい分かりきっていたはずだ。
 何より、好きなのに、何一つ行動に移すことが出来ない臆病な自分に腹が立った。

***

 金沢駅のホームは出張帰りの客でごった返していた。
 はくたかは、その日越後湯沢へ行く最後の運転となる。乗客が乗り込むのを確認しながら、ふと、向かいのホームに止まっているサンダーバードに気づいた。手を振ると、サンダーバードもそれに気づいて手を振り返してきた。
 ざわめきにかき消されないよう、少し大きな声で名前を呼ぶ。サンダーバード、と。
「今から?」
「そ、今から大阪まで」
「俺も、越後湯沢まで」
 方向幕をくるくる回しながら、どこか嬉しそうに言うはくたかを見て、サンダーバードは少し胸が痛んだ。
「気をつけてな」
 遅れていた事には触れず、ただそれだけ言うと、はくたかはにこりと笑って、
「お前も」
 じゃあ、俺の方が先だから、と扉を閉めたはくたかが、先にホームから出て行く。その姿が見えなくなるまで見送って、サンダーバードも駅を後にした。
 こんな他愛ないやりとりが出来るのも、後十年無い。今まで十年先の事なんて考えたことも無かったのに、いざ目の前に期限が突きつけられると、それはとても短く感じられた。
 はくたかがいなくなる前に、オレは自分の気持ちを伝えられるだろうか、と考えながら、日が沈み暗くなった中をサンダーバードは走っていく。西を目指して。