雨の日、駅で


 上でなにがあったのかは分からない。ただ、待てと言われれば待つしかない。

 雨が降る越後湯沢ではくたかはその時を待っていた。
 今日の東京はかなり暑いと聞いた。越後湯沢も今日は蒸し暑い。夕方から降り出した雨のせいだろう。じめじめと湿気を含んだ熱気が全身に纏わり付き、体力を奪っていく。耐えられない、と言うように身体の至る所から吹き出す汗を何度も拭った。
 混雑した車内では乗客が苛立ちを滲ませている。三連休を控えた金曜日の夜はいつもこうだ。指定席は全て売り切れ、自由席にも座れなかった乗客がデッキや通路で立っているのを見ると申し訳ない気持でいっぱいになる。
 立っている乗客だけではなく、座っている乗客だってそうだ。ここにいる誰もが思っている、早く出発しろ、と。はくたかだって出発したいのだ、だが上から待てと言われれば、はくたかには待つことしか出来なかった。

 予定の出発時間を十五分ほど過ぎた頃。
 目を閉じて、静かに出発の時を待ち続けるはくたかの肩に、何かが触れた。顔を上げれば、制服に身を包んだ運転士が目の前に立っている。
「行こう、はくたか」
「はい」
 運転席に乗り込もうとする運転士に続いて扉をくぐろうとしたとき、三階にあるホームから新幹線の警笛が聞こえた。その音に、ああ、ようやく走れる、と嬉しくなる。これ以上乗客を待たせずに済むという思いで胸が満たされていく。この時点で、既に二十分近い遅れが発生していた。
 遅れてやって来た「たにがわ」からの乗客が乗り込んだことを確認し、はくたかはゆっくりと走り出した。多くの乗客を乗せて、終点の福井を目指す。一日の中で一番長い運転距離だ。
 日が落ちて、すっかり暗くなった上越線からほくほく線へ。いつもなら在来線最速の百六十キロで駆け抜けるはずのそこは、ダイヤが乱れているせいで思うように走る事が出来ない。いつもはくたかを最優先で通してくれるはずの信号が、今日は容赦なく赤信号を点してはくたかの足を止めさせる。
 何度目かのすれ違い停車に僅かに苛立ちを感じていると、さっと横から濡れたタオルが差し出される。驚いて顔を上げると、車掌がにこりと微笑んでいた。
「どうぞ」
 その笑顔で今まで感じていた苛立ちがあっさりと掻き消された気がした。この車掌は心得ているのだろう。今日のような遅れ方は、決して珍しいものではないから。
 差し出されたタオルを受け取り、額に滲んだ汗を拭った。かすかに、高原の爽やかな風の匂いがした気がした。


 ほくほく線を抜けて直江津に着くと、普通電車がはくたかを待っていた。無線で連絡は受けていたが、やはり実際にその姿を見るまでは安心できない。そして、自分を待っていてくれたということが、無性に嬉しい。
 その普通列車の反対側、はくたかの止まるホームの隣には北越の姿があった。まさか、と思う。通常ダイヤなら接続どころかすれ違う事もない。とっくに直江津を通過している時間だ。運転士も北越との接続は聞いていないという。
 直江津駅のホームに滑り込んだはくたかと入れ違いに北越は出て行った。言葉を交わす暇すら無い、完全なすれ違いだったが、一瞬北越がこちらを見た。しかし、あっと思う間もなくその姿は目の前を通り過ぎていく。
「北越さん……」
 駅を出て行く北越の姿を目で追っていく。が、北越が振り返ることはなかった。
 そうこうしているうちに乗務員の交代も済み、再びはくたかも走り出す。暗い海を右手に、ただ目的地を目指して。


 混雑していた車内から徐々に人の姿が消え、立ち客で通路が埋まっていた自由席すら空席が生まれはじめる頃、やっと金沢に到着する。一日に走る電車の殆どが金沢始発、金沢終着のはくたかだが、例外も存在した。それが、この時間帯の電車だった。
 結局北陸本線内でも遅れを取り戻すことは出来ず、越後湯沢駅での遅れを引きずったまま金沢駅にも二十分遅れて到着した。このまま行くと福井に着くのは日付が変わる少し前になるだろう。今日は金沢の宿舎に戻れそうにないな、と溜息を一つ。
 しかし、乗っている乗客がいる以上、走らないわけにはいかない。
「後少し、頑張るぞ」
 自分に言い聞かせるようにしてつぶやくと、はくたかは再び動き出した。