さようなら、夢の超特急


 本当は同じ日に生まれるはずだった。
 国鉄初の新幹線と、単なる在来線特急の一つでしかない自分とでは立場的にも大きな違いがあったし、なによりあちらは国民の期待を一身に背負った存在だった。それでも自分だって、日本で初めて、交流電化区間と直流電化区間を走行できる新型車両での新設だったのだ。
 ……結局その新型車両の導入がずれ込んで、実際の運転は二ヶ月以上遅れた十二月二十五日になったのだが。
 そんなこともあったなあ、と窓の外を眺めながら雷鳥はぼんやり考えていた。

***

「……さん、おやっさん!ちょっと、どうしたんだよ??」
「ん?ああ、サンダーバードか。なんか用か?」
「なんか用か、じゃねぇよ。ぼんやりしてるし、声掛けても全然気づかないし!気持ち悪いな」
「気持ち悪いは余計だこの馬鹿が」
 ごちん、といつもの癖でサンダーバードの頭を持っていた杖で殴りそうになって、はっとその手を止めた。半分持ち上げた杖をすっと下ろした雷鳥を見て、サンダーバードはますます怪訝な顔をする。
「本当にどうしたんだよ。何処か具合でも悪いのか?」
「……何でもない。気にするな。それよりおまえ、こんな所油売ってる暇あるのか?」
「休・憩・中!!」
 わざと区切ってその事をアピールするサンダーバードに、そんならさっさと休んどけ、と言って、再び雷鳥は窓の外に視線を戻した。
 晩秋の夕暮れは早い。まだ四時頃だというのに既に日は傾き、日本海に沈もうとしている。今日は全国的に良い天気らしい。晴れて良かったと内心呟いた。
 今頃あいつは大勢の人に見送られながら、終点の博多に向かって走っているはずだ。特別なイベントは後数回残っているらしいけれど、通常の業務は今日で終了となる。
 最後の日、あいつは何を思って走るのだろうか、と雷鳥は考える。そして、自分も。
 来月の最終運転と時を同じくして、雷鳥に置き換えられるという新しい車両が金沢にやって来る。いよいよ自分にも最後の時が迫っているのだと実感しながら、寂しさと、ようやくという気持ちが複雑に入り交っていた。
「形あるものはいつか必ず終わりがやって来るもんだなあ」
「へ?何言ってるんだ突然」
 雷鳥が零した言葉にサンダーバードが反応したが、それに答えることなく雷鳥は口を噤んだ。
 脳裏に過ぎるのは、寒い寒い日の事。今で言うクリスマスの日に、日本で初めて直流電化区間と交流電化区間の双方を走行できる車両の運転が開始された。その車両を使用する初めての特急に選ばれたのが、雷鳥と、今は無き同期のしらさぎだった。
 雷鳥は大阪と北陸地方を、しらさぎは名古屋と北陸地方をそれぞれ結ぶ。本当は東海道新幹線の開業と共に運転を開始する予定だったのだが、車両の作成が間に合わず二ヶ月ほど遅れた。それでも、心の内では彼らと同期だった。新幹線達がどう思っていたかは知らないが。
 あれから四十四年。ひかりとこだまは次々と身体を変え、0系と呼ばれたあの頃の身体は殆どが廃車となり、山陽区間で僅かに走るのみとなっていた。同じ時代を走ってきた雷鳥の身体もマイナーチェンジこそあったが、最盛期と比べればがくりと台数を減らしていたし、同じ身体を使っていたしらさぎは既にいない。まだ全国では同じ形の車両が活躍していると聞くが、雷鳥と同じ国鉄色を纏っている者はどれだけいるか。
 また一つ、自分たちの時代が終わるのだと思うと溜息が出た。が、運命を嘆いても仕方がないし、自分たちが居なくなっても鉄道が無くなるわけではない。代わりにサンダーバードやはくたか、新型のしらさぎなど若者が活躍してくれればいい。この北陸の地に鉄道が存在し続ける限り、地元の民の足となれるように。
「……そういやさ、今日、引退だろ?行かなくて良かったのかよ」
 ぼそりとサンダーバードが呟いた。その言葉に、何だお前知っていたのかとサンダーバードの方を振り返ると、当たり前だろうと言い返された。
「俺だって、新大阪駅通ってるし。それに、金沢駅にだってポスター貼ってある」
「そうだったか?」
 もちろん知っていたのだが、わざととぼけてみせると、サンダーバードは信じられないという顔をした。
「そうだよ!飾ってあるよ!大体、同期なんだろ……その、0系と、さ」
「よく知ってるじゃないか」
「だって自分で言ってた。同期になり損ねた同期だって」
 この前の飲み会で、と言われて、そんな話もしたかと思い返してみるが、簡単には記憶は戻らなかった。最近は酔ってしまった後では何を話しているか分からんなあ、と内心苦笑しながら、
「わしが思ってるだけかもしれんがな。それに、同期と言っても、わしもしらさぎも二ヶ月遅刻だ」
「二ヶ月遅刻?」
「車両が間に合わなかったんだよ。だから実際に運転を開始したのは、0系が走り始めてから二ヶ月後だった」
 国鉄時代は時々あったことだと言えば、サンダーバードはへぇ、と変な顔をした。国鉄という響きになじみがない世代なのだ。何せ、彼らがやって来た頃は既に国鉄という組織は無く、雷鳥たちの話を聞いてようやく、そういう組織があったのだ、と知る程度なのだから。
「0系さんも、西日本だろ?」
「やつは東海区間も走っていたよ。まだわしと同期のしらさぎがいた頃だ」
「じゃあずっと昔だ」
 自分がここに来たときの事を考えているのだろう。サンダーバードはソファーの背もたれに身体を預けて、天井を見上げながら月日を指折り数える。
「でも、それも今日で終わりだ」
「おやっさん……」
 壁に掛けてある大きな時計の針がカチリ、と音を立てて重なった。
「さて、行ってくるか」
「こんな時間からどこへ?」
「新大阪さ」
「マジで?大体もう0系さんはいないじゃないか」
 サンダーバードの呼び止める声に軽く手を挙げて答える。そんなこと分かっている、と。
 きっと今頃、0系は博多に着いた頃だ。いつもならば夜遅く新大阪に戻ってくるダイヤもあるのだが、営業運転最終日は博多からの折り返し運転はないという話だった。だから、もう彼は新大阪にはやってこない。次にやって来る時は、来月に予定されているさよなら運転の時だけだ。
「おやっさん!」
「うるさいぞ、サンダーバード。こんな時くらい放っておけ」
 少しきつい口調でそう言った後は、もう後ろは気に止めなかった。そのままホームに上がり、停車していた車両に乗り込んで新大阪へ向かう。休日の夕方だというのに、金沢からの乗客は少なかった。多くの人は新しい車両で、なおかつ乗車時間が短いサンダーバードを選ぶからだ。
 それは0系も同じだと言っていた。既にこだまとしてしか運用されなくなって久しく、こだまの中でも早朝と深夜にしか運転されなくなってからは、乗る人はめっきり減ったと。ただし、ここ数ヶ月は引退効果で乗車率も上がったと笑っていた。
 新しい車両がいくつも開発され、それらが数多く走っている山陽新幹線では、乗客も新しく早い車両を選んで乗る人が多いのだろう。その話を聞いたとき、何処も同じだなと思ったものだ。
 サンダーバードよりも多くの駅に止まりながら、ちらほらと乗客を乗せていく。それでもまだ自由席は余裕があった。
 福井駅を過ぎて暫く走ると北陸トンネルが近づいてくる。長い長いトンネルの中を力一杯走っていく。先頭車のライトがトンネルの壁面を照らしてそこだけがぽかりと浮かび上がっているようだ。気圧の変化の所為で耳が痛い。一日に何度も通っている道だがこればかりは慣れることがなかった。
 北陸トンネルを越えてしまえばもうそこは敦賀だった。程なく湖西線へと分岐し、東海道線を経由して新大阪まで走っていく。今日は湖西線の風も穏やかで速度規制が掛かるほどではなかった。左手に見える琵琶湖は真っ暗な水面に沿岸の明かりを僅かに映し出している。
 0系は何を考えながら最後の営業運転を走ったのだろう。今まで自分に乗ってくれた人の事か、運転士のことか、それとも過去の栄光か。日が沈み、ゆっくりと暗くなっていく線路の上を走っていく様子が目の前に浮かび、何とも言えない気持ちになった。

***

 新大阪駅に着いて、雷鳥は車両から降りた。次の大阪まで残り一駅の運転を運転士に任せて、走り去る車両を見送った後、ホームのエスカレーターを上がり、改札階へ向かう。
 改札階は多くの人でごった返していた。東京方面、博多方面双方の終電が近い時間だから、小走りに走る人が多く見られたが、それはいつもと変わらない光景だった。0系が立ち去って既に何時間も経過しているから、それ目当てでやって来た人は皆帰ってしまったのだろう。
 構内に並んだ土産物屋の前を通過し、新幹線改札の前へ。ここから先は雷鳥にとって全く縁のない場所だった。地面に敷かれた自分の線路から見上げることしか出来ない場所だ。この先に何があるのか知らないし、知りたいとも思っても一生知ることは出来ない。
 改札の前に立って、忙しなく自動改札を通過していく人たちを眺める。煙草を吸いたい、と思ったが、駅構内は禁煙だからとぐっと我慢した。
 そのうち土産物屋もシャッターが降り、辺りが急に静かになる。新たに改札へ入っていく人はおらず、新幹線が到着する度に人が降りてくるだけになった時、雷鳥は鎖をたぐり寄せて引き出した懐中時計を見た。もうすぐ、もうすぐだと自分に言い聞かせて、改札の奥に視線を向ける。
 0系はいつも、博多からやってくる最後のこだまの乗客と共に現れる。そのこだまの到着時間になったとき、多くの荷物を引きずっている乗客達の中にその姿を必死で探した。
 しかし、今日はその姿を見つけることは出来なかった。代わりに、見慣れない制服を纏った若者が目に付いた。きっと、彼がこれからこのスジを走る車両なのだろう。
 ……分かっている。もう彼が現れることはない事くらい、分かっている。それでも、自分の目できちんと確かめたかった。だから、新大阪まで来たのだ。
 気がつけば、既に乗客は在来線ホームや地下鉄の改札の向こうに消えて、新幹線改札の前は静けさを取り戻していた。その前に一人立ちつくした雷鳥は、諦めの悪い子供のようにそこに立ったままでいた。
 よう雷鳥、お前も歳を取ったな、と突然肩を叩いてくれるのではないか。期待が捨てきれずに未練がましく辺りを見回す。その時、ふと目に飛び込んできた、「さよなら、夢の超特急」という文字が不意に歪む。
 サンダーバードが言っていた、金沢駅にも貼ってあるポスターだった。夕焼けをバックに、走る0系の姿が描かれている。出来が良いと誰かが話しているのを聞いたことがあった。それに、0系自身も気に入っていたようだった。
 それを見たとき、ツン、と鼻の奥が痛んだ。
 最終の新幹線が到着し、電光掲示板から全ての列車の情報が消えたのを確認して、雷鳥はようやく踵を返した。人気の消えたターミナル駅はしん、と静まりかえり、まるで駅全体が静かに泣いている様だった。
 宿舎に戻っても眠れそうに無いから、適当な場所で飲んで時間をつぶすつもりで駅を出た雷鳥は、昔一度だけ0系と一緒に行ったことのある居酒屋へ向けて歩き出した。
 明日になれば、今までと何も変わらない一日になるはずだ。それでも、今日だけは感傷に浸っても良いだろう、と自分に言い訳をして、グラスを傾けることにした。